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クヴァルケン群島/ハイ・コースト
「クヴァルケン群島/ハイ・コースト」はフィンランドとスウェーデンの領内にある世界遺産です。
アイソスタシーのバランスが崩れることによるリバウンド現象が顕著にみられることが評価されました。
リバウンド現象とは、氷河期に形成された氷床がとけるにともなって、陸地にかかっていた圧力が軽減されることで、土地が隆起する現象のことです。
この世界遺産は、グヴァルケン群島とヘーガ・クフテン(英語名:ハイコースト フランス語名:オート・コート)というそれぞれ独立したものが併記されています。
もともとは、2000年にスウェーデンのハイコーストだけが登録されましたが、同じボスニア海においてフィンランド領内のクヴァルケン島でも、同様のリバウンド現象が見受けられたことから、2006年に拡大登録されました。
ハイコーストでは、地殻上昇にともなう自然景観の美しさもさることながら、1210メートルものつり橋ベガクステン橋も見どころの一つとなっています。
クヴァルケン群島/ハイ・コースト Kvarken Archipelago / High Coast 所在国:スウェーデン、フィンランド 世界遺産登録:2000年、2006年 種類:自然遺産 |
「クヴァルケン群島/ハイ・コースト」はフィンランドとスウェーデンの領内にある世界遺産です。
アイソスタシーのバランスが崩れることによるリバウンド現象が顕著にみられることが評価されました。
リバウンド現象とは、氷河期に形成された氷床がとけるにともなって、陸地にかかっていた圧力が軽減されることで、土地が隆起する現象のことです。
この世界遺産は、グヴァルケン群島とヘーガ・クフテン(英語名:ハイコースト フランス語名:オート・コート)というそれぞれ独立したものが併記されています。
もともとは、2000年にスウェーデンのハイコーストだけが登録されましたが、同じボスニア海においてフィンランド領内のクヴァルケン島でも、同様のリバウンド現象が見受けられたことから、2006年に拡大登録されました。
ハイコーストでは、地殻上昇にともなう自然景観の美しさもさることながら、1210メートルものつり橋ベガクステン橋も見どころの一つとなっています。
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キエフ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キエフ-ペチェールスカヤ大修道院
キエフは、ドニエプル川中流沿いに開かれた町で、9世紀以降、キエフ公国の中心地として繁栄しました。
10世紀末キリスト教が国教となったことで、以後の聖堂建築の礎が築かれました。
代表的なものは、なんといっても、キエフのちょうど中心地点に建てられている聖ソフィア大聖堂(ソフィーイスィクィイ・ソボール)です。
現存する中で、11世紀から18世紀までに建てられたウクライナ建築の中で筆頭に挙げられる教会です。
キエフの聖ソフィア大聖堂は、1037年、ヤロスラヴ大公によってキリスト教とキエフ公国の権威をアピールするがために建造されました。
ビザンチン様式で建てられた大聖堂は、中世ヨーロッパでは最大級に大きな建築物の一つとして数えられ、東欧諸国の人々にとって重要な聖地とされてきました。
大聖堂内には、ガラスのモザイク画「祈る聖母」などが残されています。
もう一つ代表的な建築物が、ペチェルスカヤ大修道院です。
ペチェルとは洞窟という意味です。
その言葉どおり、地下の洞窟修道院の上に寺院が建つという2層のつくりとなっています。
1051年に建立されて以来、この修道院は、ウクライナの比叡山ともいうべき存在であり、現在もウクライナの政治にも干渉することができるほどの、発言力をもっています。
キエフ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キエフ-ペチェールスカヤ大修道院 Kiev: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kiev-Pechersk Lavra 所在国:ウクライナ 世界遺産登録:1990年、2005年 種類:文化遺産 |
キエフは、ドニエプル川中流沿いに開かれた町で、9世紀以降、キエフ公国の中心地として繁栄しました。
10世紀末キリスト教が国教となったことで、以後の聖堂建築の礎が築かれました。
代表的なものは、なんといっても、キエフのちょうど中心地点に建てられている聖ソフィア大聖堂(ソフィーイスィクィイ・ソボール)です。
現存する中で、11世紀から18世紀までに建てられたウクライナ建築の中で筆頭に挙げられる教会です。
キエフの聖ソフィア大聖堂は、1037年、ヤロスラヴ大公によってキリスト教とキエフ公国の権威をアピールするがために建造されました。
ビザンチン様式で建てられた大聖堂は、中世ヨーロッパでは最大級に大きな建築物の一つとして数えられ、東欧諸国の人々にとって重要な聖地とされてきました。
大聖堂内には、ガラスのモザイク画「祈る聖母」などが残されています。
もう一つ代表的な建築物が、ペチェルスカヤ大修道院です。
ペチェルとは洞窟という意味です。
その言葉どおり、地下の洞窟修道院の上に寺院が建つという2層のつくりとなっています。
1051年に建立されて以来、この修道院は、ウクライナの比叡山ともいうべき存在であり、現在もウクライナの政治にも干渉することができるほどの、発言力をもっています。
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オフリド地域の自然遺産及び文化遺産
オフリドは、マケドニアとアルバニアとの国境にあるオフリッド湖の北東岸にある町です。
自然遺産としてのオフリド湖は、400万年前に誕生したとされる、世界最古の湖のひとつとして知られており、高い透明度の湖には、先史時代からの水生生物が多数いることが確認されています。
文化遺産としてのオフリド地域は、フレスコ画に代表されるビザンチン美術の宝庫として知られています。
先史時代から人々が住んでいましたが、町として発展しだしたのは、ローマ帝国の支配下になった紀元前144年以降です。
エーゲ海とアドリア海の中継地点としての役割を果たしました。
3世紀末にキリスト教が伝わると、以後は、スラブ人の文化宗教都市としての役割を果たすことになります。
ブルガリア帝国の支配下にあった9世紀末ごろから、多くのキリスト教建造物が建てられました。
今も残るのは、聖ソフィア教会です。
「キリストの昇天」などのフレスコ画で有名です。
オフリド地域の自然遺産及び文化遺産 Natural and Cultural Heritage of the Ohrid region 所在国:マケドニア(旧ユーゴスラヴィア) 世界遺産登録:1979年、1980年 種類:複合遺産 |
オフリドは、マケドニアとアルバニアとの国境にあるオフリッド湖の北東岸にある町です。
自然遺産としてのオフリド湖は、400万年前に誕生したとされる、世界最古の湖のひとつとして知られており、高い透明度の湖には、先史時代からの水生生物が多数いることが確認されています。
文化遺産としてのオフリド地域は、フレスコ画に代表されるビザンチン美術の宝庫として知られています。
先史時代から人々が住んでいましたが、町として発展しだしたのは、ローマ帝国の支配下になった紀元前144年以降です。
エーゲ海とアドリア海の中継地点としての役割を果たしました。
3世紀末にキリスト教が伝わると、以後は、スラブ人の文化宗教都市としての役割を果たすことになります。
ブルガリア帝国の支配下にあった9世紀末ごろから、多くのキリスト教建造物が建てられました。
今も残るのは、聖ソフィア教会です。
「キリストの昇天」などのフレスコ画で有名です。