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セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群
セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群は、ロシア連邦の学問と宗教の中心として栄えた町セルギエフ・ポサドの文化的街並と街中にあるトロイツェ・セルギー大修道院群を指す文化遺産で、モスクワの北東約70kmに位置しています。
14世紀にセント・セルギー・ラドネシスキーが人里はなれた森林の中に小屋と聖堂を建てたのを起源に、さまざまな寺院や修道院が建造されたのが、トロイツェ・セルギー大修道院の建造物群で、イヴァン皇帝により1584年に造られた延長1km、高さ15mの城壁に囲まれたエリアに青い玉ねぎ型の円蓋が三つ連なったウスペンスキー寺院や、トロイツキー寺院、ドゥホフスカヤ聖堂が残されおり、五重に連なった鐘楼は、優雅さと美しさを誇っています。
セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群 Architectural Ensemble of the Trinity-Sergius Lavra in Sergiev Posad 所在国:ロシア連邦 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群は、ロシア連邦の学問と宗教の中心として栄えた町セルギエフ・ポサドの文化的街並と街中にあるトロイツェ・セルギー大修道院群を指す文化遺産で、モスクワの北東約70kmに位置しています。
14世紀にセント・セルギー・ラドネシスキーが人里はなれた森林の中に小屋と聖堂を建てたのを起源に、さまざまな寺院や修道院が建造されたのが、トロイツェ・セルギー大修道院の建造物群で、イヴァン皇帝により1584年に造られた延長1km、高さ15mの城壁に囲まれたエリアに青い玉ねぎ型の円蓋が三つ連なったウスペンスキー寺院や、トロイツキー寺院、ドゥホフスカヤ聖堂が残されおり、五重に連なった鐘楼は、優雅さと美しさを誇っています。
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聖地アヌラーダプラ
聖地アヌラーダプラは、スリランカ民主社会主義共和国の最古の首都で、古代シンハラ王朝の都としても栄えたスリランカ中北部の町です。
紀元前4世紀から約600年間、首都として繁栄したものの、13世紀頃に王位継承争いなどで政情が不安定に陥ったことで、衰退してしまい、ジャングルと化してしまいました。
聖地アヌラーダプラは、狩人や掃除夫、異教徒や外国人の住宅地、カーストによる墓地など考えられた都市計画のもと発展し、病院や宿泊所などもあり、当時の生活レベルの高さを知ることができます。
聖地アヌラーダプラの中心には、都市計画と同様に当時の繁栄を思わせる世界最古と言われる樹齢2000年以上のスリマハ菩提樹や、高さ100mにもおよぶ世界最大の仏塔ルヴァンベリセヤ大塔、スリランカ最古と言われる仏塔ツパラマ・ダガバ、黄銅宮殿、イスルムニヤ寺跡などが残されています。
聖地アヌラーダプラ Sacred City of Anuradhapura 所在国:スリランカ民主社会主義共和国 世界遺産登録:1982年 種類:文化遺産 |
聖地アヌラーダプラは、スリランカ民主社会主義共和国の最古の首都で、古代シンハラ王朝の都としても栄えたスリランカ中北部の町です。
紀元前4世紀から約600年間、首都として繁栄したものの、13世紀頃に王位継承争いなどで政情が不安定に陥ったことで、衰退してしまい、ジャングルと化してしまいました。
聖地アヌラーダプラは、狩人や掃除夫、異教徒や外国人の住宅地、カーストによる墓地など考えられた都市計画のもと発展し、病院や宿泊所などもあり、当時の生活レベルの高さを知ることができます。
聖地アヌラーダプラの中心には、都市計画と同様に当時の繁栄を思わせる世界最古と言われる樹齢2000年以上のスリマハ菩提樹や、高さ100mにもおよぶ世界最大の仏塔ルヴァンベリセヤ大塔、スリランカ最古と言われる仏塔ツパラマ・ダガバ、黄銅宮殿、イスルムニヤ寺跡などが残されています。
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城塞都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔
城塞都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔は、アゼルバイジャン共和国のカスピ海南西に面するアブセロン半島にある油田都市バクーの旧市街を指定した文化遺産です。
ペルシア語で『風の吹く町』という意味を持つバクーは、城壁が海岸ギリギリに築かれており、その城壁内はアゼルバイジャン語で『内城』を意味する『イチェリ・シェヘル』と呼ばれています。
城塞都市バクーは、5世紀頃からあったとされ、シルヴァン王朝の首都として栄えたが、1538年にサファヴィー朝の支配を受け、1585年にはオスマン帝国に征服されてしまいました。
城塞都市バクーの街中には見張りの塔として使われた奇妙な楕円形をした乙女の塔や歴史的中央広場を中心に、ゾロアスター教、ペルシア、アラビア、オスマン帝国、ロシアなどの影響を受けた歴史的建造物が多く残されており、2000年には文化遺産として世界遺産登録されていますが、保護政策の欠如による都市開発の進行や、2001年11月の大地震の影響もあり、2003年から危機遺産として登録されています。
城塞都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔 Walled City of Baku with the Shirvanshah's Palace and Maiden Tower 所在国:アゼルバイジャン共和国 世界遺産登録:2000年 種類:文化遺産 |
城塞都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔は、アゼルバイジャン共和国のカスピ海南西に面するアブセロン半島にある油田都市バクーの旧市街を指定した文化遺産です。
ペルシア語で『風の吹く町』という意味を持つバクーは、城壁が海岸ギリギリに築かれており、その城壁内はアゼルバイジャン語で『内城』を意味する『イチェリ・シェヘル』と呼ばれています。
城塞都市バクーは、5世紀頃からあったとされ、シルヴァン王朝の首都として栄えたが、1538年にサファヴィー朝の支配を受け、1585年にはオスマン帝国に征服されてしまいました。
城塞都市バクーの街中には見張りの塔として使われた奇妙な楕円形をした乙女の塔や歴史的中央広場を中心に、ゾロアスター教、ペルシア、アラビア、オスマン帝国、ロシアなどの影響を受けた歴史的建造物が多く残されており、2000年には文化遺産として世界遺産登録されていますが、保護政策の欠如による都市開発の進行や、2001年11月の大地震の影響もあり、2003年から危機遺産として登録されています。