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パリのセーヌ河岸
パリのセーヌ河岸の世界遺産の登録対象は、セーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmで、これには、セーヌ川の中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内の橋も含まれています。
では登録対象を見てみましょう。
セーヌ右岸にはパリ市庁舎、マリー・アントワネットの処刑が行われた広場、コンコルド広場、マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ通り、パリ万国博覧会 (1900年)のために建設されたグラン・パレ、プティ・パレ、シャイヨー宮などがあります。
セーヌ左岸にはオルセー美術館、ブルボン宮殿、シャン・ド・マルス公園、エッフェル塔があります。
シテ島にはノートルダム大聖堂、ルイ9世の頃には王宮として使われていたパレ・ド・ジュスティス(裁判所)、マリー・アントワネットが収監されていた独房が残る牢獄跡であるサント・シャペル、コンシェルジュリーなど、パリの観光地としての楽しさと一緒に楽しめます。
パリのセーヌ河岸 Paris, Banks of the Seine 所在国:フランス 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
パリのセーヌ河岸の世界遺産の登録対象は、セーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmで、これには、セーヌ川の中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内の橋も含まれています。
では登録対象を見てみましょう。
セーヌ右岸にはパリ市庁舎、マリー・アントワネットの処刑が行われた広場、コンコルド広場、マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ通り、パリ万国博覧会 (1900年)のために建設されたグラン・パレ、プティ・パレ、シャイヨー宮などがあります。
セーヌ左岸にはオルセー美術館、ブルボン宮殿、シャン・ド・マルス公園、エッフェル塔があります。
シテ島にはノートルダム大聖堂、ルイ9世の頃には王宮として使われていたパレ・ド・ジュスティス(裁判所)、マリー・アントワネットが収監されていた独房が残る牢獄跡であるサント・シャペル、コンシェルジュリーなど、パリの観光地としての楽しさと一緒に楽しめます。
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デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群」はロシアのダゲスタン共和国の首都マハチカラから121Km、カスピ海の西岸にある古都市デルベントに存在します。
古都市デルベントは一説によると5000年の歴史があるといわれています。
5世紀のササン朝ペルシア時代以降、この地は東西貿易(ヨーロッパと中東)の要衝でした。
また、東西の文明が交錯する地点であったため、外敵の侵入を阻む必要がありました。
そこで石造りの城壁と要塞が造られました。
城壁は高さ12m、厚さ最大3.8mで、2本の城壁が300から400mの距離をおいて平行に築かれています。
また、監視塔は73個数えられています。
これはカスピ海側、コーカサス山脈側の間に作られ、デルベントの町はその間に建築され、中世の面影を残しています。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、19世紀までコーカサス地方の戦略的に重要な拠点として、その役割を果たしていました。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent 所在国:ロシア 世界遺産登録:2003年 種類:文化遺産 |
「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群」はロシアのダゲスタン共和国の首都マハチカラから121Km、カスピ海の西岸にある古都市デルベントに存在します。
古都市デルベントは一説によると5000年の歴史があるといわれています。
5世紀のササン朝ペルシア時代以降、この地は東西貿易(ヨーロッパと中東)の要衝でした。
また、東西の文明が交錯する地点であったため、外敵の侵入を阻む必要がありました。
そこで石造りの城壁と要塞が造られました。
城壁は高さ12m、厚さ最大3.8mで、2本の城壁が300から400mの距離をおいて平行に築かれています。
また、監視塔は73個数えられています。
これはカスピ海側、コーカサス山脈側の間に作られ、デルベントの町はその間に建築され、中世の面影を残しています。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、19世紀までコーカサス地方の戦略的に重要な拠点として、その役割を果たしていました。
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ケルン大聖堂
ケルン大聖堂は完成まで632年を要したゴシック様式を代表する世界最大の建築です。
正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂です。
現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀です。
2代目は818年に完成しましたが1248年の4月30日に火災により消失しました。
3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまりました。
しかし、16世紀に入って財政難から一度工事が中断しました。
建設が再開されるのは19世紀に入ってからです。
最終的に完成するのは1880年です。
カソリック教会の大聖堂らしく、何組もの美しい祭檀、数えきれない程の宗教美術品、装飾品が配置されており、大聖堂自体が世界的なキリスト教美術館として高い評価を受けています。
ケルン大聖堂の13世紀後期ロマネスク様式の一連のステンドグラスは、旧約聖書、新約聖書の物語を題材にとったもので、8世紀経過した現在でも鮮明な美しさを維持しています。
中でも、身廊の南側に並ぶ一連のステンドグラスは、バイエルン王ルートヴィッヒ一世が奉納したため「バイエルン窓」と呼ばれ、歴史的な芸術品として有名です。
1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされました。
2004年には危機遺産に指定されましたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年をもって解除されました。
ケルン大聖堂 Cologne Cathedral 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1996、2004年 種類:文化遺産 危機遺産 |
ケルン大聖堂は完成まで632年を要したゴシック様式を代表する世界最大の建築です。
正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂です。
現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀です。
2代目は818年に完成しましたが1248年の4月30日に火災により消失しました。
3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまりました。
しかし、16世紀に入って財政難から一度工事が中断しました。
建設が再開されるのは19世紀に入ってからです。
最終的に完成するのは1880年です。
カソリック教会の大聖堂らしく、何組もの美しい祭檀、数えきれない程の宗教美術品、装飾品が配置されており、大聖堂自体が世界的なキリスト教美術館として高い評価を受けています。
ケルン大聖堂の13世紀後期ロマネスク様式の一連のステンドグラスは、旧約聖書、新約聖書の物語を題材にとったもので、8世紀経過した現在でも鮮明な美しさを維持しています。
中でも、身廊の南側に並ぶ一連のステンドグラスは、バイエルン王ルートヴィッヒ一世が奉納したため「バイエルン窓」と呼ばれ、歴史的な芸術品として有名です。
1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされました。
2004年には危機遺産に指定されましたが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年をもって解除されました。