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ハンザ同盟都市リューベック
ハンザ同盟都市リューベックはドイツ連邦共和国の北部にあり、バルト海から内陸に20キロメートルほど入ったトラーヴェ川の中州にある港湾都市で、12世紀中頃からバルト海の貿易拠点として建設されたヨーロッパ北部の商業中心都市でもあり、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
13世紀前半には市民たちが力を持つようになり神聖ローマ皇帝により自治権を認められ、13世紀後半には北ドイツの多くの商業都市が結んだハンザ同盟の中心都市となりました。
ハンザ同盟とは自治権を認められたものの、軍事力が弱く近郊の海賊などの侵入を防ぐために同盟を結び相互の安全を確保した政治的・軍事的・経済的同盟のことです。
リューベックの旧市街には外的からの防御のために重厚に造られたホルステン門や、中心部にあるリューベックの象徴とも言うべき高さ125mの2基の尖塔をもつの聖母マリア聖堂、社会的な弱者のための施設である聖霊病院、ドイツ最古のゴシック建築である市庁舎、財力を誇示するかのように豪華に建てられたハンザ商人の家々などが今もハンザ同盟都市の繁栄を今に残しています。
ハンザ同盟都市リューベック Hanseatic City of Lubeck 所在国:ドイツ連邦共和国 世界遺産登録年:1987年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ハンザ同盟都市リューベックはドイツ連邦共和国の北部にあり、バルト海から内陸に20キロメートルほど入ったトラーヴェ川の中州にある港湾都市で、12世紀中頃からバルト海の貿易拠点として建設されたヨーロッパ北部の商業中心都市でもあり、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
13世紀前半には市民たちが力を持つようになり神聖ローマ皇帝により自治権を認められ、13世紀後半には北ドイツの多くの商業都市が結んだハンザ同盟の中心都市となりました。
ハンザ同盟とは自治権を認められたものの、軍事力が弱く近郊の海賊などの侵入を防ぐために同盟を結び相互の安全を確保した政治的・軍事的・経済的同盟のことです。
リューベックの旧市街には外的からの防御のために重厚に造られたホルステン門や、中心部にあるリューベックの象徴とも言うべき高さ125mの2基の尖塔をもつの聖母マリア聖堂、社会的な弱者のための施設である聖霊病院、ドイツ最古のゴシック建築である市庁舎、財力を誇示するかのように豪華に建てられたハンザ商人の家々などが今もハンザ同盟都市の繁栄を今に残しています。
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古都スクレ
古都スクレはボリビア共和国の首都(憲法上の首都であり、国家機関などの殆どが集まっている事実上の首都はラパス)であり、チュキサカ県の中心都市として16世紀にスペイン人が建設した都市で1991年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されました。
スペイン軍はボリビアの奥地で南米最大のポトシ銀山を発見しましたが、人口の多かったリマ、クスコ、ティティカカ湖周辺の町から遠く離れたいたため、中継地となる都市としてこのスクレを建設しました。
コロニアル様式の美しい街並みは豊富な銀による経済力によって建設され、赤い屋根と白壁は海抜2790メートルにありながらも穏和な気候により落ち着いた雰囲気を持っていて、白く美しい建物が多いために(政令で建物の壁を白く塗らなくてはならない)、別名「白の街」とも呼ばれています。
スペインからの独立宣言が1825年に行われた自由の家は特に有名でボリビア独立運動の中心地となった古都スクレは、サンフランシスコ教会、サントドミンゴ教会、ラ・レコレータ修道院前などヨーロッパとボリビアの建築様式の混合されたものとなっています。
古都スクレ Historic City of Sucre 所在国:ボリビア共和国 世界遺産登録年:1991年 世界遺産の種類:文化遺産 |
