このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
河港都市グリニッジ
イギリスのグリニッジは、グリニッジ天文台がある場所としての方が、日本ではよく知られているでしょう。
グリニッジ天文台はイギリスが世界を制するためには航海術の発展が必要で、それには天体観測が不可欠だったことから置かれました。
さて、グリニッジは16世紀以降、海洋王国イギリスの主要な水上交通の表玄関として栄えてきました。
町の中心となる建物は、後期ルネッサンス様式の影響を受けたクイーンズハウスがあります。
ここには国立海事博物館も併設されています。
またバロック建築では王立海軍学校や旧王立天文台などがあります。
王立海軍学校は、クリストファー・レンの手がけた丸天井付きの傑作で、世界遺産登録地の中央にあります。
ここはグリニッジ財団 (the Greenwich Foundation) が管理しており、毎日訪問者に無料で開放されています。
またグリニッチには世界唯一の扇博物館 (Fan Museum)もあります。
グリニッチ桟橋の近くには19世紀後半の貿易で活躍したカティサーク号が乾ドックで保存展示されています。
河港都市グリニッジ Maritime Greenwich 所在国:イギリス 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
イギリスのグリニッジは、グリニッジ天文台がある場所としての方が、日本ではよく知られているでしょう。
グリニッジ天文台はイギリスが世界を制するためには航海術の発展が必要で、それには天体観測が不可欠だったことから置かれました。
さて、グリニッジは16世紀以降、海洋王国イギリスの主要な水上交通の表玄関として栄えてきました。
町の中心となる建物は、後期ルネッサンス様式の影響を受けたクイーンズハウスがあります。
ここには国立海事博物館も併設されています。
またバロック建築では王立海軍学校や旧王立天文台などがあります。
王立海軍学校は、クリストファー・レンの手がけた丸天井付きの傑作で、世界遺産登録地の中央にあります。
ここはグリニッジ財団 (the Greenwich Foundation) が管理しており、毎日訪問者に無料で開放されています。
またグリニッチには世界唯一の扇博物館 (Fan Museum)もあります。
グリニッチ桟橋の近くには19世紀後半の貿易で活躍したカティサーク号が乾ドックで保存展示されています。
PR
スポンサードリンク
メッセル・ピットの化石地域
メッセル・ピットはドイツのヘッセン州フランクフルト南部のダルムシュタット近郊にあります。
ここは5300万年前から3700万年前(新世代始新世前期)までは湖であり、世界でも有数の化石産地として知られています。
こうした化石から当時の生活環境がうかがえる貴重な資料が得られています。
この地の化石の特徴は保存状態が極めてよく、羽や毛の跡が化石として残るほどです。
発掘された動植物の化石は膨大な数におよび、その種類はプロパレオテリウム(馬の祖先)やサンショウウオ、魚類、鳥類、昆虫類、植物類などにわたっています。
最初に化石が発見されたのは1875年ですが、この地域は石油が出るということで、かなり採掘が進められ、大規模な破壊が行われ、多くの化石が破壊されました。
さらに産業廃棄物処分場としての計画も持ち上がりましたが、市民の反対運動で計画は中止されました。
メッセル・ピットの化石地域 Messel Pit Fossil Site 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1995年 種類:自然遺産 |
メッセル・ピットはドイツのヘッセン州フランクフルト南部のダルムシュタット近郊にあります。
ここは5300万年前から3700万年前(新世代始新世前期)までは湖であり、世界でも有数の化石産地として知られています。
こうした化石から当時の生活環境がうかがえる貴重な資料が得られています。
この地の化石の特徴は保存状態が極めてよく、羽や毛の跡が化石として残るほどです。
発掘された動植物の化石は膨大な数におよび、その種類はプロパレオテリウム(馬の祖先)やサンショウウオ、魚類、鳥類、昆虫類、植物類などにわたっています。
最初に化石が発見されたのは1875年ですが、この地域は石油が出るということで、かなり採掘が進められ、大規模な破壊が行われ、多くの化石が破壊されました。
さらに産業廃棄物処分場としての計画も持ち上がりましたが、市民の反対運動で計画は中止されました。
スポンサードリンク
ピエンツァ市街の歴史地区
ピエンツァはイタリアのトスカーナ地方南部にあり、15世紀以前はコルシニャーノと称されていました。
町の名前が変わった契機は、この土地出身のローマ教皇ピウス2世の命によります。
コルシニャーノは教皇ピウス2世の命により新都市として建設が行われましたが、建設を手がけたのはルネサンスの三大建築家アルベルチィの弟子で、フィレンツエの建設家ベルナルド・ロッセリーノです。
建築は周辺の風景との調和まで考慮にいれたもので、ルネサンス様式で最初の全面的な都市つくりを行いました。
ピウス2世広場を中心に町は碁盤の目のように計画的に建設され、大聖堂や市庁舎、ピッコローミニ宮などが作られました。
建物の様式や装飾は左右対称で、ルネッサンス様式を忠実に踏襲し、後年のイタリア諸都市の設計にも影響を与えました。
町の改造は教皇ピウス2世および建設家ベルナルド・ロッセリーノの死により、惜しくも途中で中断されました。
アクセスはシエナから車で1時間半です。
ピエンツァ市街の歴史地区 Historic Centre of the City of Pienza 所在国:イタリア 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ピエンツァはイタリアのトスカーナ地方南部にあり、15世紀以前はコルシニャーノと称されていました。
町の名前が変わった契機は、この土地出身のローマ教皇ピウス2世の命によります。
コルシニャーノは教皇ピウス2世の命により新都市として建設が行われましたが、建設を手がけたのはルネサンスの三大建築家アルベルチィの弟子で、フィレンツエの建設家ベルナルド・ロッセリーノです。
建築は周辺の風景との調和まで考慮にいれたもので、ルネサンス様式で最初の全面的な都市つくりを行いました。
ピウス2世広場を中心に町は碁盤の目のように計画的に建設され、大聖堂や市庁舎、ピッコローミニ宮などが作られました。
建物の様式や装飾は左右対称で、ルネッサンス様式を忠実に踏襲し、後年のイタリア諸都市の設計にも影響を与えました。
町の改造は教皇ピウス2世および建設家ベルナルド・ロッセリーノの死により、惜しくも途中で中断されました。
アクセスはシエナから車で1時間半です。