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ルーレオーのガンメルスタードの教会街
ルーレオーのガンメルスタードの教会街は、スウェーデン北部、フィンランド国境と間近な都市であるルーレオ内のガンメルスタード村にあります。
ガンメルスタードの歴史は15世紀初頭に、スウェーデン貴族が建てた教会を中心に、ルーレオ川の西側に信者たちがコテージを建てて住み始めたり、遠方から来た信者の為に簡易宿泊所を作ったことに由来します。
17世紀には、ルーレ川の東側に新しく住宅街が建設され始めましたが、西側に住んでいた人たちは、そのまま住み続けました。
このことが結果として、ルーレオ川西側に、中世の面影そのままの、平屋建ての木造家屋が現在まで残存することになったのです。
また、ガンメルスタードのルーツといえる、カトリックの教会は、スウェーデン北部の中世聖堂としては、もっとも大きい建築物であり、北部地方最古の教会でもあります。
ルーレオーのガンメルスタードの教会街 Church Village of Gammelstad, Lulea 所在国:スウェーデン 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ルーレオーのガンメルスタードの教会街は、スウェーデン北部、フィンランド国境と間近な都市であるルーレオ内のガンメルスタード村にあります。
ガンメルスタードの歴史は15世紀初頭に、スウェーデン貴族が建てた教会を中心に、ルーレオ川の西側に信者たちがコテージを建てて住み始めたり、遠方から来た信者の為に簡易宿泊所を作ったことに由来します。
17世紀には、ルーレ川の東側に新しく住宅街が建設され始めましたが、西側に住んでいた人たちは、そのまま住み続けました。
このことが結果として、ルーレオ川西側に、中世の面影そのままの、平屋建ての木造家屋が現在まで残存することになったのです。
また、ガンメルスタードのルーツといえる、カトリックの教会は、スウェーデン北部の中世聖堂としては、もっとも大きい建築物であり、北部地方最古の教会でもあります。
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ロードス島の中世都市
ロードス島は、エーゲ海南東部に位置するドデカニサ諸島の中でもっとも大きい島です。
ロードスという名前はギリシャ語で「バラ」の意味です。
ロードス島には、新石器時代から人が住んでいたとされており、紀元前2世紀ごろには、エジプトのプトレマイオス朝との交易の拠点として、エーゲ海における通商の覇者として栄えました。
その後ローマに征服されてからは、一旦衰退しましたが、14〜16世紀に、十字軍の聖ヨハネ騎士団が、エルサレムの守護に破れてロードス島を拠点にしてから、再興しました。
イスラム勢力のトルコ軍に対抗できるよう、全長4キロにもおよぶ、壕を巡らした強固な城塞を築き上げました。
城壁の内側には、ゴシック様式の騎士団の宮殿や館が建てられました。
現在でも、旧市街の石畳や騎士団通りなどに、当時の面影がうかがえます。
また、ロードス島は、これ以外にも、世界7不思議の一つである、ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)があったことでも知られています。
ロードス島の中世都市 Medieval City of Rhodes 所在国:ギリシャ 世界遺産登録:1988年 種類:文化遺産 |
ロードス島は、エーゲ海南東部に位置するドデカニサ諸島の中でもっとも大きい島です。
ロードスという名前はギリシャ語で「バラ」の意味です。
ロードス島には、新石器時代から人が住んでいたとされており、紀元前2世紀ごろには、エジプトのプトレマイオス朝との交易の拠点として、エーゲ海における通商の覇者として栄えました。
その後ローマに征服されてからは、一旦衰退しましたが、14〜16世紀に、十字軍の聖ヨハネ騎士団が、エルサレムの守護に破れてロードス島を拠点にしてから、再興しました。
イスラム勢力のトルコ軍に対抗できるよう、全長4キロにもおよぶ、壕を巡らした強固な城塞を築き上げました。
城壁の内側には、ゴシック様式の騎士団の宮殿や館が建てられました。
現在でも、旧市街の石畳や騎士団通りなどに、当時の面影がうかがえます。
また、ロードス島は、これ以外にも、世界7不思議の一つである、ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)があったことでも知られています。
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アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群
アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群は、フランスは南部のプロヴァンス地方にある文化遺産です。
紀元前一世紀にローマ人によってフランスが支配された際の首府となり栄えましたが、その後、中世でも、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の始点になったことで宗教都市としても発展したことから、古代ローマと中世という二つの時代の遺跡が混在しています。
ローマ時代の遺跡としての見ものとして筆頭に挙げられるのは、円形闘技場と古代劇場です。
一世紀末に建設されたという闘技場は2層(当時は3層)で60のアーチが周囲を取り囲み、2万人以上もの観客を収容できたとされています。
現在でも、闘牛などに使用されています。
古代劇場は、紀元前1世紀ごろに作られましたが、中世には教会建築として石材が切り出されたり、要塞に改築されたりしたこともあって、現在では、大理石の柱が残存しているだけです。
ここで発掘されたアルルのヴィーナス像は、ルーブル美術館で観ることが出来ます。
他のローマ時代の遺跡としては、地下回廊とフォルム(Cryptoportiques et forum romain)、コンスタンティヌスの公衆浴場(Thermes de Constantin)、ローマの城壁 (Remparts du castrum romain)、大墓地アリスカン(Les Alyscamps)が現存しています。
中世の遺跡としての代表である、サン=トロフィーム教会 (L'eglise St-Trophine)はロマネスク様式の美しい彫刻で有名です。
そもそもは、アルルの聖トロフィムスの聖遺物を納めるために7世紀に建造されたのですが、12世紀にロマネスク様式に改築されました。
アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群 Arles, Roman and Romanesque Monuments 所在国:フランス 世界遺産登録:1981年 種類:文化遺産 |
アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群は、フランスは南部のプロヴァンス地方にある文化遺産です。
紀元前一世紀にローマ人によってフランスが支配された際の首府となり栄えましたが、その後、中世でも、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の始点になったことで宗教都市としても発展したことから、古代ローマと中世という二つの時代の遺跡が混在しています。
ローマ時代の遺跡としての見ものとして筆頭に挙げられるのは、円形闘技場と古代劇場です。
一世紀末に建設されたという闘技場は2層(当時は3層)で60のアーチが周囲を取り囲み、2万人以上もの観客を収容できたとされています。
現在でも、闘牛などに使用されています。
古代劇場は、紀元前1世紀ごろに作られましたが、中世には教会建築として石材が切り出されたり、要塞に改築されたりしたこともあって、現在では、大理石の柱が残存しているだけです。
ここで発掘されたアルルのヴィーナス像は、ルーブル美術館で観ることが出来ます。
他のローマ時代の遺跡としては、地下回廊とフォルム(Cryptoportiques et forum romain)、コンスタンティヌスの公衆浴場(Thermes de Constantin)、ローマの城壁 (Remparts du castrum romain)、大墓地アリスカン(Les Alyscamps)が現存しています。
中世の遺跡としての代表である、サン=トロフィーム教会 (L'eglise St-Trophine)はロマネスク様式の美しい彫刻で有名です。
そもそもは、アルルの聖トロフィムスの聖遺物を納めるために7世紀に建造されたのですが、12世紀にロマネスク様式に改築されました。