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トンガリロ国立公園
トンガリロ国立公園は、ニュージーランドの北島の中央に位置し、トンガリロ(1,967m)、ナウルホエ(2,291m)、ルアペフ(2,797m)と3つの活火山や死火山を擁する高原地帯で、山岳地帯を保護する目的で設定された国立公園である。
795km2の広さを持ち、トンガリロ山には,エメラルド色に輝く火山湖がある。
また、トンガリロ山域はマオリ族の信仰対象でもあったが、1887年、永久保全を条件にこの地を英国女王に譲り渡すことを決めた。
1894年、ニュージーランド初、世界でも2番目の国立公園に指定された。
きっかけは、先住民であるマオリの提案によるものである。
山頂付近のクレーターやふもとの溶岩帯やタラナキ滝など、雄大な自然風景は訪れる人たちを飽きさせない。
これらの山を縦走するコースは、トンガリロ・クロッシングと呼ばれて人気が高い。
ただ、訪れる人たちのマナーが悪くて、入山禁止の動きもあるようである。
トンガリロ国立公園 Tongariro National Park 所在国:ニュージーランド 世界遺産登録:1990年(1993年) 種類:複合遺産 |
トンガリロ国立公園は、ニュージーランドの北島の中央に位置し、トンガリロ(1,967m)、ナウルホエ(2,291m)、ルアペフ(2,797m)と3つの活火山や死火山を擁する高原地帯で、山岳地帯を保護する目的で設定された国立公園である。
795km2の広さを持ち、トンガリロ山には,エメラルド色に輝く火山湖がある。
また、トンガリロ山域はマオリ族の信仰対象でもあったが、1887年、永久保全を条件にこの地を英国女王に譲り渡すことを決めた。
1894年、ニュージーランド初、世界でも2番目の国立公園に指定された。
きっかけは、先住民であるマオリの提案によるものである。
山頂付近のクレーターやふもとの溶岩帯やタラナキ滝など、雄大な自然風景は訪れる人たちを飽きさせない。
これらの山を縦走するコースは、トンガリロ・クロッシングと呼ばれて人気が高い。
ただ、訪れる人たちのマナーが悪くて、入山禁止の動きもあるようである。
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ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群
ポツダムといえば歴史の教科書で第二次世界大戦の終結のための会談が行われた場所として有名です。
この会談の場所は世界遺産に登録されたツェツィーリエンホーフ宮殿です。
ポツダムは歴史的に見るとプロイセン公国の拠点として発展した歴史を持っています。
このほかにもポツダムは歴史的建造物(主に宮殿と庭園)が多く、18世紀にプロイセン王国のフリードリヒ大王が造営したロココ式の夏の離宮サンスーシ宮殿などがあります。
ポツダムから30キロ弱離れているのがベルリンです。
ベルリンは南西端部のポツダムに隣接するツェーレンドルフ地区(行政区分ではシュテグリッツ・ツェーレンドルフ区)に世界遺産に登録された物件があります。
ベルリンの指定された物件はグリーニケ宮殿と庭園、グリーニケ国民公園、ニコルスケ地区、孔雀島、ベトヒャーベルク山、グリーニケの狩猟用別邸などです。
ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 Palaces and Parks of Potsdam and Berlin 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1990年、1992-1999年 種類:文化遺産 |
ポツダムといえば歴史の教科書で第二次世界大戦の終結のための会談が行われた場所として有名です。
この会談の場所は世界遺産に登録されたツェツィーリエンホーフ宮殿です。
ポツダムは歴史的に見るとプロイセン公国の拠点として発展した歴史を持っています。
このほかにもポツダムは歴史的建造物(主に宮殿と庭園)が多く、18世紀にプロイセン王国のフリードリヒ大王が造営したロココ式の夏の離宮サンスーシ宮殿などがあります。
ポツダムから30キロ弱離れているのがベルリンです。
ベルリンは南西端部のポツダムに隣接するツェーレンドルフ地区(行政区分ではシュテグリッツ・ツェーレンドルフ区)に世界遺産に登録された物件があります。
ベルリンの指定された物件はグリーニケ宮殿と庭園、グリーニケ国民公園、ニコルスケ地区、孔雀島、ベトヒャーベルク山、グリーニケの狩猟用別邸などです。
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サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、1588年、スペインがイギリスの無敵艦隊に敗れたことに危機感を抱いて、そのころスペインの植民地であったキューバ東部を守るべくこの地に築いた要塞です。
スペイン軍の軍事的建造物の傑作と言われる要塞です。
この要塞はキューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバ湾を望む断崖上に築かれています。
サンティアゴ・デ・クーバはキューバの南東部にある都市で、サンティアーゴ・デ・クーバ州の州都です。
また16〜17世紀には海賊による密貿易の拠点でもありました。
18世紀になるとハイチ独立で逃れてきたフランス人も住み着き、建物もフランス様式のものも増え、スペイン風、フランス風とさまざまな様式が混在するようになりました。
ただ、サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は1590年から建設が始まりましたが、設計にはイタリアの軍事建築家が参加しました。
ルネサンス様式を基本設計とし、武器庫や監視塔、砲台を備えた巨大な要塞になりました。
そういう意味ではルネッサンス様式の要塞といえるでしょう。
サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は1997年に世界遺産に登録されました。
サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城 San Pedro de la Roca Castle, Santiago de Cuba 所在国:キューバ 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、1588年、スペインがイギリスの無敵艦隊に敗れたことに危機感を抱いて、そのころスペインの植民地であったキューバ東部を守るべくこの地に築いた要塞です。
スペイン軍の軍事的建造物の傑作と言われる要塞です。
この要塞はキューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバ湾を望む断崖上に築かれています。
サンティアゴ・デ・クーバはキューバの南東部にある都市で、サンティアーゴ・デ・クーバ州の州都です。
また16〜17世紀には海賊による密貿易の拠点でもありました。
18世紀になるとハイチ独立で逃れてきたフランス人も住み着き、建物もフランス様式のものも増え、スペイン風、フランス風とさまざまな様式が混在するようになりました。
ただ、サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は1590年から建設が始まりましたが、設計にはイタリアの軍事建築家が参加しました。
ルネサンス様式を基本設計とし、武器庫や監視塔、砲台を備えた巨大な要塞になりました。
そういう意味ではルネッサンス様式の要塞といえるでしょう。
サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は1997年に世界遺産に登録されました。