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ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡
ケルクアンは、北東チュニジアのボン岬の近くにあったカルタゴの都市です。
このフェニキア人(カルタゴ人)の都市は、第一次ポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前241年)の間に放棄されたと見られており、ローマ人によって再建されませんでした。
この街は、ほぼ400年間存在しました。
カルタゴは、フェニキア人の作った豊かで、経済力もある海運都市国家、その豊沃さ故に宿敵ローマ帝国に滅ぼされてしまった国です。
一部分が破壊されるにとどまったので、ケルクアン(町から離れたビット)は古代のカルタゴの最良の遺跡です。
発掘の結果、この遺跡が、紀元前4世紀から紀元前3世紀のものであることが明らかになっています。
建物の配置がはっきり分かる遺跡のここかしこに多くの家の壁が残されています。
またファサード上の有色の粘土も数々残っています。
個々の家は、緻密な都市計画に基づいて標準化されています。
チュニス郊外のカルタゴの町には、ローマ帝国に完全に壊滅されてしまった町の残骸がありますが、本当に壊滅されてしまったため、カルタゴ時代のものはほとんど残っていません。
現在見られる遺跡のほとんどはその後、植民都市として築きあげられたローマ時代のもののみです。
だからカルタゴ時代のものはこの地上から完全に抹殺されてしまったと長年思われていました。
しかし、20世紀になっての調査の結果、カルタゴ時代の町の遺跡がほぼそのままの形で残されている都市がが発見されたのです。
その世紀の大発見の地がここ、ケルクアン。
ここには地球上から消え去ってしまったはずのカルタゴ人の生活が唯一残されている大変重要な遺跡です。
聖壇には柱列が設けられており、また、小さな中庭にはモザイクが見られます。
単純なモザイクの縁石、ドアステップ、敷居、床は、至る所にあります。
現在も、考古学者はケルクアンの発掘を行っています。
しかし、最良の部分はすでに発掘済であると考えられています。
ケルクアンは、カルタゴ、ハドルメトゥム(Hadrumetum、現代のスース)およびウティカ(Utica)と共に、最も重要なフェニキア人の都市のうちの1つでした。
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡 Punic Town of Kerkuane and its Necropolis 所在国:チュニジア 世界遺産登録:1985年、1986年 種類:文化遺産 |
ケルクアンは、北東チュニジアのボン岬の近くにあったカルタゴの都市です。
このフェニキア人(カルタゴ人)の都市は、第一次ポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前241年)の間に放棄されたと見られており、ローマ人によって再建されませんでした。
この街は、ほぼ400年間存在しました。
カルタゴは、フェニキア人の作った豊かで、経済力もある海運都市国家、その豊沃さ故に宿敵ローマ帝国に滅ぼされてしまった国です。
一部分が破壊されるにとどまったので、ケルクアン(町から離れたビット)は古代のカルタゴの最良の遺跡です。
発掘の結果、この遺跡が、紀元前4世紀から紀元前3世紀のものであることが明らかになっています。
建物の配置がはっきり分かる遺跡のここかしこに多くの家の壁が残されています。
またファサード上の有色の粘土も数々残っています。
個々の家は、緻密な都市計画に基づいて標準化されています。
チュニス郊外のカルタゴの町には、ローマ帝国に完全に壊滅されてしまった町の残骸がありますが、本当に壊滅されてしまったため、カルタゴ時代のものはほとんど残っていません。
現在見られる遺跡のほとんどはその後、植民都市として築きあげられたローマ時代のもののみです。
だからカルタゴ時代のものはこの地上から完全に抹殺されてしまったと長年思われていました。
しかし、20世紀になっての調査の結果、カルタゴ時代の町の遺跡がほぼそのままの形で残されている都市がが発見されたのです。
その世紀の大発見の地がここ、ケルクアン。
ここには地球上から消え去ってしまったはずのカルタゴ人の生活が唯一残されている大変重要な遺跡です。
聖壇には柱列が設けられており、また、小さな中庭にはモザイクが見られます。
単純なモザイクの縁石、ドアステップ、敷居、床は、至る所にあります。
現在も、考古学者はケルクアンの発掘を行っています。
しかし、最良の部分はすでに発掘済であると考えられています。
ケルクアンは、カルタゴ、ハドルメトゥム(Hadrumetum、現代のスース)およびウティカ(Utica)と共に、最も重要なフェニキア人の都市のうちの1つでした。
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