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リガ歴史地区
リガは、ラトビア共和国の首都で、ラトビア共和国最大の人口を持つ都市であり、バルト三国最大の都市でもあります。
リガ旧市街「リガ歴史地区」は、アールヌーボー調の建築の宝庫として有名で、美しい港町の景観が「バルト海の真珠」と讃えられています。
リガ歴史地区は、1202年に刀剣騎士修道会がこの地で創立され、1158年、ブルーメンの商人によって町が作られ、1207年には要塞が築かれ、13世紀にハンザ同盟に加盟して町は発展して、ハンザ同盟時代の商人に家がたくさん残っています。
「ドイツよりもドイツらしい」と言われるような中世ドイツらしさが残るのは、ドイツ人(ブルーメン)によって都市の基礎が形作られたからだと言われています。
13世紀にロマネスク様式で建てられたドーム大聖堂は、その後ゴシック、バロック様式へと改築を重ね、混合建築様式に歴史的学術的価値の高さが認められて世界遺産に登録されました。
聖ヨハネ教会や、聖ペテロ教会、聖ヤコブ教会なども、同じような時代を経て現在の姿になっています。
リガ歴史地区 Historic Centre of Riga 所在国:ラトビア共和国 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
リガは、ラトビア共和国の首都で、ラトビア共和国最大の人口を持つ都市であり、バルト三国最大の都市でもあります。
リガ旧市街「リガ歴史地区」は、アールヌーボー調の建築の宝庫として有名で、美しい港町の景観が「バルト海の真珠」と讃えられています。
リガ歴史地区は、1202年に刀剣騎士修道会がこの地で創立され、1158年、ブルーメンの商人によって町が作られ、1207年には要塞が築かれ、13世紀にハンザ同盟に加盟して町は発展して、ハンザ同盟時代の商人に家がたくさん残っています。
「ドイツよりもドイツらしい」と言われるような中世ドイツらしさが残るのは、ドイツ人(ブルーメン)によって都市の基礎が形作られたからだと言われています。
13世紀にロマネスク様式で建てられたドーム大聖堂は、その後ゴシック、バロック様式へと改築を重ね、混合建築様式に歴史的学術的価値の高さが認められて世界遺産に登録されました。
聖ヨハネ教会や、聖ペテロ教会、聖ヤコブ教会なども、同じような時代を経て現在の姿になっています。
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ラウマ旧市街
ラウマ旧市街は、フィンランド共和国の南部、トゥルク・ポリ県にあり、ラウマの町の中でも木造建築が並ぶ中心地を指す呼称です。
ラウマ旧市街はおよそ0.3km2 で、600軒ほどの建造物(家屋以外に倉庫なども含む)が立ち並んでいて、約800人が暮らしています。
ラウマはボスニア湾に面していて、9世紀からバルト海交易の中継地として発展してきました。
1640年と1684年の大火で町全域が焼失しましたが、旧市街は元の姿に再現され、現存する最古の家屋は18世紀のものです。
ほとんどの家屋は私有物で、一般市民が暮らしていますが、2つの大通り沿いと町の広場の周りでは、おもにビジネス目的に使われています。
また、宗教改革で閉鎖されたフランシスコ会修道院はありませんが、ルター派の大本山である石造りの聖十字架教会が残っています。
このように、石造建築物もありますが、ラウマはスカンジナビア最大の木造建築の町として知られています。
ラウマ旧市街 Old Rauma 所在国:フィンランド共和国 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
ラウマ旧市街は、フィンランド共和国の南部、トゥルク・ポリ県にあり、ラウマの町の中でも木造建築が並ぶ中心地を指す呼称です。
ラウマ旧市街はおよそ0.3km2 で、600軒ほどの建造物(家屋以外に倉庫なども含む)が立ち並んでいて、約800人が暮らしています。
ラウマはボスニア湾に面していて、9世紀からバルト海交易の中継地として発展してきました。
1640年と1684年の大火で町全域が焼失しましたが、旧市街は元の姿に再現され、現存する最古の家屋は18世紀のものです。
ほとんどの家屋は私有物で、一般市民が暮らしていますが、2つの大通り沿いと町の広場の周りでは、おもにビジネス目的に使われています。
また、宗教改革で閉鎖されたフランシスコ会修道院はありませんが、ルター派の大本山である石造りの聖十字架教会が残っています。
このように、石造建築物もありますが、ラウマはスカンジナビア最大の木造建築の町として知られています。
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モン-サン-ミシェルとその湾
モン-サン-ミシェルとその湾は、フランス共和国の北西部、バス・ノルマンディー地域のマンシュ海峡に面するマンシュ県にあります。
マンシュ県のサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院がモン-サン-ミシェルで、古くからカトリックの巡礼の地として栄えた聖地です。
966年にノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものです。
14世紀の百年戦争の期間は、城壁や塔が築かれ島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞となり、16世紀に完成したものです。
モン・サン=ミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残されています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上もあります。
このため、修道院のある小島は、満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました。
1877年、地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。
モン-サン-ミシェルとその湾 Mont-Saint-Michel and its Bay 所在国:フランス共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
モン-サン-ミシェルとその湾は、フランス共和国の北西部、バス・ノルマンディー地域のマンシュ海峡に面するマンシュ県にあります。
マンシュ県のサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院がモン-サン-ミシェルで、古くからカトリックの巡礼の地として栄えた聖地です。
966年にノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものです。
14世紀の百年戦争の期間は、城壁や塔が築かれ島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞となり、16世紀に完成したものです。
モン・サン=ミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残されています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上もあります。
このため、修道院のある小島は、満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました。
1877年、地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。