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コルドバ歴史地区
コルドバ歴史地区とは、スペイン南西部にあたるアンダルシア州コルドバ県の県都コルドバにある世界遺産地域で、アンダルシア州の州都セビリアからは北東に約130km行ったところにあります。
コルドバ市の中心には、後ウマイヤ朝時代の785年に建てられた回教(イスラム教)寺院のメスキータが残されており、その寺院の中の『円柱の森』は、とても幻想的な雰囲気を醸し出しています。
コルドバのメスキータは、回教(イスラム教)の中では、サウジアラビアのマッカ(メッカ)にあるカーバ(カアバ)神殿に次いで、世界第2の規模を持つ回教寺院ですが、13世紀のレコンキスタ(718年から1492年に行われたキリスト教信仰国によるスペイン(イベリア半島)の再征服活動)で、キリスト教徒の支配下になったため、カトリック教会の聖堂に転用されました。
そのため、回教(イスラム教)とカトリック教(キリスト教)が融合するという他に例のない特異な建造物です。
コルドバ歴史地区には、メスキータのほかにもクワダルキビール川にかかるローマ橋やユダヤ人街、アラブ様式の美しい庭園があるアルカサル城砦も含まれており、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文化がミックスされた複雑な歴史を現代に伝えています。
コルドバ歴史地区 Historic Centre of Cordoba 所在国:スペイン 世界遺産登録:1984年、1994年 種類:文化遺産 |
コルドバ歴史地区とは、スペイン南西部にあたるアンダルシア州コルドバ県の県都コルドバにある世界遺産地域で、アンダルシア州の州都セビリアからは北東に約130km行ったところにあります。
コルドバ市の中心には、後ウマイヤ朝時代の785年に建てられた回教(イスラム教)寺院のメスキータが残されており、その寺院の中の『円柱の森』は、とても幻想的な雰囲気を醸し出しています。
コルドバのメスキータは、回教(イスラム教)の中では、サウジアラビアのマッカ(メッカ)にあるカーバ(カアバ)神殿に次いで、世界第2の規模を持つ回教寺院ですが、13世紀のレコンキスタ(718年から1492年に行われたキリスト教信仰国によるスペイン(イベリア半島)の再征服活動)で、キリスト教徒の支配下になったため、カトリック教会の聖堂に転用されました。
そのため、回教(イスラム教)とカトリック教(キリスト教)が融合するという他に例のない特異な建造物です。
コルドバ歴史地区には、メスキータのほかにもクワダルキビール川にかかるローマ橋やユダヤ人街、アラブ様式の美しい庭園があるアルカサル城砦も含まれており、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文化がミックスされた複雑な歴史を現代に伝えています。
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コトルの自然と文化-歴史地域
コトルの自然と文化-歴史地域は、フィヨルドによる天然の港をもった街コトルが、その良港ゆえにたどった歴史を物語る遺跡が数多く残されたモンテネグロ共和国の文化遺産です。
コトルは、南側がアドリア海に面し、背後の北方には標高1,749mのロヴツェン山がある港町で、古代ローマ時代から海賊や諸外国からの攻撃をうけたり、領土争いの対象になってきました。
コトルに残されたローマ・カトリック教会や12世紀のロマネスク様式の聖トリフォン大聖堂、宮殿、広場などの遺産は、難攻不落と言われた中世の城郭都市の面影とともに貿易で栄えた当時の経済力の大きさが読み取れます。
コトルの自然と文化−歴史地域は、1979年4月15日にアドリア海東岸を襲った大地震の影響を受け、聖トリフォン大聖堂などの歴史的建造物が大きな被害を受けたため、危機にさらされている文化遺産として世界遺産登録されました。
今では、再建と修復が繰り返されたおかげで、2003年には危機遺産としての登録は解除され、その美しい景観を取り戻しています。
コトルの自然と文化-歴史地域 Natural and Culturo-Historical Region of Kotor 所在国:モンテネグロ共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
コトルの自然と文化-歴史地域は、フィヨルドによる天然の港をもった街コトルが、その良港ゆえにたどった歴史を物語る遺跡が数多く残されたモンテネグロ共和国の文化遺産です。
コトルは、南側がアドリア海に面し、背後の北方には標高1,749mのロヴツェン山がある港町で、古代ローマ時代から海賊や諸外国からの攻撃をうけたり、領土争いの対象になってきました。
コトルに残されたローマ・カトリック教会や12世紀のロマネスク様式の聖トリフォン大聖堂、宮殿、広場などの遺産は、難攻不落と言われた中世の城郭都市の面影とともに貿易で栄えた当時の経済力の大きさが読み取れます。
コトルの自然と文化−歴史地域は、1979年4月15日にアドリア海東岸を襲った大地震の影響を受け、聖トリフォン大聖堂などの歴史的建造物が大きな被害を受けたため、危機にさらされている文化遺産として世界遺産登録されました。
今では、再建と修復が繰り返されたおかげで、2003年には危機遺産としての登録は解除され、その美しい景観を取り戻しています。
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バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群
バミューダと聞くとアメリカの領土のような気がしますが、実はイギリス領です。
場所を確認すると北大西洋上の大小150の島からなる諸島です。
この島はアメリカではイギリスの植民地として第2番目になるものです。
首都はセント・ジョージで、開かれたのは1612年です。
イギリスがこの島を植民地としたきっかけは、イギリスの植民団が船でアメリカに航行するさい、嵐に巻き込まれ、バミューダ諸島に難破し、そこで生き残り、生還してこの島の魅力が伝わったものです。
この島の名前は1503年、スペインのジョン・バミューダにより発見され、彼の名にちなんで島の名前が命名されました。
世界遺産であるバミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群は、イギリスの初期の植民地で、都市型居住地の典型として価値があり、また、戦略上の要衝であったため、17-20世紀の軍事技術の発展をたどることができます。
現存する建築物で有名なものは、カーターハウス、セント・ピーター聖堂などがあります。
通貨はバミューダドルという現地通貨が使用されています。
国家元首はイギリス女王で、総督が代行しています。
バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群 Historic Town of St George and Related Fortifications, Bermuda 所在国:イギリス 世界遺産登録:2000 年 種類:文化遺産 |
バミューダと聞くとアメリカの領土のような気がしますが、実はイギリス領です。
場所を確認すると北大西洋上の大小150の島からなる諸島です。
この島はアメリカではイギリスの植民地として第2番目になるものです。
首都はセント・ジョージで、開かれたのは1612年です。
イギリスがこの島を植民地としたきっかけは、イギリスの植民団が船でアメリカに航行するさい、嵐に巻き込まれ、バミューダ諸島に難破し、そこで生き残り、生還してこの島の魅力が伝わったものです。
この島の名前は1503年、スペインのジョン・バミューダにより発見され、彼の名にちなんで島の名前が命名されました。
世界遺産であるバミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群は、イギリスの初期の植民地で、都市型居住地の典型として価値があり、また、戦略上の要衝であったため、17-20世紀の軍事技術の発展をたどることができます。
現存する建築物で有名なものは、カーターハウス、セント・ピーター聖堂などがあります。
通貨はバミューダドルという現地通貨が使用されています。
国家元首はイギリス女王で、総督が代行しています。