このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
コローメンスコエの昇天教会
コローメンスコエの昇天教会とは、コローメンスコエに現存する最も古い建築であるヴォズネセーニエ教会のことを指します。
1994年、コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)は、ユネスコの世界遺産に登録されました。
コローメンスコエは、ロシアの首都、モスクワの南、モスクワ河岸の高台にある地区で、コローメンスコエとは、モスクワ南東部コロムナ街道の起点であったことに由来しています。
1960年代モスクワ市に合併されました。
コローメンスコエの昇天教会は、1532年ヴァシリー3世が、イワン雷帝の誕生を祝して建設した教会で、材料に石材と煉瓦の基礎を用い、屋根は木造で造られています。
ロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つです。
ロシア正教会の聖堂建築は、玉ねぎの形をした屋根(クーポラ)を特徴的としているのですが、コローメンスコエの主の昇天教会は、八角形の屋根(八角尖塔)を特徴としています。
1925年コローメンスコエは、ソ連政府によって野外文化財博物館となりました。
往時の建築が保護されたほか、ソ連国内の木造建築、石造建築がコローメンスコエに移築されました。
この中には、ブラーツク要塞の塔やニコロ・カレーリスキー修道院の聖門(プロエーズナヤ門)、ピョートル大帝の小屋、プレオブラジェンスキー宮殿の倉庫などがあります。
コローメンスコエの昇天教会 Church of the Ascension, Kolomenskoye 所在国:ロシア連邦 世界遺産登録:1994年 種類:文化遺産 |
コローメンスコエの昇天教会とは、コローメンスコエに現存する最も古い建築であるヴォズネセーニエ教会のことを指します。
1994年、コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)は、ユネスコの世界遺産に登録されました。
コローメンスコエは、ロシアの首都、モスクワの南、モスクワ河岸の高台にある地区で、コローメンスコエとは、モスクワ南東部コロムナ街道の起点であったことに由来しています。
1960年代モスクワ市に合併されました。
コローメンスコエの昇天教会は、1532年ヴァシリー3世が、イワン雷帝の誕生を祝して建設した教会で、材料に石材と煉瓦の基礎を用い、屋根は木造で造られています。
ロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つです。
ロシア正教会の聖堂建築は、玉ねぎの形をした屋根(クーポラ)を特徴的としているのですが、コローメンスコエの主の昇天教会は、八角形の屋根(八角尖塔)を特徴としています。
1925年コローメンスコエは、ソ連政府によって野外文化財博物館となりました。
往時の建築が保護されたほか、ソ連国内の木造建築、石造建築がコローメンスコエに移築されました。
この中には、ブラーツク要塞の塔やニコロ・カレーリスキー修道院の聖門(プロエーズナヤ門)、ピョートル大帝の小屋、プレオブラジェンスキー宮殿の倉庫などがあります。
PR
スポンサードリンク
パラマリボ市街歴史地区
パラマリボ市街歴史地区とは、スリナム共和国の首都パラマリボにある、世界遺産に登録された文化遺産である市街歴史地区のことです。
2002年に登録されました。
パラマリボの人口は約222,843人で、大西洋からおよそ15kmのところに位置しています。
郊外ではボーキサイト・サトウキビ・米・カカオ・コーヒーが産出され輸出されています。
パラマリボ市街では、セメント・ラム酒等を製造しています。
パラマリボは1630年にイギリス人によって植民され、1815年からスリナムからの独立までオランダの支配下にありました。
市民はインド人・アフリカ人・オランダ人がほとんどです。
パラマリボにはオランダの名残で、博物館・大聖堂があります。
17世紀半ばにオランダ人が入植してからは、木材やサトウキビなどの栽培や輸出で繁栄を築きました。
