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モルドヴィア地方の教会群
モルドヴィアはモルドヴィア公国があった地方で、ルーマニアの母体となった国です。
宗教はキリスト教ですが、ヴィザンチン帝国から伝わったため、モルドヴィア地方の教会群の絵画はヴィザンチン様式となっています。
モルドヴィア地方の教会群はモルドヴィア公国のシュテファン大公(1457-1507年在位)が、宿敵トルコの軍勢を破ったことを記念して、修道院を建設したことから始まります。
その後、シュテファン大公の後継者たちもトルコ軍を撃破するたびに修道院を建設したため、修道院が多数今に伝えられるようになりました。
各修道院はフレスコ画で飾られていますが、修道院の内壁はもとより外壁にもフレスコ画が描かれたことが特徴です。
フレスコ画が外壁にまで描かれている例はほとんどありません。
このトルコ軍撃破の事実はキリスト教世界をトルコ軍から守った例として、当時はヨーロッパ各国から賞賛されました。
フレスコ画のモチーフですが、文字を読めない人々が聖書の内容を理解できるように絵画で描いたものです。
そのためモルドヴィア地方の教会群はフレスコ画の宝庫としても有名です。
また、ヴィザンチン帝国亡き後、ヴィザンチン様式を残す、ヴィザンチン様式の宝庫となっています。
モルドヴィア地方の教会群 Churches of Moldavia 所在国:ルーマニア 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
モルドヴィアはモルドヴィア公国があった地方で、ルーマニアの母体となった国です。
宗教はキリスト教ですが、ヴィザンチン帝国から伝わったため、モルドヴィア地方の教会群の絵画はヴィザンチン様式となっています。
モルドヴィア地方の教会群はモルドヴィア公国のシュテファン大公(1457-1507年在位)が、宿敵トルコの軍勢を破ったことを記念して、修道院を建設したことから始まります。
その後、シュテファン大公の後継者たちもトルコ軍を撃破するたびに修道院を建設したため、修道院が多数今に伝えられるようになりました。
各修道院はフレスコ画で飾られていますが、修道院の内壁はもとより外壁にもフレスコ画が描かれたことが特徴です。
フレスコ画が外壁にまで描かれている例はほとんどありません。
このトルコ軍撃破の事実はキリスト教世界をトルコ軍から守った例として、当時はヨーロッパ各国から賞賛されました。
フレスコ画のモチーフですが、文字を読めない人々が聖書の内容を理解できるように絵画で描いたものです。
そのためモルドヴィア地方の教会群はフレスコ画の宝庫としても有名です。
また、ヴィザンチン帝国亡き後、ヴィザンチン様式を残す、ヴィザンチン様式の宝庫となっています。
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マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡
スペインのマドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡は、マドリッドから日帰りでいける距離にあります。
ここはマドリッド郊外のサン・ロレンソ・デ・エル・エスコアリアルにある広大な宮殿、修道院、博物館および図書館の複合施設です。
1563年から1584年にかけて国王フェリペ2世の命で王家の墳墓と、スペインの反宗教改革の研究を目的として建てられました。
また、偉大な芸術家の絵画も多数収蔵されています。
その一端を紹介しますと、ティツィアーノ、ティントレット、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、パオロ・ヴェロネーゼ、アロンソ・カノ、ホセ・デ・リベーラ、クラウディオ・コエリョなどです。
絵画以外では多数の古文所も収蔵されており、その点でも貴重な存在です。
さらにハプスブルク家およびブルボン家の国王の埋葬場所です。
王家の霊廟にはカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)、フェリペ2世、フェリペ3世、フェリペ4世、カルロス2世、ルイス1世、カルロス3世、カルロス4世、フェルナンド7世、イサベル2世、アルフォンソ12世の墓が含まれています。
まさにヨーロッパの歴史を俯瞰できる場所といえるでしょう。
マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡 Monastery and Site of the Escurial, Madrid 所在国:スペイン 世界遺産登録:1984年 種類:文化遺産 |
スペインのマドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡は、マドリッドから日帰りでいける距離にあります。
ここはマドリッド郊外のサン・ロレンソ・デ・エル・エスコアリアルにある広大な宮殿、修道院、博物館および図書館の複合施設です。
1563年から1584年にかけて国王フェリペ2世の命で王家の墳墓と、スペインの反宗教改革の研究を目的として建てられました。
また、偉大な芸術家の絵画も多数収蔵されています。
その一端を紹介しますと、ティツィアーノ、ティントレット、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、パオロ・ヴェロネーゼ、アロンソ・カノ、ホセ・デ・リベーラ、クラウディオ・コエリョなどです。
絵画以外では多数の古文所も収蔵されており、その点でも貴重な存在です。
さらにハプスブルク家およびブルボン家の国王の埋葬場所です。
王家の霊廟にはカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)、フェリペ2世、フェリペ3世、フェリペ4世、カルロス2世、ルイス1世、カルロス3世、カルロス4世、フェルナンド7世、イサベル2世、アルフォンソ12世の墓が含まれています。
まさにヨーロッパの歴史を俯瞰できる場所といえるでしょう。
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ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群
地中海のアドリア海をはさんでイタリアの対岸にあるクロアチアは、西洋の歴史が始まる時代には、東西の宗教の混合が見られた地域です。
その名残がポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群に見られます。
ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群は、ポレッチ歴史地区の北東部に位置し、6世紀のエウフラシウス司教時代に建てられました。
これらの建築群は、聖職館(13世紀)を中心に、司教の宮殿(15世紀)、更に教会の鐘楼(16世紀)、2つの礼拝堂(17・19世紀)が加えられ、現在の素晴らしい建築群を形成しています。
4世紀にはポレッチの宗教建築群は早くもその存在を確立しましたが、なかでもバシリカ会堂自体は古典的な様式や、ビザンティウム形式を融合させたものです。
このほかにもアトリウムなどのその候補にあがっています。
またエウフラシウス聖堂は、宗教建築の最高峰と称えられています。
ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群 Episcopal Complex of the Euphrasian Basilica in the Historic Centre of Porec 所在国:クロアチア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
地中海のアドリア海をはさんでイタリアの対岸にあるクロアチアは、西洋の歴史が始まる時代には、東西の宗教の混合が見られた地域です。
その名残がポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群に見られます。
ポレッチ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群は、ポレッチ歴史地区の北東部に位置し、6世紀のエウフラシウス司教時代に建てられました。
これらの建築群は、聖職館(13世紀)を中心に、司教の宮殿(15世紀)、更に教会の鐘楼(16世紀)、2つの礼拝堂(17・19世紀)が加えられ、現在の素晴らしい建築群を形成しています。
4世紀にはポレッチの宗教建築群は早くもその存在を確立しましたが、なかでもバシリカ会堂自体は古典的な様式や、ビザンティウム形式を融合させたものです。
このほかにもアトリウムなどのその候補にあがっています。
またエウフラシウス聖堂は、宗教建築の最高峰と称えられています。