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ベリーズのバリア・リーフ保護区
ベリーズのバリア・リーフ保護区は、オーストラリアのグレートバリアリーフに次ぐ世界第二の大きさを誇るサンゴ礁です。
カリブ海に面するユカタン半島南部の東海岸に沿って約200kmものびたサンゴ礁は、陸地と外洋を隔てる防波堤のように広がっています。
ベリーズのバリア・リーフ保護区の中には、『海の怪物の寝床』と呼ばれるひときわ美しく神秘的なブルー・ホールがあります。
浅いサンゴ礁の中で、直径約300mの部分だけ深さが同じく約300mもあることが、そのブルーホールの正体ですが、大昔の鍾乳洞が海底に沈んでしまったあとに、水圧で天井が崩れ落ちたものと考えられています。
ベリーズのバリア・リーフ保護区内には、絶滅の危機にあるアメリカマナティやウミガメなど、さまざまな動物も棲息しています。
そのさまざまな海の生き物の生態系を支えているのが、保護区内に無数に存在するサンゴのかけらが堆積した小島です。
それらの小島には、マングローブが生い茂り、その落ち葉などから沁み出す有機物が海に栄養を与えています。
それらは、キー(caye)と呼ばれ、175以上あると言われています。
ベリーズのバリア・リーフ保護区 Belize Barrier Reef Reserve System 所在国:ベリーズ 世界遺産登録:1996年 種類:自然遺産 |
ベリーズのバリア・リーフ保護区は、オーストラリアのグレートバリアリーフに次ぐ世界第二の大きさを誇るサンゴ礁です。
カリブ海に面するユカタン半島南部の東海岸に沿って約200kmものびたサンゴ礁は、陸地と外洋を隔てる防波堤のように広がっています。
ベリーズのバリア・リーフ保護区の中には、『海の怪物の寝床』と呼ばれるひときわ美しく神秘的なブルー・ホールがあります。
浅いサンゴ礁の中で、直径約300mの部分だけ深さが同じく約300mもあることが、そのブルーホールの正体ですが、大昔の鍾乳洞が海底に沈んでしまったあとに、水圧で天井が崩れ落ちたものと考えられています。
ベリーズのバリア・リーフ保護区内には、絶滅の危機にあるアメリカマナティやウミガメなど、さまざまな動物も棲息しています。
そのさまざまな海の生き物の生態系を支えているのが、保護区内に無数に存在するサンゴのかけらが堆積した小島です。
それらの小島には、マングローブが生い茂り、その落ち葉などから沁み出す有機物が海に栄養を与えています。
それらは、キー(caye)と呼ばれ、175以上あると言われています。
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ホヤ・デ・セレンの古代遺跡
ホヤ・デ・セレンの考代遺跡は、6世紀末のカルデラ火山の大噴火により埋没してしまい、1976年に人類学者であるペイソン・シーツに発見されるまでの1400年もの間、火山灰の下に眠り続けていたホヤ・デ・セレンという古代マヤ文明時代の村の遺跡です。
ホヤ・デ・セレンは、エルサルバドルの首都であるサン・サルバドルの北西40kmのマヤ南部に属する地域にありますが、その地域は翡翠(ひすい)やカカオがよく収穫され、作物がよく育つよく肥えた土地で『蜜滴る地』と呼ばれていました。
ホヤ・デ・セレンの古代遺跡には、当時の古代マヤ文明の農村集落の生活の様子が推測させるものが多数あります。
畑や作物、農耕器具など当時の様子、住居、集会所、寺院、共同浴場やサウナ、それに、台所用品や織物、食料、陶器、家具、装身具まであり、数少ない農村集落の遺跡の中でも貴重な考古学遺跡です。
ホヤ・デ・セレンの発掘作業は、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没したふたつのローマ帝国の都市、ボンベイとヘルクラネウムの発掘作業と多くの共通点があります。
ホヤ・デ・セレンの古代遺跡 Joya de Ceren Archaeological Site 所在国:エルサルバドル共和国 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
ホヤ・デ・セレンの考代遺跡は、6世紀末のカルデラ火山の大噴火により埋没してしまい、1976年に人類学者であるペイソン・シーツに発見されるまでの1400年もの間、火山灰の下に眠り続けていたホヤ・デ・セレンという古代マヤ文明時代の村の遺跡です。
ホヤ・デ・セレンは、エルサルバドルの首都であるサン・サルバドルの北西40kmのマヤ南部に属する地域にありますが、その地域は翡翠(ひすい)やカカオがよく収穫され、作物がよく育つよく肥えた土地で『蜜滴る地』と呼ばれていました。
ホヤ・デ・セレンの古代遺跡には、当時の古代マヤ文明の農村集落の生活の様子が推測させるものが多数あります。
畑や作物、農耕器具など当時の様子、住居、集会所、寺院、共同浴場やサウナ、それに、台所用品や織物、食料、陶器、家具、装身具まであり、数少ない農村集落の遺跡の中でも貴重な考古学遺跡です。
ホヤ・デ・セレンの発掘作業は、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没したふたつのローマ帝国の都市、ボンベイとヘルクラネウムの発掘作業と多くの共通点があります。
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王立展示館とカールトン庭園
王立展示館とカールトン庭園は、1880年のメルボルン国際博覧会、1888年のオーストラリア植民地生誕100周年記念国際博覧会が開催される際にオーストラリアのヴィクトリア州メルボルン市の中心部に設計された建物です。
王立展示館は、ビザンチン、ロマネスク、イタリアのルネッサンスなど、さまざまな建築様式を取り入れ、石やレンガ、木材、鉄材などを利用して作られており、オーストラリアで最初の大陸ヨーロッパ風建築物といわれています。
オーストラリアは園芸がさかんな地域ですが、カールトン庭園は、そのオーストラリアの中でも有数の庭園のひとつです。
王立展示館とカールトン庭園が建築された目的であるメルボルン国際博覧会は、1851年から1915年の間に世界中の産業見本を展示するという名目で活動しつづけていた国際博覧会の典型的な事例で、王立展示館とカールトン庭園の建築は、その後の世界各地で開催された博覧会の展示に大きな影響を与えたと言われています。
王立展示館とカールトン庭園 Royal Exhibition Building and Carlton Gardens 所在国:オーストラリア 世界遺産登録:2004年 種類:文化遺産 |
王立展示館とカールトン庭園は、1880年のメルボルン国際博覧会、1888年のオーストラリア植民地生誕100周年記念国際博覧会が開催される際にオーストラリアのヴィクトリア州メルボルン市の中心部に設計された建物です。
王立展示館は、ビザンチン、ロマネスク、イタリアのルネッサンスなど、さまざまな建築様式を取り入れ、石やレンガ、木材、鉄材などを利用して作られており、オーストラリアで最初の大陸ヨーロッパ風建築物といわれています。
オーストラリアは園芸がさかんな地域ですが、カールトン庭園は、そのオーストラリアの中でも有数の庭園のひとつです。
王立展示館とカールトン庭園が建築された目的であるメルボルン国際博覧会は、1851年から1915年の間に世界中の産業見本を展示するという名目で活動しつづけていた国際博覧会の典型的な事例で、王立展示館とカールトン庭園の建築は、その後の世界各地で開催された博覧会の展示に大きな影響を与えたと言われています。