建造物は、ヨーロッパ様式と先住民の文化が融合しているといわれています。
碁盤目状に区画された町には木造家屋が整然と並んでいて、当時の面影を残しています。
パラマリボ市街歴史地区 Historic Inner City of Paramaribo 所在国:スリナム共和国 世界遺産登録:2002年 種類:文化遺産 |
パラマリボ市街歴史地区とは、スリナム共和国の首都パラマリボにある、世界遺産に登録された文化遺産である市街歴史地区のことです。
2002年に登録されました。
パラマリボの人口は約222,843人で、大西洋からおよそ15kmのところに位置しています。
郊外ではボーキサイト・サトウキビ・米・カカオ・コーヒーが産出され輸出されています。
パラマリボ市街では、セメント・ラム酒等を製造しています。
パラマリボは1630年にイギリス人によって植民され、1815年からスリナムからの独立までオランダの支配下にありました。
市民はインド人・アフリカ人・オランダ人がほとんどです。
パラマリボにはオランダの名残で、博物館・大聖堂があります。
17世紀半ばにオランダ人が入植してからは、木材やサトウキビなどの栽培や輸出で繁栄を築きました。
建造物は、ヨーロッパ様式と先住民の文化が融合しているといわれています。
碁盤目状に区画された町には木造家屋が整然と並んでいて、当時の面影を残しています。
スポンサードリンク
チロエの教会群
チロエの教会群とは、チリのロス・ラゴス州にある大きな島、チロエ島にある教会群のことです。
最も古い教会で1740年に建てられています。
チロエ島の面積は約8,394キロ平方メートルで、チリの島の中ではフエゴ島に次いで広く、南米でも5番目に広い島とされています。
チロエ島とその周辺の小島で構成されるチロエ諸島の主島です。
チロエ島の人口は155,000人(2002年)で、農業、林業、サケ養殖、観光が主要産業となっています。
2000年にチロエの教会群が世界遺産に登録されたことで、観光客が増えています。
教会群の中で、主なものをご紹介します。
チロエ島の中で最も古い教会は、1740年に造られたキンチャオ島にあるアチャオの教会です。
正面にあるタワーは後に付け加えられたものです。
同じくキンチャオ島にあるキンチャオ教会は、チロエ島の全ての教会の中で最も大きいものです。
毎年、この教会では宗教的なお祭りが行われていて、多くの人々が参加します。
チロエ島にあるカストロのメイン広場に建つカストロ教会は、チロエ島の住民にキリスト教が伝えられた頃に建てられました。
最初の教会は1902年の火災で消失してしまいましたが、現在の教会は、イタリア人建築家・エドアルド・プロバソーリによって1912年に建てられました。
チロエの教会群 Churches of Chiloe 所在国:チリ 世界遺産登録:2000年 種類:文化遺産 |
チロエの教会群とは、チリのロス・ラゴス州にある大きな島、チロエ島にある教会群のことです。
最も古い教会で1740年に建てられています。
チロエ島の面積は約8,394キロ平方メートルで、チリの島の中ではフエゴ島に次いで広く、南米でも5番目に広い島とされています。
チロエ島とその周辺の小島で構成されるチロエ諸島の主島です。
チロエ島の人口は155,000人(2002年)で、農業、林業、サケ養殖、観光が主要産業となっています。
2000年にチロエの教会群が世界遺産に登録されたことで、観光客が増えています。
教会群の中で、主なものをご紹介します。
チロエ島の中で最も古い教会は、1740年に造られたキンチャオ島にあるアチャオの教会です。
正面にあるタワーは後に付け加えられたものです。
同じくキンチャオ島にあるキンチャオ教会は、チロエ島の全ての教会の中で最も大きいものです。
毎年、この教会では宗教的なお祭りが行われていて、多くの人々が参加します。
チロエ島にあるカストロのメイン広場に建つカストロ教会は、チロエ島の住民にキリスト教が伝えられた頃に建てられました。
最初の教会は1902年の火災で消失してしまいましたが、現在の教会は、イタリア人建築家・エドアルド・プロバソーリによって1912年に建てられました。