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ランスのノートル-ダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院及びト宮殿
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でありましたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設しました。
1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成しました。
ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられました。
最終的な竣工は1345年です。
ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものです。
ノートル-ダム大聖堂は3段で構成され、左右対称に2本の塔が建つ正面です。
細部の彫刻もすばらしい ランスのノートルダムは13世紀早々に着工されたゴシックの大聖堂。
建物の平面設計図はよく計算され、完璧に近い左右対称です。
サン・レミバジリカ聖堂は100年着工の歴史ある聖堂です。
ト宮殿は現在美術館として利用されています。
フランス語でノートルは「私たちの」、ダムは「女性」。
ノートル・ダム大聖堂は聖母マリアに捧げられた大寺院です。
ランスの大聖堂は歴代フランス国王の戴冠聖堂です。
1429年ジャンヌ=ダルクに助けられたシャルル7世もこの聖堂で戴冠式を行っています。
第一次世界大戦中に身廊の天井やステンドグラスなどに多くの損傷を受けたそうですが、現在は修理され美しい姿をみせてくれています。
堂内の全長は139m、幅13m、高さ35m。
フランス盛期ゴシックの女王と称されるそうです。
ランスのノートル-ダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院及びト宮殿 Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Remi and Palace of Tau, Reims 所在国:フランス 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でありましたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設しました。
1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成しました。
ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられました。
最終的な竣工は1345年です。
ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものです。
ノートル-ダム大聖堂は3段で構成され、左右対称に2本の塔が建つ正面です。
細部の彫刻もすばらしい ランスのノートルダムは13世紀早々に着工されたゴシックの大聖堂。
建物の平面設計図はよく計算され、完璧に近い左右対称です。
サン・レミバジリカ聖堂は100年着工の歴史ある聖堂です。
ト宮殿は現在美術館として利用されています。
フランス語でノートルは「私たちの」、ダムは「女性」。
ノートル・ダム大聖堂は聖母マリアに捧げられた大寺院です。
ランスの大聖堂は歴代フランス国王の戴冠聖堂です。
1429年ジャンヌ=ダルクに助けられたシャルル7世もこの聖堂で戴冠式を行っています。
第一次世界大戦中に身廊の天井やステンドグラスなどに多くの損傷を受けたそうですが、現在は修理され美しい姿をみせてくれています。
堂内の全長は139m、幅13m、高さ35m。
フランス盛期ゴシックの女王と称されるそうです。
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ランゲル島保護区の自然生態系
ウランゲル島保護区の自然体系は、シベリアの最北東端から140km、東シベリア海とチュコト海の間、シベリア大陸からはロング海峡を挟んだ位置にあるウランゲル島760870ha、そして、ヒラルド島1130ha、ならびに周辺海域からなっております。
ウランゲル島は、タイヘイヨウ・セイウチの生息数が世界最多、それに、北極熊の生息が最も最適な国のひとつです。
また、メキシコから回遊してくるコククジラの主要な餌場にもなっています。
また、絶滅の危機にある約100種類の渡鳥の最北の繁殖地でもあります。
一方、維管束植物は、これまでに、400以上の種・亜種が確認されています。
また、1989年〜1991年に紀元前2000年までのマンモスの牙、歯、それに骨が発見されています。
1974年に国立自然保護区に指定されたウランゲル島は、 一年を通してツンドラ気候、 東西を低山に囲まれ、 南北は低地、 冬には周辺の海は凍りついてしまいます。
5万年前にはベリンジャー大陸の一部だったが、 温暖化により海抜が上昇し孤立 (一万年ほど前に大陸から分離し、現在では140km程の距離にまでなる)、 そのおかげで島固有の生態系を確立しました。
島には三つの平行した山地が聳え、 最高峰は海抜1000mにもなります。
島の中央部は谷になっており、 外部に比べて気温は暖かく、 植生も豊か。
コケ類など一部の植物を除いて殆どの植物は低地に生息します。
その中には希少種や絶滅危惧種も含まれて降ります。
最後の氷河期、ウランゲリ島にはマンモスが生息していました。
裏付けとして、完新世の矮小化したマンモスの臼歯の化石が発見されております。
