このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
ヤロスラヴル市街の歴史地区
ヤロスラブリ市街の歴史地区は、ロシアの首都モスクワの北東およそ250キロいったところに位置するヤロスラーヴリ州の州都、ヤロスラブルにあります。
ヴォルガ川沿いにあることもあり、古来より、交通の要所として発展してきました。
ロシア史、ロシア正教の文化の源流である地域として重要視されている「黄金の環」と呼ばれる古都群のひとつです。
「イーゴリ遠征物語」(イーゴリ軍記)の写本が残されていたことでも知られていますが、見どころとしては、白い壁と塔を戴くスパソ・プレオブラジェンスキー(救世主変容)修道院とその聖堂の黄金のドームを筆頭として、予言者イリヤ教会、クリソストムの聖ヨハネ教会、そして、ヴォルガ川沿いのニコラ・ナジェージナ聖堂やバプティスト聖ヨハネ教会が挙げられます。
歴史的には、11世紀はじめ(1010年)にキエフ大公国のヤロスラフ一世により建設されたのがはじまりです。
その後、タタールのくびき、モンゴル帝国の占領下にありましたが、15世紀後半(1463年)には、モスクワ大公国に統治されるようになり、その流れでロシア帝国の領土となりました。
18世紀後半、女帝エカチェリーナ2世による地方行政改革によって、近代的な発展を遂げ、ロシア革命後は、工業都市としての役割を果たしています。
ヤロスラブル市の歴史地区 Historical Centre of the City of Yaroslavl 所在国 : ロシア 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
ヤロスラブリ市街の歴史地区は、ロシアの首都モスクワの北東およそ250キロいったところに位置するヤロスラーヴリ州の州都、ヤロスラブルにあります。
ヴォルガ川沿いにあることもあり、古来より、交通の要所として発展してきました。
ロシア史、ロシア正教の文化の源流である地域として重要視されている「黄金の環」と呼ばれる古都群のひとつです。
「イーゴリ遠征物語」(イーゴリ軍記)の写本が残されていたことでも知られていますが、見どころとしては、白い壁と塔を戴くスパソ・プレオブラジェンスキー(救世主変容)修道院とその聖堂の黄金のドームを筆頭として、予言者イリヤ教会、クリソストムの聖ヨハネ教会、そして、ヴォルガ川沿いのニコラ・ナジェージナ聖堂やバプティスト聖ヨハネ教会が挙げられます。
歴史的には、11世紀はじめ(1010年)にキエフ大公国のヤロスラフ一世により建設されたのがはじまりです。
その後、タタールのくびき、モンゴル帝国の占領下にありましたが、15世紀後半(1463年)には、モスクワ大公国に統治されるようになり、その流れでロシア帝国の領土となりました。
18世紀後半、女帝エカチェリーナ2世による地方行政改革によって、近代的な発展を遂げ、ロシア革命後は、工業都市としての役割を果たしています。
PR
スポンサードリンク
ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)
ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群は、イタリア北西部リグーリア州の東リヴィエラに位置しています。
リヴィエラといっても、西側のリゾートとは趣が全く逆で、険しい海岸絶壁や岬と入江が連なる険しい急斜面は、実に見事な自然景観となっています。
そんな、とてもきれいな風景であっても、なかなか人間が暮らしていくには不自由する厳しい自然環境を、人々が生活の知恵で、工夫して生活してきた様が評価されて文化遺産として登録されました。
海岸の険しい丘へ、ブドウ、オリーブ、オレンジなどの段々畑が広がる、チンクエテッレ(等間隔に並ぶ5つの村の総称)を結ぶリグーリア海岸線は壮観です。
特に、ヴェルナッツア村は、チンクエテッレの中でも、一番美しいとされています。
なお、ポルトヴェネーレはビーナスの港という意味です。
ポルトが港、ヴェネーレはヴィーナスがなまってこうなりました。
ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島) Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto) 所在国 : イタリア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群は、イタリア北西部リグーリア州の東リヴィエラに位置しています。
リヴィエラといっても、西側のリゾートとは趣が全く逆で、険しい海岸絶壁や岬と入江が連なる険しい急斜面は、実に見事な自然景観となっています。
そんな、とてもきれいな風景であっても、なかなか人間が暮らしていくには不自由する厳しい自然環境を、人々が生活の知恵で、工夫して生活してきた様が評価されて文化遺産として登録されました。
海岸の険しい丘へ、ブドウ、オリーブ、オレンジなどの段々畑が広がる、チンクエテッレ(等間隔に並ぶ5つの村の総称)を結ぶリグーリア海岸線は壮観です。
特に、ヴェルナッツア村は、チンクエテッレの中でも、一番美しいとされています。
なお、ポルトヴェネーレはビーナスの港という意味です。
ポルトが港、ヴェネーレはヴィーナスがなまってこうなりました。
スポンサードリンク
ニュー・ラナーク
ニュー・ラナークは、イギリスはスコットランド中南部に位置する、19世紀の産業革命のなごりをとどめる紡績工場跡です。
クライド川沿いに建造されたニューラナークは、川の水力を利用したもので、当時、イギリス最大の綿紡績工場でした。
イギリスの社会主義者ロバート・オーウェンが1800年から1825年にかけて管理、運営をしたことでも有名です。
産業革命の最中、労働者の待遇は実にひどい状況でしたが、ロバート・オーウェンは、労働者の環境改善を掲げて、工場法を提唱し、労働組合を設立したりしました。
また、ニューラナークの工場は、単なる働き場所にとどまらず、労働者の住宅、学校、無料医療サービス、生活協同組合をも併せ持つ、一種のコミュニティでした。
ニューラナークへのアクセスはロンドンからひとまずグラスゴーへ行き、そこから訪ねるというのが一般的です。
ニュー・ラナーク New Lanark 所在国 : イギリス 世界遺産登録:2001年 種類:文化遺産 |
ニュー・ラナークは、イギリスはスコットランド中南部に位置する、19世紀の産業革命のなごりをとどめる紡績工場跡です。
クライド川沿いに建造されたニューラナークは、川の水力を利用したもので、当時、イギリス最大の綿紡績工場でした。
イギリスの社会主義者ロバート・オーウェンが1800年から1825年にかけて管理、運営をしたことでも有名です。
産業革命の最中、労働者の待遇は実にひどい状況でしたが、ロバート・オーウェンは、労働者の環境改善を掲げて、工場法を提唱し、労働組合を設立したりしました。
また、ニューラナークの工場は、単なる働き場所にとどまらず、労働者の住宅、学校、無料医療サービス、生活協同組合をも併せ持つ、一種のコミュニティでした。
ニューラナークへのアクセスはロンドンからひとまずグラスゴーへ行き、そこから訪ねるというのが一般的です。