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ザンクト・ガレンの修道院
ザンクト・ガレンの修道院Convent of St Gallはアイルランドから来た聖ガルスが613年に設立した野がその始まりといわれています。
修道院となったのはだいぶ後になるのですが、その名(同時にこの修道院のもとで発達した町の名)は、聖ガルスにちなんでいます。
現在残る建物は1755年から1768年に建設された後期バロック様式のもので、カテドラルの内装はスイスに現存するバロック様式をとどめるものの中でも最も重要なもののひとつと見なされている。
現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないのですが、バロック建築の傑作として評価されている。
また、かつて何世紀にも渡りベネディクト会の中心的修道院のひとつであったこの修道院の付属図書館には、数多くの写本や稀観書が収蔵されています。
1000年の歴史を誇った修道院は1805年に閉鎖されましたが、図書館は今も開かれヨーロッパ精神の根源が伺える場所となっています。
ザンクト・ガレンの修道院 Convent of St Gall 所在国:スイス 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
ザンクト・ガレンの修道院Convent of St Gallはアイルランドから来た聖ガルスが613年に設立した野がその始まりといわれています。
修道院となったのはだいぶ後になるのですが、その名(同時にこの修道院のもとで発達した町の名)は、聖ガルスにちなんでいます。
現在残る建物は1755年から1768年に建設された後期バロック様式のもので、カテドラルの内装はスイスに現存するバロック様式をとどめるものの中でも最も重要なもののひとつと見なされている。
現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないのですが、バロック建築の傑作として評価されている。
また、かつて何世紀にも渡りベネディクト会の中心的修道院のひとつであったこの修道院の付属図書館には、数多くの写本や稀観書が収蔵されています。
1000年の歴史を誇った修道院は1805年に閉鎖されましたが、図書館は今も開かれヨーロッパ精神の根源が伺える場所となっています。
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ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)Kernave Archaeological Site (Cultural Reserve of Kernave)旧石器時代後期から中世時代の居住跡、要塞、埋葬遺跡などが今でも数多く残っている。
バルト地方の人々の生活を研究する上で最も重要な場所がケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)です。
ケルナヴェ考古遺跡は以下の基準で世界遺産に登録されてました。
ケルナヴェ考古遺跡は10000年余りに及ぶバルト海地域の人類集落の発展の稀な証拠を表しており、土着信仰とキリスト教の葬儀の伝統の接触の稀な証拠を有している。
この遺跡の集落の形式と丘の要塞は先キリスト教時代における類型の構造物の発展とそれらの使用の歴史の顕著な例を表している。
となっています。
旅行社のツアーコースには入っていませんが考古学ファンにとってはマニアックな場所として知られているようです。
ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区) Kernave Archaeological Site (Cultural Reserve of Kernave) 所在国:リトアニア 世界遺産登録:2004年 種類:文化遺産 |
ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)Kernave Archaeological Site (Cultural Reserve of Kernave)旧石器時代後期から中世時代の居住跡、要塞、埋葬遺跡などが今でも数多く残っている。
バルト地方の人々の生活を研究する上で最も重要な場所がケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)です。
ケルナヴェ考古遺跡は以下の基準で世界遺産に登録されてました。
ケルナヴェ考古遺跡は10000年余りに及ぶバルト海地域の人類集落の発展の稀な証拠を表しており、土着信仰とキリスト教の葬儀の伝統の接触の稀な証拠を有している。
この遺跡の集落の形式と丘の要塞は先キリスト教時代における類型の構造物の発展とそれらの使用の歴史の顕著な例を表している。
となっています。
旅行社のツアーコースには入っていませんが考古学ファンにとってはマニアックな場所として知られているようです。
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ゲハルト修道院とアザート川上流域
ゲハルト修道院とアザート川上流域Monastery of Geghard and the Upper Azat Valleyは渓谷の岩壁に囲まれた4世紀建造の修道院で洞穴の中にあります。
ゲガルドはアルメニア語で槍を意味し、キリストの脇腹を刺したと伝えられる槍が収められてたことからこの名がついたとされています。
この槍は現在は、エチミアジン大聖堂に所蔵されています。
ゲハルト修道院は、岩壁に囲まれた標高1750mのアザート渓谷にあり、4世紀ごろ、迫害を逃れた各国のキリスト教修道士たちがアルメニアに集まり、岩壁をくり抜いて3層の主聖堂や廟、僧房などを建造しました。
主聖堂は黒い玄武岩です。
堂内は洞窟そのもの。
丸天井の明かり採りがあり、そこから差し込む光が、堂内をぼんやりと映し出す質素なつくりで、祭壇があり、装飾を施した柱がある程度のおよそ他のキリスト教会の華々しさはありません。
ゲハルト修道院とアザート川上流域 Monastery of Geghard and the Upper Azat Valley 所在国:アルメニア 世界遺産登録:2000年 種類:文化遺産 |
ゲハルト修道院とアザート川上流域Monastery of Geghard and the Upper Azat Valleyは渓谷の岩壁に囲まれた4世紀建造の修道院で洞穴の中にあります。
ゲガルドはアルメニア語で槍を意味し、キリストの脇腹を刺したと伝えられる槍が収められてたことからこの名がついたとされています。
この槍は現在は、エチミアジン大聖堂に所蔵されています。
ゲハルト修道院は、岩壁に囲まれた標高1750mのアザート渓谷にあり、4世紀ごろ、迫害を逃れた各国のキリスト教修道士たちがアルメニアに集まり、岩壁をくり抜いて3層の主聖堂や廟、僧房などを建造しました。
主聖堂は黒い玄武岩です。
堂内は洞窟そのもの。
丸天井の明かり採りがあり、そこから差し込む光が、堂内をぼんやりと映し出す質素なつくりで、祭壇があり、装飾を施した柱がある程度のおよそ他のキリスト教会の華々しさはありません。