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古代高句麗(コグリ)王国の首都と古墳群
古代高句麗は、紀元前1世紀頃より中国東北部と朝鮮半島北部に繁栄した王国です。
その起源は、紀元前37年に五女山城(卒本城)を都として建国し、西暦3年丸都山城に遷都、その後平城の国内城に移り、427年平壌に再び遷都し、668年に唐・新羅連合軍によって滅ぼされました。
「古代高句麗(コグリ)王国の首都と古墳群」は、現在の中国と北朝鮮両国にまたがって世界遺産として登録されています。
また北朝鮮にとっては初めての世界遺産登録となります。
登録の内容は、王国最初期に建設された、「五女山城(中国遼寧省桓仁県)」「丸都山城(吉林省集安市)」「国内城(吉林省集安市)」の三つの都にある城郭、宮殿などの遺構と、各首都周辺に残る計40の墳墓群からなっています。
一方、北朝鮮側の遺跡は、高句麗の王、王族、貴族の墳墓63基が指定されました。
その多くは当時の高句麗の文化や風俗を生き生きと伝える壁画古墳です。
北朝鮮の主な高句麗壁画古墳には安岳3号墳、徳興里古墳、修山里古墳、江西大墓などがありますが、これらの古墳壁画のなかには明日香村の高松塚古墳壁画との関連を指摘されるものもあり、古代日本に与えた影響も見逃せません。
墳墓内の壁画は、北方遊牧民の文化的影響が窺える高句麗独自の様式をもち、芸術的な評価も高いものがあります。
古代高句麗(コグリ)王国の首都と古墳群 Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom 所在国:中国、北朝鮮 世界遺産登録:2004年 種類:文化遺産 |
古代高句麗は、紀元前1世紀頃より中国東北部と朝鮮半島北部に繁栄した王国です。
その起源は、紀元前37年に五女山城(卒本城)を都として建国し、西暦3年丸都山城に遷都、その後平城の国内城に移り、427年平壌に再び遷都し、668年に唐・新羅連合軍によって滅ぼされました。
「古代高句麗(コグリ)王国の首都と古墳群」は、現在の中国と北朝鮮両国にまたがって世界遺産として登録されています。
また北朝鮮にとっては初めての世界遺産登録となります。
登録の内容は、王国最初期に建設された、「五女山城(中国遼寧省桓仁県)」「丸都山城(吉林省集安市)」「国内城(吉林省集安市)」の三つの都にある城郭、宮殿などの遺構と、各首都周辺に残る計40の墳墓群からなっています。
一方、北朝鮮側の遺跡は、高句麗の王、王族、貴族の墳墓63基が指定されました。
その多くは当時の高句麗の文化や風俗を生き生きと伝える壁画古墳です。
北朝鮮の主な高句麗壁画古墳には安岳3号墳、徳興里古墳、修山里古墳、江西大墓などがありますが、これらの古墳壁画のなかには明日香村の高松塚古墳壁画との関連を指摘されるものもあり、古代日本に与えた影響も見逃せません。
墳墓内の壁画は、北方遊牧民の文化的影響が窺える高句麗独自の様式をもち、芸術的な評価も高いものがあります。
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