このマンモスは島嶼化によって一般的なマンモスより小型でした。
紀元前1700年頃に、最後のマンモスがこの島で原住民に狩猟され、マンモスが絶滅したとも考えられています。
現在はシロクマが子育てのために北極から氷河を渡りやってきて最大のコロニーをつくり、 また、 ハクガンにとって貴重な営巣地でもあります。
同島の自然保護区は、2004年にはユネスコの世界遺産に自然遺産として登録されました。
ランゲル島保護区の自然生態系 Natural System of Wrangel Island Reserve 所在国:ロシア連邦 世界遺産登録: 2004年 種類:自然遺産 |
ウランゲル島保護区の自然体系は、シベリアの最北東端から140km、東シベリア海とチュコト海の間、シベリア大陸からはロング海峡を挟んだ位置にあるウランゲル島760870ha、そして、ヒラルド島1130ha、ならびに周辺海域からなっております。
ウランゲル島は、タイヘイヨウ・セイウチの生息数が世界最多、それに、北極熊の生息が最も最適な国のひとつです。
また、メキシコから回遊してくるコククジラの主要な餌場にもなっています。
また、絶滅の危機にある約100種類の渡鳥の最北の繁殖地でもあります。
一方、維管束植物は、これまでに、400以上の種・亜種が確認されています。
また、1989年〜1991年に紀元前2000年までのマンモスの牙、歯、それに骨が発見されています。
1974年に国立自然保護区に指定されたウランゲル島は、 一年を通してツンドラ気候、 東西を低山に囲まれ、 南北は低地、 冬には周辺の海は凍りついてしまいます。
5万年前にはベリンジャー大陸の一部だったが、 温暖化により海抜が上昇し孤立 (一万年ほど前に大陸から分離し、現在では140km程の距離にまでなる)、 そのおかげで島固有の生態系を確立しました。
島には三つの平行した山地が聳え、 最高峰は海抜1000mにもなります。
島の中央部は谷になっており、 外部に比べて気温は暖かく、 植生も豊か。
コケ類など一部の植物を除いて殆どの植物は低地に生息します。
その中には希少種や絶滅危惧種も含まれて降ります。
最後の氷河期、ウランゲリ島にはマンモスが生息していました。
裏付けとして、完新世の矮小化したマンモスの臼歯の化石が発見されております。
このマンモスは島嶼化によって一般的なマンモスより小型でした。
紀元前1700年頃に、最後のマンモスがこの島で原住民に狩猟され、マンモスが絶滅したとも考えられています。
現在はシロクマが子育てのために北極から氷河を渡りやってきて最大のコロニーをつくり、 また、 ハクガンにとって貴重な営巣地でもあります。
同島の自然保護区は、2004年にはユネスコの世界遺産に自然遺産として登録されました。
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メリダの遺跡群
メリダの遺跡群は1993年に世界遺産に登録された文化遺産です。
メリダは紀元前25年に「エメリタ・アウグスタ」の名前で建てられました。
アウグストゥス帝の命により、グアディアナ川を渡る橋を守るためです。
2つのローマ軍団「第5アラダウエ」と「第10ゲミナ」が入植者となりました。
この都市はローマ属州ルシタニアの州都となり、ローマ帝国でも重要な都市の1つとなりました。
メリダはローマ帝国のアウグストゥスが統治していた時代にイベリア半島におかれた3つの州の1つルシタニア州の都とされたため、数多くの建造物や水道橋などの設備が整えられました。
ローマ帝国滅亡後は衰退してしまったため、現在では小さな地方都市にすぎませんが、今でも使われている半円形のローマ式劇場やローマ橋など見事な遺跡がたくさんあります
セビリアからヒホンへと続く、スペイン「銀の道」の途中にある都市でもあり、観光に行くにははずせない都市です。
グアディアナ川にかかる全長792メートルもあるローマ橋はローマ帝国時代につくられた最も長い橋の一つにあげられます。
6000人収容の劇場は舞台の後方に大理石の柱を神殿風に配置し客席は舞台に向かって半円形に並ぶ豪壮なもの。
トラヤヌス帝時代の凱旋門も、その1つです。
小ローマと呼ばれただけあって、ローマ時代の輝かしい遺跡の数々は歴史の奥深さを物語っています。
メリダの遺跡群 Archaeological Ensemble of Merida 所在国:スペイン 世界遺産登録: 1993年 種類:文化遺産 |
メリダの遺跡群は1993年に世界遺産に登録された文化遺産です。
メリダは紀元前25年に「エメリタ・アウグスタ」の名前で建てられました。
アウグストゥス帝の命により、グアディアナ川を渡る橋を守るためです。
2つのローマ軍団「第5アラダウエ」と「第10ゲミナ」が入植者となりました。
この都市はローマ属州ルシタニアの州都となり、ローマ帝国でも重要な都市の1つとなりました。
メリダはローマ帝国のアウグストゥスが統治していた時代にイベリア半島におかれた3つの州の1つルシタニア州の都とされたため、数多くの建造物や水道橋などの設備が整えられました。
ローマ帝国滅亡後は衰退してしまったため、現在では小さな地方都市にすぎませんが、今でも使われている半円形のローマ式劇場やローマ橋など見事な遺跡がたくさんあります
セビリアからヒホンへと続く、スペイン「銀の道」の途中にある都市でもあり、観光に行くにははずせない都市です。
グアディアナ川にかかる全長792メートルもあるローマ橋はローマ帝国時代につくられた最も長い橋の一つにあげられます。
6000人収容の劇場は舞台の後方に大理石の柱を神殿風に配置し客席は舞台に向かって半円形に並ぶ豪壮なもの。
トラヤヌス帝時代の凱旋門も、その1つです。
小ローマと呼ばれただけあって、ローマ時代の輝かしい遺跡の数々は歴史の奥深さを物語っています。