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モスタル旧市街の古橋地区
モスタル旧市街の古橋地区は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにあります。
スタリ・モストとは、「古い橋」の意味で、モスタルの地名もこの橋に因んだものです。
スタリ・モストは、モスタル旧市街のネレトバ川に架かっていて、中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m、川面からの高さは24mあります。
1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたもので、やく9年間を費やして完成します。
この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられていて、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来ます。
1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中で、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了しました。
2005年には、スタリ・モストがボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されました。
モスタル旧市街の古橋地区 Old Bridge Area of the Old City of Mostar 所在国:ボスニア・ヘルツェゴビナ 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
モスタル旧市街の古橋地区は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにあります。
スタリ・モストとは、「古い橋」の意味で、モスタルの地名もこの橋に因んだものです。
スタリ・モストは、モスタル旧市街のネレトバ川に架かっていて、中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m、川面からの高さは24mあります。
1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたもので、やく9年間を費やして完成します。
この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられていて、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来ます。
1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中で、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了しました。
2005年には、スタリ・モストがボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されました。
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ムツヘタの文化財群
ムツヘタの文化財群は、グルジア共和国の首都トビリシから北西に20kmのところにあり、クラ川とアラグヴィ川の合流地点の近くにムツヘタの町が広がっています。
ムツヘタは町全体がユネスコの世界遺産に登録されています。
ムツヘタは、5世紀の王ワフタング1世がトビリシに遷都するまで、イベリア王国の首都でした。
4世紀初頭、トルコのカッパドキアからグルジアにやって来た修道女ニノが十字架を立てた地がムツヘタで、ニノが十字架を立てた丘には6世紀にジュワリ聖堂が建てられました。
このジュワリの丘からグルジアにおけるキリスト教の歴史が始まり、その後、千数百年に渡り、ムツヘタは聖地としてグルジア人の魂の原点、信仰の中心であり続けています。
古都、ムツヘタにはグルジアで最古にして最大の教会、スヴェティツホヴェリ大聖堂があります。
正面は装飾の彫刻が施されて、フレスコ画の断片も残る中世建築の傑作です。
ムツヘタの文化財群 City-Museum Reserve of Mtskheta 所在国:グルジア共和国 世界遺産登録:1994年 種類:文化遺産 |
ムツヘタの文化財群は、グルジア共和国の首都トビリシから北西に20kmのところにあり、クラ川とアラグヴィ川の合流地点の近くにムツヘタの町が広がっています。
ムツヘタは町全体がユネスコの世界遺産に登録されています。
ムツヘタは、5世紀の王ワフタング1世がトビリシに遷都するまで、イベリア王国の首都でした。
4世紀初頭、トルコのカッパドキアからグルジアにやって来た修道女ニノが十字架を立てた地がムツヘタで、ニノが十字架を立てた丘には6世紀にジュワリ聖堂が建てられました。
このジュワリの丘からグルジアにおけるキリスト教の歴史が始まり、その後、千数百年に渡り、ムツヘタは聖地としてグルジア人の魂の原点、信仰の中心であり続けています。
古都、ムツヘタにはグルジアで最古にして最大の教会、スヴェティツホヴェリ大聖堂があります。
正面は装飾の彫刻が施されて、フレスコ画の断片も残る中世建築の傑作です。
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ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園
ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがる英国式庭園で、ドイツ側はバート・ムスカウ、ポーランド側はウェンクニツァの町に接しています。
ドイツ連邦共和国とポーランド共和国の、二国による共同申請によりユネスコ世界遺産に登録されました。
ドイツではムスカウ公園(Muskauer Park)と呼ばれ、ポーランドではムジャコフスキ公園(Park Muzakowski)と呼ばれています。
1815年から1844年にかけて、この地の所有者であるヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵は、その頃イギリスで流行していた風景式庭園の手法に基づいて造園に着手しました。
彼は木や水流などの自然物を風景画のように配置して、それらと調和するような建造物も作っていきました。
その後、オランダ侯爵の手に渡り、ピュックラー侯爵の構想は引き継がれましたが、戦火により破壊されたり、ナイセ川が新たな国境線となり、庭園は二つの国に分割された経緯があります。
現在もまだ一部修復作業が行われています。
ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園 Muskauer Park / Park Muzakowski 所在国:ドイツ連邦共和国 ポーランド共和国 世界遺産登録:2004年 種類:文化遺産 |
ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがる英国式庭園で、ドイツ側はバート・ムスカウ、ポーランド側はウェンクニツァの町に接しています。
ドイツ連邦共和国とポーランド共和国の、二国による共同申請によりユネスコ世界遺産に登録されました。
ドイツではムスカウ公園(Muskauer Park)と呼ばれ、ポーランドではムジャコフスキ公園(Park Muzakowski)と呼ばれています。
1815年から1844年にかけて、この地の所有者であるヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵は、その頃イギリスで流行していた風景式庭園の手法に基づいて造園に着手しました。
彼は木や水流などの自然物を風景画のように配置して、それらと調和するような建造物も作っていきました。
その後、オランダ侯爵の手に渡り、ピュックラー侯爵の構想は引き継がれましたが、戦火により破壊されたり、ナイセ川が新たな国境線となり、庭園は二つの国に分割された経緯があります。
現在もまだ一部修復作業が行われています。