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殷墟(インシー)
中国の世界遺産である殷墟はまさに文化遺産にふさわしい背景をもっています。
現在、私たちが使用している漢字のルーツがここにあるからです。
歴史の授業で学んだ漢字は、当初、動物の骨に刻まれた甲骨文字といわれています。
その甲骨文字が発掘されたのがここ殷墟なのです。
この甲骨文字が刻まれた骨は漢方薬店で売っていた龍骨(漢方薬の一種である骨)を発見したことから始まります。
それが1899年であり、発見者は金石学者であった王懿栄です。
そして友人である金石学者羅振玉はこの甲骨文字の解読を始め、発掘された村は架空の存在と考えられていた殷王朝の遺跡ではないかと考えるにいたりました。
1828年から本格的な発掘調査が始まり、日中戦争をはさんで成果はかなりの数にあがりました。
現在調査が進んだ殷墟の範囲は東西6km、南北4kmの地域です。
この地域は殷王朝時代の甲骨や青銅器が最も密集して発見された場所です。
さらに多くの建物跡と墳墓も発見されており、小屯村の北東付近が宮殿などのある都の中心だったとみられ、その周囲には工房跡なども見つかっています。
特筆すべきは22代目の帝武丁妃である婦好の墳墓であり、1976年にほぼ未発掘の状態で発見されました。
墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者の骨が見つかっており、他に副葬品として、440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7000枚の当時の貝貨が出土しています。
殷墟(インシー) Yin xu 所在国:中国 世界遺産登録:2006年 種類:文化遺産 |
中国の世界遺産である殷墟はまさに文化遺産にふさわしい背景をもっています。
現在、私たちが使用している漢字のルーツがここにあるからです。
歴史の授業で学んだ漢字は、当初、動物の骨に刻まれた甲骨文字といわれています。
その甲骨文字が発掘されたのがここ殷墟なのです。
この甲骨文字が刻まれた骨は漢方薬店で売っていた龍骨(漢方薬の一種である骨)を発見したことから始まります。
それが1899年であり、発見者は金石学者であった王懿栄です。
そして友人である金石学者羅振玉はこの甲骨文字の解読を始め、発掘された村は架空の存在と考えられていた殷王朝の遺跡ではないかと考えるにいたりました。
1828年から本格的な発掘調査が始まり、日中戦争をはさんで成果はかなりの数にあがりました。
現在調査が進んだ殷墟の範囲は東西6km、南北4kmの地域です。
この地域は殷王朝時代の甲骨や青銅器が最も密集して発見された場所です。
さらに多くの建物跡と墳墓も発見されており、小屯村の北東付近が宮殿などのある都の中心だったとみられ、その周囲には工房跡なども見つかっています。
特筆すべきは22代目の帝武丁妃である婦好の墳墓であり、1976年にほぼ未発掘の状態で発見されました。
墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者の骨が見つかっており、他に副葬品として、440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7000枚の当時の貝貨が出土しています。
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