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カディーシャ渓谷(聖なる谷)と神のスギの森(ホルシュ・アルツ・エル-ラーブ)
「カディーシャ渓谷(聖なる谷)と神のスギの森(ホルシュ・アルツ・エル-ラーブ)」は、レバノンの中央部レバノン山脈にあり、今では絶滅が危惧されているレバノン杉の自生地であるカディーシャ渓谷が世界遺産として登録されました。
レバノン杉は紀元前からフェニキア人が地中海交易などで使われたガレー船(大型船)や船舶の建造材として盛んに使用されました。
レバノン杉はマツ科ヒマラヤスギ属に属する針葉樹であり、大型で良質の木材です。
古代においては、中近東一帯に広く自生していました。
しかし、良質な木材であり需要が多く、結局、乱伐がたたり自生地域はレバノンのカディーシャ渓谷のみとなりました。
現在は1200本程度が残るだけになっています。
また樹齢1200年以上のものが、400本ほどしか残っていません。
カディーシャ渓谷はレバノン山脈のコルネ・エル・サウダ山(標高3,087m)の山域にあり、レバノンで一番の景観とも言われています。
レバノンの国旗を見るとレバノン杉が描かれており、レバノン杉とレバノンのつながりの強さがしのばれます。
カディーシャ渓谷(聖なる谷)と神のスギの森(ホルシュ・アルツ・エル-ラーブ) Ouadi Qadisha (the Holy Valley) and the Forest of the Cedars of God (Horsh Arz el-Rab) 所在国:レバノン 世界遺産登録:1998年 種類:文化遺産 |
「カディーシャ渓谷(聖なる谷)と神のスギの森(ホルシュ・アルツ・エル-ラーブ)」は、レバノンの中央部レバノン山脈にあり、今では絶滅が危惧されているレバノン杉の自生地であるカディーシャ渓谷が世界遺産として登録されました。
レバノン杉は紀元前からフェニキア人が地中海交易などで使われたガレー船(大型船)や船舶の建造材として盛んに使用されました。
レバノン杉はマツ科ヒマラヤスギ属に属する針葉樹であり、大型で良質の木材です。
古代においては、中近東一帯に広く自生していました。
しかし、良質な木材であり需要が多く、結局、乱伐がたたり自生地域はレバノンのカディーシャ渓谷のみとなりました。
現在は1200本程度が残るだけになっています。
また樹齢1200年以上のものが、400本ほどしか残っていません。
カディーシャ渓谷はレバノン山脈のコルネ・エル・サウダ山(標高3,087m)の山域にあり、レバノンで一番の景観とも言われています。
レバノンの国旗を見るとレバノン杉が描かれており、レバノン杉とレバノンのつながりの強さがしのばれます。
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エヴォラ歴史地区
エヴォラ (Evora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町です。
エヴォラは紀元前ローマ帝国時代から続く歴史の古い町です。
紀元前57年、エヴォラは、共和制ローマの支配下に入り、町の中心部には、コリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られました。
以降、様々な支配者が治めることとなります。
そのためエヴォラに現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々です。
エヴォラの支配者の変遷を見ても、共和制ローマ、4世紀にはキリスト教が浸透し、民族移動時代にはエヴォラは、西ゴート族の領土となりました。
続いて715年、ターリク・イブン・ズィヤード率いるムーア人がエヴォラを征服し、イスラムの統治下になり、統治は1165年にまで及びました。
1166年にはイスラムの統治から外れ、アフォンソ1世の統治下に入りました。
その後、15世紀にかけて、ポルトガルは経済的繁栄を築き、ブルゴーニュ王朝、アヴィシュ王朝の時代にはポルトガル国王はエヴォラに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設されました。
特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、エヴォラはルネサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌやポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィンセントといった芸術家が集まりました。
現在のエヴォラで有名な歴史的建造物は、アグア・デ・ラプラタ送水路、エヴォラ大聖堂、サンフランシスコ教会、ヴァスコ・ダ・ガマ邸宅などがあります。
エヴォラ歴史地区 Historic Centre of Evora 所在国:ポルトガル 世界遺産登録:1986年 種類:文化遺産 |
エヴォラ (Evora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町です。
エヴォラは紀元前ローマ帝国時代から続く歴史の古い町です。
紀元前57年、エヴォラは、共和制ローマの支配下に入り、町の中心部には、コリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られました。
以降、様々な支配者が治めることとなります。
そのためエヴォラに現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々です。
エヴォラの支配者の変遷を見ても、共和制ローマ、4世紀にはキリスト教が浸透し、民族移動時代にはエヴォラは、西ゴート族の領土となりました。
続いて715年、ターリク・イブン・ズィヤード率いるムーア人がエヴォラを征服し、イスラムの統治下になり、統治は1165年にまで及びました。
1166年にはイスラムの統治から外れ、アフォンソ1世の統治下に入りました。
その後、15世紀にかけて、ポルトガルは経済的繁栄を築き、ブルゴーニュ王朝、アヴィシュ王朝の時代にはポルトガル国王はエヴォラに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設されました。
特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、エヴォラはルネサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌやポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィンセントといった芸術家が集まりました。
現在のエヴォラで有名な歴史的建造物は、アグア・デ・ラプラタ送水路、エヴォラ大聖堂、サンフランシスコ教会、ヴァスコ・ダ・ガマ邸宅などがあります。
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ヴェゼール渓谷の先史時代史跡群と洞窟壁画群
皆さんはラスコーの壁画のことを聞いたことがありますか?先史時代の洞窟壁画では常に紹介されることで非常に有名です。
さらに人類の祖先であるクロマニヨン人の人骨が発見されたクロマニョン洞窟などがヴェゼール渓谷の先史時代史跡群と洞窟壁画群に含まれています。
これらは時代考証的に1〜3万年前といわれており、ラスコーの壁画はクロマニヨン人が描いたとされています。
壁画は牛、馬、鹿などが描かれいづれも彩色画や線で描いた線刻画です。
彩色画は、赤、黒、黄色などで描かれ、その躍動感から今にも動きそうな見事な描かれ方です。
これらの洞窟や遺跡はヴェゼール渓谷にそって16箇所も発見されており、その距離は20Kmにもおよびます。
最初の発見の契機は、この地方の子供が偶然、洞窟に入り込んだことから発見につながりました。
その当時の保存状態は奇跡的なものでしたが、その後、公開が進むにつれ人間が入り込むことで保存状態に懸念をもたれるような状態になっています。
ヴェゼール渓谷の先史時代史跡群と洞窟壁画群 Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Ve'ze`re Valley 所在国:フランス 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
皆さんはラスコーの壁画のことを聞いたことがありますか?先史時代の洞窟壁画では常に紹介されることで非常に有名です。
さらに人類の祖先であるクロマニヨン人の人骨が発見されたクロマニョン洞窟などがヴェゼール渓谷の先史時代史跡群と洞窟壁画群に含まれています。
これらは時代考証的に1〜3万年前といわれており、ラスコーの壁画はクロマニヨン人が描いたとされています。
壁画は牛、馬、鹿などが描かれいづれも彩色画や線で描いた線刻画です。
彩色画は、赤、黒、黄色などで描かれ、その躍動感から今にも動きそうな見事な描かれ方です。
これらの洞窟や遺跡はヴェゼール渓谷にそって16箇所も発見されており、その距離は20Kmにもおよびます。
最初の発見の契機は、この地方の子供が偶然、洞窟に入り込んだことから発見につながりました。
その当時の保存状態は奇跡的なものでしたが、その後、公開が進むにつれ人間が入り込むことで保存状態に懸念をもたれるような状態になっています。