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サヴォイア王家の王宮群
サヴォイア王家の王宮群はイタリア北西部ピエモンテ州のトリノにあります。
サヴォイア王家はピエモンテとフランスに挟まれた山岳地帯であるサヴォイアを治めていた貴族でした。
その後、スペイン継承戦争後、サヴォイア王国の王につき、イタリア統一運動では主力となり、後にイタリア王となりました。
その後、居城をトリノに移し、王国の威光を示すかのように数々の建築物を造営しました。
建築物の一端を紹介します。
王宮及びその庭園は、16-17世紀に建てられ、トリノの中心部、カステッロ広場に面し、左右対称の優美な建築物です。
マダマ宮殿は、14世紀に建設が始まり18世紀にようやく完成をみました。
カリニャーノ宮殿は1679年に建設が始まり、1831年までサヴォイア家の宮殿として使用され、その後1848年にサルデーニャ王国議会の議事堂となり、現在は国立イタリア統一博物館となっています。
サヴォイア王家の王宮群 Residences of the Royal House of Savoy 所在国:イタリア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
サヴォイア王家の王宮群はイタリア北西部ピエモンテ州のトリノにあります。
サヴォイア王家はピエモンテとフランスに挟まれた山岳地帯であるサヴォイアを治めていた貴族でした。
その後、スペイン継承戦争後、サヴォイア王国の王につき、イタリア統一運動では主力となり、後にイタリア王となりました。
その後、居城をトリノに移し、王国の威光を示すかのように数々の建築物を造営しました。
建築物の一端を紹介します。
王宮及びその庭園は、16-17世紀に建てられ、トリノの中心部、カステッロ広場に面し、左右対称の優美な建築物です。
マダマ宮殿は、14世紀に建設が始まり18世紀にようやく完成をみました。
カリニャーノ宮殿は1679年に建設が始まり、1831年までサヴォイア家の宮殿として使用され、その後1848年にサルデーニャ王国議会の議事堂となり、現在は国立イタリア統一博物館となっています。
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ヴァイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味します。
最初はヴァイマールに1919年に開校されましたが、1925年にデッサウに移転、「市立バウハウス・デッサウ」と変わりました。
しかし、1932年にデッサウ校は閉鎖しベルリンへ移転し私立学校になりました。
翌1933年にはナチスにより閉校とされました。
校長だったミースらはアメリカに亡命・移住し、バウハウスの運動を伝えました。
これがアメリカでの「ニュー・バウハウス」となり引き継がれました。
バウハウスでは画家のパウル・クレーやヴァシリー・カデンスキーなど多数の芸術家が教授陣をなし、絵画、彫刻、工芸などを統合した新しい建築芸術を模索していました。
こうした運動を背景にその後の造形美術やデザインに大きな影響を与えました。
世界遺産に登録されたのはヴァイマールの実験住宅であるハウス・アム・ホルン、デッサウの校舎、近代住宅の傑作といわれる教授用住宅のマイスター・ハウスなどです。
交通アクセスはフランクフルトから列車で約5時間です。
ヴァイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群 Bauhaus and its sites in Weimar and Dessau 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味します。
最初はヴァイマールに1919年に開校されましたが、1925年にデッサウに移転、「市立バウハウス・デッサウ」と変わりました。
しかし、1932年にデッサウ校は閉鎖しベルリンへ移転し私立学校になりました。
翌1933年にはナチスにより閉校とされました。
校長だったミースらはアメリカに亡命・移住し、バウハウスの運動を伝えました。
これがアメリカでの「ニュー・バウハウス」となり引き継がれました。
バウハウスでは画家のパウル・クレーやヴァシリー・カデンスキーなど多数の芸術家が教授陣をなし、絵画、彫刻、工芸などを統合した新しい建築芸術を模索していました。
こうした運動を背景にその後の造形美術やデザインに大きな影響を与えました。
世界遺産に登録されたのはヴァイマールの実験住宅であるハウス・アム・ホルン、デッサウの校舎、近代住宅の傑作といわれる教授用住宅のマイスター・ハウスなどです。
交通アクセスはフランクフルトから列車で約5時間です。
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ポブレー修道院
ポブレー修道院はスペインのタラゴナから北西へ約36kmのところにあります。
創建は1151年で、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世が、イスラムとの戦いに勝利した際、聖母マリアへの感謝の印として修道院を作ることを決め、カタルーニャにおける最初のシトー派の修道院としてポブレー修道院が設立されました。
ハイメ1世やペドロ4世らアラゴン王国の王や王妃たちの墓所があります。
またポブレー修道院はスペインでは一番の規模を誇ります。
古い建物の常でロマネスクからバロックまで様式が入り乱れており、規模の大きさと厚い城壁に囲まれている様子からは当時の修道院の絶大な権力を知ることができます。
ポブレー修道院の特徴は、君主の居館と修道院を合体させたもので、大変珍しい建物となっていることです。
また、入り口や主祭壇を飾る祭壇衝立がバロック様式でできているのに対し、回廊の柱頭はロマネスク様式、アーチはゴシック様式とさまざまな様式が混在しています。
ポブレー修道院 Poblet Monastery 所在国:スペイン 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
ポブレー修道院はスペインのタラゴナから北西へ約36kmのところにあります。
創建は1151年で、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世が、イスラムとの戦いに勝利した際、聖母マリアへの感謝の印として修道院を作ることを決め、カタルーニャにおける最初のシトー派の修道院としてポブレー修道院が設立されました。
ハイメ1世やペドロ4世らアラゴン王国の王や王妃たちの墓所があります。
またポブレー修道院はスペインでは一番の規模を誇ります。
古い建物の常でロマネスクからバロックまで様式が入り乱れており、規模の大きさと厚い城壁に囲まれている様子からは当時の修道院の絶大な権力を知ることができます。
ポブレー修道院の特徴は、君主の居館と修道院を合体させたもので、大変珍しい建物となっていることです。
また、入り口や主祭壇を飾る祭壇衝立がバロック様式でできているのに対し、回廊の柱頭はロマネスク様式、アーチはゴシック様式とさまざまな様式が混在しています。