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パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境とは、1996年に世界文化遺産に登録されたハンガリー北西部のトランスダヌビア地方のパンノンハルマの丘にある修道院とそのまわりの自然環境のことです。
ベネディクト会修道院が属するハンガリーのベネディクト会は、996年にパンノンハルマ修道院から始まりました。
1000年に及ぶ歴史が、修道院の建築に独自のスタイルを継承させたといわれています。
12世紀には火災で焼失してしまいます。
1224年にゴシック様式で再建されましたが、現存するハンガリー最古の建物は、今でも学校や修道院として使われています。
写本や古文書など、貴重な歴史的文献を所蔵している図書館や、壮麗なフレスコ画が壁を飾る主食堂なども貴重な遺産です。
19世紀半ばに建てられた高さ55cmの時計塔は、パンノンハルマ修道院のシンボルになっています。
修道院の周辺には、緑豊かな森が広がっており、その自然環境も含め世界遺産に登録されました。
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment 所在国:ハンガリー共和国 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境とは、1996年に世界文化遺産に登録されたハンガリー北西部のトランスダヌビア地方のパンノンハルマの丘にある修道院とそのまわりの自然環境のことです。
ベネディクト会修道院が属するハンガリーのベネディクト会は、996年にパンノンハルマ修道院から始まりました。
1000年に及ぶ歴史が、修道院の建築に独自のスタイルを継承させたといわれています。
12世紀には火災で焼失してしまいます。
1224年にゴシック様式で再建されましたが、現存するハンガリー最古の建物は、今でも学校や修道院として使われています。
写本や古文書など、貴重な歴史的文献を所蔵している図書館や、壮麗なフレスコ画が壁を飾る主食堂なども貴重な遺産です。
19世紀半ばに建てられた高さ55cmの時計塔は、パンノンハルマ修道院のシンボルになっています。
修道院の周辺には、緑豊かな森が広がっており、その自然環境も含め世界遺産に登録されました。
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パルミラの遺跡
パルミラの遺跡 Site of Palmyra 所在国:シリア 世界遺産登録:1980年 種類: 文化遺産 パルミラ遺跡とは、1980年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたシリアの中央部にあるローマ帝国支配時の都市遺跡のことで、シリアを代表する遺跡の1つです。 シリアの首都ダマスカスの北東、約200kmの砂漠の中にあって、北から流れるワジアブオベイド川と、西から流れるワジアイド川が形成した扇状地に建設されました。 紀元前3世紀頃から多数の地下墓地が建設されました。 ローマ様式の建造物が多数残っていて、ローマ式の円形劇場や、公共浴場、四面門が代表的です。 パルミラ近くからは、約70000年前の旧石器時代の石器が発見されていて、メソポタミアで発掘された石版からもこの都市の名前と思われる記述があります。 紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展しました。 交易の関税により都市国家として繁栄し、ローマの属州となったこともあります。 しかし、2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期を迎えます。 270年ごろに君臨したゼノビア女王時代には、エジプトの一部も支配下に置いていました。 ですが、ローマ皇帝のアウレリアヌスは、パルミラの独立を恐れ攻撃を開始しました。 その結果、272年に、パルミラは陥落し廃墟と化したのです。
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ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観
ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観とは、オーストリア、ザルツカンマーグートのダハシュタイン連峰にある標高3000mの山で、発見された約4000年前の人類の文明の痕跡のことです。 氷柱が美しい洞窟、ジャイアント・アイス・ケイブ。 ダハシュタインの頂上を覆っていた雪は、溶けると洞窟に染み込み、再び冷却されると、美しい氷の芸術を形作ります。 そのような自然の中にできた小さな街、ラテン語で「塩の町」を意味するハルシュタット。 ここにローマよりも古く、高度な文明が存在したのです。 それを支えたのはこの近くで採れる岩塩だったとされています。 食料の唯一の保存方法であった塩は、白いダイヤといわれる程貴重なものでした。 その古い文明は紀元前7世紀絶頂期を迎えました。 紀元前7世紀頃のものとされる墓から発見された副葬品が、文明の高さを証明しています。 左の渦は現世、右の渦は来世を表しているそうです。 ほかにも3000年前の岩塩を運んだといわれるリュックや、当時の人が被っていた革製の帽子が塩に覆われていたために、驚くほど良い状態で発見されています。 |