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ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区
パナマといえばパナマ運河ですが、パナマ共和国は16世紀からヨーロッパ人により南米の征服の拠点として栄えました。
1530年代のインカ征服はパナマを拠点として行われ、ペルーや近隣の植民地からスペインへの銀などの物資の輸送は、海路で太平洋側のパナマ・シティへ、陸路でカリブ海側のポルトベロへ、そして海路でスペインへというように行われました。
「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」のパナマ・ビエホは1519年、征服者ペドラリアス・ダヴィラによって建設されました。
当地はアメリカ大陸の太平洋沿岸における最も古いヨーロッパ人の居留地です。
街は碁盤の目のように整然としており、計画的な街作りの概念がヨーロッパからもたらされたことを示しています。
17世紀の中頃にその機能を取って代わった「新しい町」(現在の「歴史地区」)もまた当初の街路計画と、そのアーキテクチャ、そしてスペイン風、フランス風、アーリーアメリカン風の3つの異なった様式の混在した状態を保存してきました。
これが今でも残る歴史地区です。
一方、古代遺跡はというと、カリブ海側と太平洋側とを結ぶ古代の道がそれです。
この道は「王の道」と呼ばれ、輸送路が整備され、ペルーやボリビアからの荷を運んでいました。
ポルトベロや現在のパナマ運河の航路になっているチャグレス川の河口には当時の要塞が残っており、パナマの歴史地区とは別に世界遺産に登録されています。
ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区 Archaeological Site of Panama Viejo and Historic District of Panama 所在国:パナマ共和国 世界遺産登録:1997年、2003年 種類:文化遺産 |
パナマといえばパナマ運河ですが、パナマ共和国は16世紀からヨーロッパ人により南米の征服の拠点として栄えました。
1530年代のインカ征服はパナマを拠点として行われ、ペルーや近隣の植民地からスペインへの銀などの物資の輸送は、海路で太平洋側のパナマ・シティへ、陸路でカリブ海側のポルトベロへ、そして海路でスペインへというように行われました。
「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」のパナマ・ビエホは1519年、征服者ペドラリアス・ダヴィラによって建設されました。
当地はアメリカ大陸の太平洋沿岸における最も古いヨーロッパ人の居留地です。
街は碁盤の目のように整然としており、計画的な街作りの概念がヨーロッパからもたらされたことを示しています。
17世紀の中頃にその機能を取って代わった「新しい町」(現在の「歴史地区」)もまた当初の街路計画と、そのアーキテクチャ、そしてスペイン風、フランス風、アーリーアメリカン風の3つの異なった様式の混在した状態を保存してきました。
これが今でも残る歴史地区です。
一方、古代遺跡はというと、カリブ海側と太平洋側とを結ぶ古代の道がそれです。
この道は「王の道」と呼ばれ、輸送路が整備され、ペルーやボリビアからの荷を運んでいました。
ポルトベロや現在のパナマ運河の航路になっているチャグレス川の河口には当時の要塞が残っており、パナマの歴史地区とは別に世界遺産に登録されています。
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