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ピエンツァ市街の歴史地区
ピエンツァはイタリアのトスカーナ地方南部にあり、15世紀以前はコルシニャーノと称されていました。
町の名前が変わった契機は、この土地出身のローマ教皇ピウス2世の命によります。
コルシニャーノは教皇ピウス2世の命により新都市として建設が行われましたが、建設を手がけたのはルネサンスの三大建築家アルベルチィの弟子で、フィレンツエの建設家ベルナルド・ロッセリーノです。
建築は周辺の風景との調和まで考慮にいれたもので、ルネサンス様式で最初の全面的な都市つくりを行いました。
ピウス2世広場を中心に町は碁盤の目のように計画的に建設され、大聖堂や市庁舎、ピッコローミニ宮などが作られました。
建物の様式や装飾は左右対称で、ルネッサンス様式を忠実に踏襲し、後年のイタリア諸都市の設計にも影響を与えました。
町の改造は教皇ピウス2世および建設家ベルナルド・ロッセリーノの死により、惜しくも途中で中断されました。
アクセスはシエナから車で1時間半です。
ピエンツァ市街の歴史地区 Historic Centre of the City of Pienza 所在国:イタリア 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ピエンツァはイタリアのトスカーナ地方南部にあり、15世紀以前はコルシニャーノと称されていました。
町の名前が変わった契機は、この土地出身のローマ教皇ピウス2世の命によります。
コルシニャーノは教皇ピウス2世の命により新都市として建設が行われましたが、建設を手がけたのはルネサンスの三大建築家アルベルチィの弟子で、フィレンツエの建設家ベルナルド・ロッセリーノです。
建築は周辺の風景との調和まで考慮にいれたもので、ルネサンス様式で最初の全面的な都市つくりを行いました。
ピウス2世広場を中心に町は碁盤の目のように計画的に建設され、大聖堂や市庁舎、ピッコローミニ宮などが作られました。
建物の様式や装飾は左右対称で、ルネッサンス様式を忠実に踏襲し、後年のイタリア諸都市の設計にも影響を与えました。
町の改造は教皇ピウス2世および建設家ベルナルド・ロッセリーノの死により、惜しくも途中で中断されました。
アクセスはシエナから車で1時間半です。
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