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アランフェスの文化的景観
アランフェスの文化的景観はスペインの中央部のマドリッド(マドリード)から南に約50キロメートルの郊外にあるアランフェスのスペイン王室の王宮とその庭園を中心とするもので、2001年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
スペインの王家が15世紀ごろから保養地として使い始めた場所で、庭園に囲まれたアランフェス宮殿は盲目の作曲家、ホアキン・ロドリーゴが作曲した「アランフェス協奏曲」のモチーフにもなり、美しい離宮と庭園は世界的に広く知られています。
アランフェス王宮からタホ川に沿って広がる庭園は、森や庭からなり、多くの泉や像で飾られており、王宮正面の彫刻で有名な「パルテレ庭園」、タホ川と人口の川に囲まれた「島の庭園(アポロンの泉)」、タホ川に沿って延びる150haの「王子の庭園(中国風のあずまや)」、農夫の家と呼ばれている「離宮の彫刻」、王妃の喫煙のための「アラブの間」などが特に有名です。
アランフェスの文化的景観 Aranjuez Cultural Landscape 所在国:スペイン 世界遺産登録年:2001年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アランフェスの文化的景観はスペインの中央部のマドリッド(マドリード)から南に約50キロメートルの郊外にあるアランフェスのスペイン王室の王宮とその庭園を中心とするもので、2001年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
スペインの王家が15世紀ごろから保養地として使い始めた場所で、庭園に囲まれたアランフェス宮殿は盲目の作曲家、ホアキン・ロドリーゴが作曲した「アランフェス協奏曲」のモチーフにもなり、美しい離宮と庭園は世界的に広く知られています。
アランフェス王宮からタホ川に沿って広がる庭園は、森や庭からなり、多くの泉や像で飾られており、王宮正面の彫刻で有名な「パルテレ庭園」、タホ川と人口の川に囲まれた「島の庭園(アポロンの泉)」、タホ川に沿って延びる150haの「王子の庭園(中国風のあずまや)」、農夫の家と呼ばれている「離宮の彫刻」、王妃の喫煙のための「アラブの間」などが特に有名です。
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ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々はイタリアのシチリア島南東部の8つの町、カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの街並みのことで、2002年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ヴァル・ディ・ノートとはシチリアの古い行政区分であるヴァッロ(Vallo)の一つを指す言葉で、後期バロック様式の街並みを今に伝える美しいところです。
1693年の大地震で約93,000人もの死者を出し、壊滅的な大打撃を受けたヴァル・ディ・ノートは、旧市街地から南に約10キロメートル離れた丘の上に地元の貴族らの働きによって、9つの主な教会と7つの主な貴族邸宅を含む後期バロック様式で統一された街が再建されました。
カターニアの守護聖女アガタの頭蓋骨が納められた像が3日間にわたり町を練り歩く「聖アガタの祭り」は200年前から今も続く有名なお祭りで、約120,000人もの人が現在も生活をしている生きた街、後期バロック様式の美術館のような街です。
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部) Late Baroque Towns of the Val di Noto (South-eastern Sicily) 所在国:イタリア 世界遺産登録年:2002年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々はイタリアのシチリア島南東部の8つの町、カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの街並みのことで、2002年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ヴァル・ディ・ノートとはシチリアの古い行政区分であるヴァッロ(Vallo)の一つを指す言葉で、後期バロック様式の街並みを今に伝える美しいところです。
1693年の大地震で約93,000人もの死者を出し、壊滅的な大打撃を受けたヴァル・ディ・ノートは、旧市街地から南に約10キロメートル離れた丘の上に地元の貴族らの働きによって、9つの主な教会と7つの主な貴族邸宅を含む後期バロック様式で統一された街が再建されました。
カターニアの守護聖女アガタの頭蓋骨が納められた像が3日間にわたり町を練り歩く「聖アガタの祭り」は200年前から今も続く有名なお祭りで、約120,000人もの人が現在も生活をしている生きた街、後期バロック様式の美術館のような街です。
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アタプエルカの古代遺跡
アタプエルカの古代遺跡はスペインのブルゴス県アタプエルカ山脈にあるブルゴス市の北東約20キロメートルにあり、ヨーロッパ大陸で最古の人類(ホモ・アンテセソール)の骨が発見されたところとして2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
アタプエルカの古代遺跡の発掘は1975年から始まり、考古学史上世界で最も重要な古生代地層の一つと言われているところです。
アタプエルカの古代遺跡の数カ所の発掘が行われた結果、その中の一カ所グラン・ドリナからは約80万年前(ネアンデルタール人や、クロマニョン人より先)の原人の化石が発見され、その近郊のシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の深穴)からは約33体分にあたる人類の化石が約2500個発見されました。
火を使い家族単位の暮らしをしており、死者を埋葬していたことも分かっており、人類の約100万年の進化が分かる場所と言われています。
また2007年6月の発掘では約100〜120万年前の歯の化石が見つかったと報告されており、これまでの発掘作業ではまだ全体の15%ほどしか発掘出来ていないために新たな発見が期待されるところでもあります。
アタプエルカの古代遺跡 Archaeological Site of Atapuerca 所在国:スペイン 世界遺産登録年:2000年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アタプエルカの古代遺跡はスペインのブルゴス県アタプエルカ山脈にあるブルゴス市の北東約20キロメートルにあり、ヨーロッパ大陸で最古の人類(ホモ・アンテセソール)の骨が発見されたところとして2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
アタプエルカの古代遺跡の発掘は1975年から始まり、考古学史上世界で最も重要な古生代地層の一つと言われているところです。
アタプエルカの古代遺跡の数カ所の発掘が行われた結果、その中の一カ所グラン・ドリナからは約80万年前(ネアンデルタール人や、クロマニョン人より先)の原人の化石が発見され、その近郊のシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の深穴)からは約33体分にあたる人類の化石が約2500個発見されました。
火を使い家族単位の暮らしをしており、死者を埋葬していたことも分かっており、人類の約100万年の進化が分かる場所と言われています。
また2007年6月の発掘では約100〜120万年前の歯の化石が見つかったと報告されており、これまでの発掘作業ではまだ全体の15%ほどしか発掘出来ていないために新たな発見が期待されるところでもあります。