このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
モスクワのクレムリンと赤の広場
モスクワのクレムリンと赤の広場は、モスクワ川岸のボロヴィツキーの丘にあります。
クレムリンは、モスクワを代表する建物で、木造の城塞として12世紀半ばに建設されたものです。
もともと、クレムリンとはロシア語で「城塞」のことを意味しています。
城壁には20の城門と大小の塔があり、城壁内は三角形になっていて、ロシアの伝統的な建築様式とイタリア・ルネサンス様式の融合した数々の聖堂、宮殿が建ち並ぶ今日の姿へと発展しました。
これらの建造物は15世紀から19世紀に建てられたものです。
とくに17世紀から始まったロマノフ王朝の繁栄を偲ばせる建築物が数多くあります。
クレムリンは、歴代支配者の居城となり、ロシア政府の重要機関として機能してきました。
また、今でもロシア正教会の聖域でもあります。
このクレムリンの城壁に面して東西に長くのびた広場が「赤の広場」です。
1493年、モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされています。
この広場の「赤」は、旧ソ連のメーデーのパレードが赤一色であったという説がありますが、もともと赤は古いロシア語で「美しい」という意味をもっていて、「美しい広場」を象徴するというものでした。
広場の東中央にはレーニン廟があります。
中にはレーニンのミイラが収められており、見学することができます。
広場南東には、聖ヴァシーリー聖堂があります。
16世紀半ばイヴァン4世(雷帝)の命により建設されました。
中央の尖塔のまわりを、キャンディーバー風のストライプ模様の八つの玉ねぎ型のねぎ坊主が不規則に並んださまは、不思議な調和と美しさを作り上げています。
ヨーロッパとアジアの文化の融合としてロシアの聖堂でもっとも美しい建物の一つとされています。
モスクワのクレムリンと赤の広場 Kremlin and Red Square, Moscow 所在国:ロシア連邦 世界遺産登録年:1990年 世界遺産の種類:文化遺産 |
モスクワのクレムリンと赤の広場は、モスクワ川岸のボロヴィツキーの丘にあります。
クレムリンは、モスクワを代表する建物で、木造の城塞として12世紀半ばに建設されたものです。
もともと、クレムリンとはロシア語で「城塞」のことを意味しています。
城壁には20の城門と大小の塔があり、城壁内は三角形になっていて、ロシアの伝統的な建築様式とイタリア・ルネサンス様式の融合した数々の聖堂、宮殿が建ち並ぶ今日の姿へと発展しました。
これらの建造物は15世紀から19世紀に建てられたものです。
とくに17世紀から始まったロマノフ王朝の繁栄を偲ばせる建築物が数多くあります。
クレムリンは、歴代支配者の居城となり、ロシア政府の重要機関として機能してきました。
また、今でもロシア正教会の聖域でもあります。
このクレムリンの城壁に面して東西に長くのびた広場が「赤の広場」です。
1493年、モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされています。
この広場の「赤」は、旧ソ連のメーデーのパレードが赤一色であったという説がありますが、もともと赤は古いロシア語で「美しい」という意味をもっていて、「美しい広場」を象徴するというものでした。
広場の東中央にはレーニン廟があります。
中にはレーニンのミイラが収められており、見学することができます。
広場南東には、聖ヴァシーリー聖堂があります。
16世紀半ばイヴァン4世(雷帝)の命により建設されました。
中央の尖塔のまわりを、キャンディーバー風のストライプ模様の八つの玉ねぎ型のねぎ坊主が不規則に並んださまは、不思議な調和と美しさを作り上げています。
ヨーロッパとアジアの文化の融合としてロシアの聖堂でもっとも美しい建物の一つとされています。
PR
スポンサードリンク
ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院
ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院は、スイス東部、痛い炉跡の国境に近いチロル南端の谷間の町、ミュスタイルに建っています。
そのミュシュタイル渓谷にあるベネディクト会の聖ヨーハン修道院は、フランク王カール大帝の命で、780年に創建されました。
外観は簡素でカロリンガ様式を象徴する四角い塔が特徴です。
質素な外見と違い、内部は荘厳なフレスコ画があふれています。
20世紀半ばの修復の再に発見されました。
このフレスコ画は、9〜12世紀に描かれたもので、「旧約聖書」「新約聖書」を題材として全82場面にも及びんでいます。
聖堂内部にこれほどまでに、多くのフラスコ画か描かれた例は他にありません。
損傷の激しい一部のフレスコ画は、現在、チューリッヒの国立民族博物館に保管されています。
一般に中世のベネディクト会修道院は町から離れた辺鄙なアクセス困難な場所に好んで設立されたと言われています。
そして、よく注意してみると交通の要所にあることが多いということが分かります。
このベネディクト会聖ヨハネ修道院が建てられているミュシュタイル渓谷もフランスとイタリアをつなぐアルプス越えの道があり、交通の要所だったのです。
カール大帝は、46年間、国王として長く君臨しましたが、実に53回の軍事遠征に明け暮れた生涯でした。
狭い山道を見下ろす位置に建てられた修道院は、要塞を意図した軍事的な要素が感じられてきませんか。
カール大帝がこの修道院に寄進したのは信仰心ばかりではなかったようですね。
ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院 Benedictine Convent of St. John at Mustair 所在国:スイス連邦 世界遺産登録年:1983年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院は、スイス東部、痛い炉跡の国境に近いチロル南端の谷間の町、ミュスタイルに建っています。
そのミュシュタイル渓谷にあるベネディクト会の聖ヨーハン修道院は、フランク王カール大帝の命で、780年に創建されました。
外観は簡素でカロリンガ様式を象徴する四角い塔が特徴です。
質素な外見と違い、内部は荘厳なフレスコ画があふれています。
20世紀半ばの修復の再に発見されました。
このフレスコ画は、9〜12世紀に描かれたもので、「旧約聖書」「新約聖書」を題材として全82場面にも及びんでいます。
聖堂内部にこれほどまでに、多くのフラスコ画か描かれた例は他にありません。
損傷の激しい一部のフレスコ画は、現在、チューリッヒの国立民族博物館に保管されています。
一般に中世のベネディクト会修道院は町から離れた辺鄙なアクセス困難な場所に好んで設立されたと言われています。
そして、よく注意してみると交通の要所にあることが多いということが分かります。
このベネディクト会聖ヨハネ修道院が建てられているミュシュタイル渓谷もフランスとイタリアをつなぐアルプス越えの道があり、交通の要所だったのです。
カール大帝は、46年間、国王として長く君臨しましたが、実に53回の軍事遠征に明け暮れた生涯でした。
狭い山道を見下ろす位置に建てられた修道院は、要塞を意図した軍事的な要素が感じられてきませんか。
カール大帝がこの修道院に寄進したのは信仰心ばかりではなかったようですね。
スポンサードリンク
マルタの巨石神殿群
マルタ共和国は、地中海中央部、イタリアのシチリア島の南に位置し、マルタ、ゴッツォ、コミノ、コミノット、フィルフラの5島からなる小さな国です。
その総面積は、淡路島の約2分の1の大きさにしかなりません。
地中海の中心部に位置していたので、古来より様々な民族によって文化と歴史が彩られてきました。
また、地中海にありながら、唯一英語圏であり、イギリス連邦に属しています。
マルタ島と近くのゴゾ島では、紀元前4500〜前2000年頃の約30の巨石神殿が発見され、そのうちの6つがマルタの巨石神殿群として世界遺産に登録されています。
最古のものはマルタ島のスコルバ神殿で、建造時期は前4500〜前4100年頃です。
最近まで、世界最古の建築は、エジプトのピラミッドだと考えられていましたが、マルタの巨石神殿が、有名なギザのピラミッドよりも500年から1000年も古いこと判明し、世界最古の建造物とされ注目を集めています。
また、16世紀にこの地を支配した聖ヨハネ騎士団が要塞都市として作り上げたマルタ島のヴァレッタ、ゴゾ島のヴィクトリアなどは、時代そのままの中世の残り香が漂よう美しい街並が世界遺産に登録されています。
地下に造られたハル・サフリエニ神殿などに代表される、地母神に捧げられたマルタ独特の建築様式です。
紀元前4500−2000年頃建てられた巨石神殿や16世紀に聖ヨハネ騎士団がトルコ軍の襲撃の防衛目的で構築した城塞都市、首都ヴァレッタ。
このヴァレッタには聖ヨハネ騎士団の守護神ヨハネを奉った聖ヨハネ大聖堂や騎士団長の館などがあります。
島のいたる所に残る先史時代の巨石神殿、16世紀に聖ヨハネ騎士団がトルコ軍の襲撃の防衛目的で構築した城塞都市、首都ヴァレッタ。
中世と先史が入り混じります。
ゴゾを代表する伝統工芸、レース編み。
全て手仕事による精緻の技は、島の女性のたしなみとして、今もしっかり受け継がれています。
マルタの巨石神殿群 Megalithic Temples of Malta 所在国:マルタ共和国 世界遺産登録年:1980年 世界遺産の種類:文化遺産 |
マルタ共和国は、地中海中央部、イタリアのシチリア島の南に位置し、マルタ、ゴッツォ、コミノ、コミノット、フィルフラの5島からなる小さな国です。
その総面積は、淡路島の約2分の1の大きさにしかなりません。
地中海の中心部に位置していたので、古来より様々な民族によって文化と歴史が彩られてきました。
また、地中海にありながら、唯一英語圏であり、イギリス連邦に属しています。
マルタ島と近くのゴゾ島では、紀元前4500〜前2000年頃の約30の巨石神殿が発見され、そのうちの6つがマルタの巨石神殿群として世界遺産に登録されています。
最古のものはマルタ島のスコルバ神殿で、建造時期は前4500〜前4100年頃です。
最近まで、世界最古の建築は、エジプトのピラミッドだと考えられていましたが、マルタの巨石神殿が、有名なギザのピラミッドよりも500年から1000年も古いこと判明し、世界最古の建造物とされ注目を集めています。
また、16世紀にこの地を支配した聖ヨハネ騎士団が要塞都市として作り上げたマルタ島のヴァレッタ、ゴゾ島のヴィクトリアなどは、時代そのままの中世の残り香が漂よう美しい街並が世界遺産に登録されています。
地下に造られたハル・サフリエニ神殿などに代表される、地母神に捧げられたマルタ独特の建築様式です。
紀元前4500−2000年頃建てられた巨石神殿や16世紀に聖ヨハネ騎士団がトルコ軍の襲撃の防衛目的で構築した城塞都市、首都ヴァレッタ。
このヴァレッタには聖ヨハネ騎士団の守護神ヨハネを奉った聖ヨハネ大聖堂や騎士団長の館などがあります。
島のいたる所に残る先史時代の巨石神殿、16世紀に聖ヨハネ騎士団がトルコ軍の襲撃の防衛目的で構築した城塞都市、首都ヴァレッタ。
中世と先史が入り混じります。
ゴゾを代表する伝統工芸、レース編み。
全て手仕事による精緻の技は、島の女性のたしなみとして、今もしっかり受け継がれています。