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ダラム城と大聖堂
ダラム城と大聖堂Durham Castle and Cathedralは英国のキリスト教文化の発祥地です。
ダラム城は歴代ダラム大聖堂の司教(プリンス・ビショップと呼ばれた)が住まいノルマン朝から19世紀まで、国王と同等の権限を持っていたそうです。
ダラム城はノルマン様式で、現在はダラム大学の一部として活用されています。
ダラム大聖堂は今もなお、英国国教会ダラム主教区ダラム主教座の地位にある教会として健在です。
また、映画『ハリー・ポッター』シリーズの中でホグワーツ魔法魔術学校として登場する建物こそダラム大聖堂です。
大聖堂とダラム城は、ウェア川を見下ろす崖の上にあり、パレス・グリーンと呼ばれる緑地を挟んで向かい合う形で建っています。
ダラム城と大聖堂 Durham Castle and Cathedral 所在国:イギリス 世界遺産登録:1986年 種類:文化遺産 |
ダラム城と大聖堂Durham Castle and Cathedralは英国のキリスト教文化の発祥地です。
ダラム城は歴代ダラム大聖堂の司教(プリンス・ビショップと呼ばれた)が住まいノルマン朝から19世紀まで、国王と同等の権限を持っていたそうです。
ダラム城はノルマン様式で、現在はダラム大学の一部として活用されています。
ダラム大聖堂は今もなお、英国国教会ダラム主教区ダラム主教座の地位にある教会として健在です。
また、映画『ハリー・ポッター』シリーズの中でホグワーツ魔法魔術学校として登場する建物こそダラム大聖堂です。
大聖堂とダラム城は、ウェア川を見下ろす崖の上にあり、パレス・グリーンと呼ばれる緑地を挟んで向かい合う形で建っています。
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スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿
スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿Historic Complex of Split with the Palace of Diocletianスプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿の歴史は約1700年前始まったとされています。
300年頃、有名な Diokletian(ディオクレティアヌス)はスプリットで自分の隠居所を用意したのがその始まりです。
ディオクレティアヌスはローマ帝国を大規模に改革して、その上303年以来行ったキリスト教徒迫害の皇帝として有名です。
皇帝が亡くなった後、宮殿は荒廃しスプリットの町は全く進歩しなかったのですが、615年、西ローマ帝国の属州ダルマチアの州都 Salona(ザロナ)は崩壊の際に市民たちは厚い外壁に囲まれているディオクレティアヌス宮殿の中へ定住したのでした。
現在もそのローマ人の後裔は旧市街に住んでいます。
それ以来、スプリットは徐々に栄え始め、14世紀から1797年までVenetia(ベネチア)の領地でした。
その後、スプリットとダルマチア地方全体はまずオーストリア・ハンガリー帝国、続いて世界第一次大戦の後にユーゴスラビアの中のクロアチアの領域になり現在に至ります。
スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿 Historic Complex of Split with the Palace of Diocletian 所在国:クロアチア 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿Historic Complex of Split with the Palace of Diocletianスプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿の歴史は約1700年前始まったとされています。
300年頃、有名な Diokletian(ディオクレティアヌス)はスプリットで自分の隠居所を用意したのがその始まりです。
ディオクレティアヌスはローマ帝国を大規模に改革して、その上303年以来行ったキリスト教徒迫害の皇帝として有名です。
皇帝が亡くなった後、宮殿は荒廃しスプリットの町は全く進歩しなかったのですが、615年、西ローマ帝国の属州ダルマチアの州都 Salona(ザロナ)は崩壊の際に市民たちは厚い外壁に囲まれているディオクレティアヌス宮殿の中へ定住したのでした。
現在もそのローマ人の後裔は旧市街に住んでいます。
それ以来、スプリットは徐々に栄え始め、14世紀から1797年までVenetia(ベネチア)の領地でした。
その後、スプリットとダルマチア地方全体はまずオーストリア・ハンガリー帝国、続いて世界第一次大戦の後にユーゴスラビアの中のクロアチアの領域になり現在に至ります。
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スピシュスキー城とその関連文化財
スピシュスキー城とその関連文化財Spissky Hrad and its Associated Cultural Monumentsスピシュスキー城は中央ヨーロッパで最大の城跡と言われ、 13〜14世紀に建造された。
山の頂に長大な城壁など、 頑強な石造構造物が残されている。
ちなみにスロバキア政府はレヴォチャという小さな町を、 「スピシュスキー城と関連する文化財」に追加登録申請しました。
町は城から10kmほど離れており、 教会など中世の建造物が残っている。
スピシュスキー城は1780年の火災で焼け落ち、廃墟と化している。
こんなところに人が住んでいたのだろうかと不思議に思うほど、生活の気配がしない。
天井はすでになく、扉や窓もない。
スピシュスキー城とその関連文化財 Spissky Hrad and its Associated Cultural Monuments 所在国:スロバキア 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
スピシュスキー城とその関連文化財Spissky Hrad and its Associated Cultural Monumentsスピシュスキー城は中央ヨーロッパで最大の城跡と言われ、 13〜14世紀に建造された。
山の頂に長大な城壁など、 頑強な石造構造物が残されている。
ちなみにスロバキア政府はレヴォチャという小さな町を、 「スピシュスキー城と関連する文化財」に追加登録申請しました。
町は城から10kmほど離れており、 教会など中世の建造物が残っている。
スピシュスキー城は1780年の火災で焼け落ち、廃墟と化している。
こんなところに人が住んでいたのだろうかと不思議に思うほど、生活の気配がしない。
天井はすでになく、扉や窓もない。