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ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アヌンツィアータの考古学地域)は、イタリア共和国の南都市ナポリ近郊にある都市遺跡です。
紀元後79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火山礫・火山灰・泥流や溶岩流で街全体をかたどるように埋められました。
古代ローマ時代に栄えたポンペイと現在のエルコラーノにあたるヘルクラネウムに加え、紀元後62年の地震で崩壊した町トッレ・アヌンツィアータの遺跡も残されています。
アポロ神殿やヴィーナス神殿、市場、大劇場、音楽堂、浴場、通り、商店、住宅などの考古学遺跡は、古代ローマの生活様式の文化水準が高かったことを証明しています。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アヌンツィアータの考古学地域)には、そのような建造物だけでなく、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれた人の遺跡も残されています。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域 Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum, and Torre Annunziata 所在国:イタリア共和国 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アヌンツィアータの考古学地域)は、イタリア共和国の南都市ナポリ近郊にある都市遺跡です。
紀元後79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火山礫・火山灰・泥流や溶岩流で街全体をかたどるように埋められました。
古代ローマ時代に栄えたポンペイと現在のエルコラーノにあたるヘルクラネウムに加え、紀元後62年の地震で崩壊した町トッレ・アヌンツィアータの遺跡も残されています。
アポロ神殿やヴィーナス神殿、市場、大劇場、音楽堂、浴場、通り、商店、住宅などの考古学遺跡は、古代ローマの生活様式の文化水準が高かったことを証明しています。
ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アヌンツィアータの考古学地域)には、そのような建造物だけでなく、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれた人の遺跡も残されています。
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ドーセット及び東デヴォン海岸
ドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)は、世界有数の化石発掘地で、地質学上、4番目に古い古生代にあたるデヴォン紀(デボン紀)の名前の由来にもなった自然遺産です。
イギリスの南イングランド・ドーセット州にあります。
ドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)の絶壁や海浜などは、地形の侵食過程を計る上でも重要な地で、それらからは、地球の歴史や地質学上の進化の様子を理解するためのたくさんの化石が発掘されています。
魚の化石が含まれたアンモナイトや三葉虫の化石が多く発掘され、そのほとんどが約4億1000万年前から3億6000万年前のものと言われていることで、その時期がデヴォン紀(デボン紀)と呼ばれるようになりました。
ジュラ紀前期から白亜紀後期に生息していたと言われる恐竜イクチオサウルスの化石もドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)の代表的な化石です。
ドーセット及び東デヴォン海岸 Dorset and East Devon Coast 所在国:イギリス 世界遺産登録:2001年 種類:自然遺産 |
ドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)は、世界有数の化石発掘地で、地質学上、4番目に古い古生代にあたるデヴォン紀(デボン紀)の名前の由来にもなった自然遺産です。
イギリスの南イングランド・ドーセット州にあります。
ドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)の絶壁や海浜などは、地形の侵食過程を計る上でも重要な地で、それらからは、地球の歴史や地質学上の進化の様子を理解するためのたくさんの化石が発掘されています。
魚の化石が含まれたアンモナイトや三葉虫の化石が多く発掘され、そのほとんどが約4億1000万年前から3億6000万年前のものと言われていることで、その時期がデヴォン紀(デボン紀)と呼ばれるようになりました。
ジュラ紀前期から白亜紀後期に生息していたと言われる恐竜イクチオサウルスの化石もドーセット及び東デヴォン海岸(ドーセットおよび東デボン海岸)の代表的な化石です。
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クトナー・ホラ:聖バルバラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市
クトナー・ホラはチェコ中部、プラハの東約65Kmにあるボヘミアの町です。
セドレツはクトナー・ホラから北東1.5kmにある場所です。
クトナー・ホラでは13世紀に銀山が発見され、そこから繁栄が始まります。
中世ではプラハに次ぐボヘミア王国第2の都市として栄えました。
聖バルバラ教会は鉱山労働者の守護聖人である聖バルボラを記念して建設され、ドイツ出身の建築家ペトル・パルレーシュの設計による後期ゴシック様式の珠玉といわれる五廊式の大聖堂です。
そのほかにはイタリア宮(イタリアン・コート)と呼ばれている旧王宮、ヴラシュスキー宮などがあり、ヴラシュスキー宮にはかつて王国造幣局がおかれ、クトナー・ホラ産出の銀を銀貨(プラハ・グロシュ)に鋳造していました。
しかし、鉱山はフス戦争(1413-36年)、30年戦争(1618-48年)などの影響で荒廃し、18世紀には廃坑となりました。
クトナー・ホラ:聖バルバラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市 Kutna' Hora: Historical Town Centre with the Church of St Barbara and the Cathedral of Our Lady at Sedlec 所在国:チェコ 世界遺産登録:1995年 種類:文化遺産 |
クトナー・ホラはチェコ中部、プラハの東約65Kmにあるボヘミアの町です。
セドレツはクトナー・ホラから北東1.5kmにある場所です。
クトナー・ホラでは13世紀に銀山が発見され、そこから繁栄が始まります。
中世ではプラハに次ぐボヘミア王国第2の都市として栄えました。
聖バルバラ教会は鉱山労働者の守護聖人である聖バルボラを記念して建設され、ドイツ出身の建築家ペトル・パルレーシュの設計による後期ゴシック様式の珠玉といわれる五廊式の大聖堂です。
そのほかにはイタリア宮(イタリアン・コート)と呼ばれている旧王宮、ヴラシュスキー宮などがあり、ヴラシュスキー宮にはかつて王国造幣局がおかれ、クトナー・ホラ産出の銀を銀貨(プラハ・グロシュ)に鋳造していました。
しかし、鉱山はフス戦争(1413-36年)、30年戦争(1618-48年)などの影響で荒廃し、18世紀には廃坑となりました。