古都スクレはボリビア共和国の首都(憲法上の首都であり、国家機関などの殆どが集まっている事実上の首都はラパス)であり、チュキサカ県の中心都市として16世紀にスペイン人が建設した都市で1991年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されました。
スペイン軍はボリビアの奥地で南米最大のポトシ銀山を発見しましたが、人口の多かったリマ、クスコ、ティティカカ湖周辺の町から遠く離れたいたため、中継地となる都市としてこのスクレを建設しました。
コロニアル様式の美しい街並みは豊富な銀による経済力によって建設され、赤い屋根と白壁は海抜2790メートルにありながらも穏和な気候により落ち着いた雰囲気を持っていて、白く美しい建物が多いために(政令で建物の壁を白く塗らなくてはならない)、別名「白の街」とも呼ばれています。
スペインからの独立宣言が1825年に行われた自由の家は特に有名でボリビア独立運動の中心地となった古都スクレは、サンフランシスコ教会、サントドミンゴ教会、ラ・レコレータ修道院前などヨーロッパとボリビアの建築様式の混合されたものとなっています。
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リオ・ピントゥラスのクエバ・デ・ラス・マノス
リオ・ピントゥラスのクエバ・デ・ラス・マノスはアルゼンチン共和国のサンタクルス州ペリト・モレノの南163km、リオ・ピントゥラス渓谷(ピントゥラス川渓谷)の国道40号線から100kmほど離れたパタゴニア地方に位置しており、多くの重要な考古学的・古生物学的遺跡群を含むフランシスコ・ペリト・モレノ国立公園の境界線上に含まれている洞窟壁画で有名なところで、1999年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
クエバ・デ・ラス・マノスとは「手の洞窟」を意味する言葉で、手形の洞窟壁画はテウェルチェ族の祖先と言われている先住民族によって9000年ほど前から描かれたものと言われています。
最大の洞窟の深さが24メートル、入り口の幅が15メートル、高さ10メートルもあり、上り坂になった洞窟は高さが2メートルほどにまで狭くなっています。
絵の具には鉱物(ヘマタイトなど)の赤や白、黒、黄など多くの色が使われていることで有名で、その絵の具を吹き付けるために使われた骨で造られたパイプも発見されており、壁に手をついて絵の具を吹き付けることで手形を浮き上がらせる手法を取っています。
洞窟壁画は手形の他には人、グアナコ(足がすらりとして気品のある野生動物)やレア(南米に生息する大型の陸鳥)、ネコ科の動物や幾何学的模様、ジグザグの線形、太陽、狩りの様子なども描かれています。
リオ・ピントゥラスのクエバ・デ・ラス・マノス Cueva de las Manos, Rio Pinturas 所在国:アルゼンチン共和国 世界遺産登録年:1999年 世界遺産の種類:文化遺産 |
リオ・ピントゥラスのクエバ・デ・ラス・マノスはアルゼンチン共和国のサンタクルス州ペリト・モレノの南163km、リオ・ピントゥラス渓谷(ピントゥラス川渓谷)の国道40号線から100kmほど離れたパタゴニア地方に位置しており、多くの重要な考古学的・古生物学的遺跡群を含むフランシスコ・ペリト・モレノ国立公園の境界線上に含まれている洞窟壁画で有名なところで、1999年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
クエバ・デ・ラス・マノスとは「手の洞窟」を意味する言葉で、手形の洞窟壁画はテウェルチェ族の祖先と言われている先住民族によって9000年ほど前から描かれたものと言われています。
最大の洞窟の深さが24メートル、入り口の幅が15メートル、高さ10メートルもあり、上り坂になった洞窟は高さが2メートルほどにまで狭くなっています。
絵の具には鉱物(ヘマタイトなど)の赤や白、黒、黄など多くの色が使われていることで有名で、その絵の具を吹き付けるために使われた骨で造られたパイプも発見されており、壁に手をついて絵の具を吹き付けることで手形を浮き上がらせる手法を取っています。
洞窟壁画は手形の他には人、グアナコ(足がすらりとして気品のある野生動物)やレア(南米に生息する大型の陸鳥)、ネコ科の動物や幾何学的模様、ジグザグの線形、太陽、狩りの様子なども描かれています。