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コナーラクの太陽神寺院
インド東部のコナーラク。
コナーラクは、プリー郊外(東へ35km)にあります。
ガンガ朝時代は海洋貿易港として栄えていまいした。
「太陽のあるところ」を意味するこの地に、太陽神を祀るヒンドゥー教のスールヤ寺院があります。
スールヤは太陽の神様で、7頭立ての馬車に乗って、日々、東の空から西の空へ駆けるのだと信じられてきました。
13世紀、この地を支配していたナラシンハデーヴァ一世は、建物自体をスールヤが乗る馬車に見立てた巨大な寺院を作りました。
一説には、侵攻してきたイスラム軍との戦いに勝った記念だったとも言われます。
中世のオリッサ地方(かつてのカリンガ地方)に君臨した後期ガンガ朝(10〜15世紀)の庇護のもと、独自のヒンディ文化が成熟しました。
オリッサ地方に建つヒンディ寺院は「オリッサ様式」で建てられています。
ベンガルの詩人タゴールは太陽神寺院を見て感動し、「ここでは人間の言葉は石の言葉に打ち負かされてしまう」と述べました。
コナラクの太陽神寺院はその巨大さと壁面を飾る数々の美しい彫刻により世界遺産に指定されています。
コナーラクの太陽神寺院 Gyeongju Historic Areas 所在国:インド 世界遺産登録:1984年 種類:文化遺産 |
インド東部のコナーラク。
コナーラクは、プリー郊外(東へ35km)にあります。
ガンガ朝時代は海洋貿易港として栄えていまいした。
「太陽のあるところ」を意味するこの地に、太陽神を祀るヒンドゥー教のスールヤ寺院があります。
スールヤは太陽の神様で、7頭立ての馬車に乗って、日々、東の空から西の空へ駆けるのだと信じられてきました。
13世紀、この地を支配していたナラシンハデーヴァ一世は、建物自体をスールヤが乗る馬車に見立てた巨大な寺院を作りました。
一説には、侵攻してきたイスラム軍との戦いに勝った記念だったとも言われます。
中世のオリッサ地方(かつてのカリンガ地方)に君臨した後期ガンガ朝(10〜15世紀)の庇護のもと、独自のヒンディ文化が成熟しました。
オリッサ地方に建つヒンディ寺院は「オリッサ様式」で建てられています。
ベンガルの詩人タゴールは太陽神寺院を見て感動し、「ここでは人間の言葉は石の言葉に打ち負かされてしまう」と述べました。
コナラクの太陽神寺院はその巨大さと壁面を飾る数々の美しい彫刻により世界遺産に指定されています。
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アフラージュ、オマーンの灌漑システム
アラビア半島の海洋国、オマーン。
正式の国名は、オマーン・スルタン国といいます。
スルタンとはイスラム教国の君主のことで、英語名を直訳すると、「スルタンの領地・オマーン」ということになります。
オマーン国内には現在でも灌漑用水路は3000ヶ所以上あります。
灌漑用水路のこのシステムの起源は西暦500年にさかのぼるかもしれません。
考古学上で言うならば、潅漑システムが西暦紀元前2,500年にさかのぼるとも考えられています。
この潅漑システムの特徴は、資源の均等な共同使用が目的になっており、地下の源あるいは泉から重力を使って水を数キロ先の農地や家庭の住宅へ送り込まれいます。
また、給水システムを警備するために作られた多数の見張り塔が建てられています。
オマーン国内の5つの灌漑用水路が2006年にユネスコ世界遺産に指定されました。
アフラージュ、オマーンの灌漑システム Aflaj Irrigation System of Oman 所在国:オマーン国 世界遺産登録:2006年 種類:文化遺産 |
アラビア半島の海洋国、オマーン。
正式の国名は、オマーン・スルタン国といいます。
スルタンとはイスラム教国の君主のことで、英語名を直訳すると、「スルタンの領地・オマーン」ということになります。
オマーン国内には現在でも灌漑用水路は3000ヶ所以上あります。
灌漑用水路のこのシステムの起源は西暦500年にさかのぼるかもしれません。
考古学上で言うならば、潅漑システムが西暦紀元前2,500年にさかのぼるとも考えられています。
この潅漑システムの特徴は、資源の均等な共同使用が目的になっており、地下の源あるいは泉から重力を使って水を数キロ先の農地や家庭の住宅へ送り込まれいます。
また、給水システムを警備するために作られた多数の見張り塔が建てられています。
オマーン国内の5つの灌漑用水路が2006年にユネスコ世界遺産に指定されました。
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仏陀の生誕地ルンビニ
ルンビニは、ネパールの西部タライ盆地にある小さな村です。
釈迦(如来)の生まれた地として有名です。
ヒマラヤ山脈南麓にあるルンビニは、仏教の八大聖地の1つでもあります。
紀元前6世紀、この地で釈迦族の王妃が満開の無憂樹に手をかけると、右腋から赤子が生まれ落ち、地面に忽然と現れた蓮の花に降り立ちました。
舞い降りた天人が赤子に香水を注ぎ誕生を祝うと、赤子は7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えたといいます。
6世紀頃、その地にマーヤーデビ寺院が建立され、巡礼地として栄えましたが、14世紀の記録を最後に忘れ去られてしまいます。
1896年、ドイツ人考古学者によって廃墟の中からアショーカ王が残した石柱が発見された後、ルンビニー聖園として整備され、巡礼地として蘇りました。
マーヤー・デーヴィ寺院を中心に、アショーカ王が巡礼したときに建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池などが残っています。
1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
仏陀の生誕地ルンビニ Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha 所在国:ネパール 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
ルンビニは、ネパールの西部タライ盆地にある小さな村です。
釈迦(如来)の生まれた地として有名です。
ヒマラヤ山脈南麓にあるルンビニは、仏教の八大聖地の1つでもあります。
紀元前6世紀、この地で釈迦族の王妃が満開の無憂樹に手をかけると、右腋から赤子が生まれ落ち、地面に忽然と現れた蓮の花に降り立ちました。
舞い降りた天人が赤子に香水を注ぎ誕生を祝うと、赤子は7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えたといいます。
6世紀頃、その地にマーヤーデビ寺院が建立され、巡礼地として栄えましたが、14世紀の記録を最後に忘れ去られてしまいます。
1896年、ドイツ人考古学者によって廃墟の中からアショーカ王が残した石柱が発見された後、ルンビニー聖園として整備され、巡礼地として蘇りました。
マーヤー・デーヴィ寺院を中心に、アショーカ王が巡礼したときに建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池などが残っています。
1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。