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コミ原生林
ロシアのコミ共和国の原生林である。
コミ共和国は国土の70%以上をタイガが、約15%を沼地が占めています。
ここは広大な自然保護区で、実質上は、ほぼ無人に近い地域です。
人が住めるところはごく一部に限られていますが、だからこそ自然がそのまま残されているのです。
コミ共和国の東北部はツンドラ地帯です。
ウラル山脈北部の32,800km2に及ぶツンドラは、ヨーロッパ最大の原生林で、ここがコミ原生林なのです。
ユネスコ世界遺産に登録される前は、ヒグマ、ヘラジカ、テンなどの毛皮を目的にした狩猟がなされていました。
タイリクオオカミ、ユーラシアカワウソ、クズリなど、絶滅の危機に瀕する野生動物も生息しています。
ユネスコ世界遺産に登録されてからは、絶滅寸前であるオオヤマネコの保護対策には特に力を入れています。
原生林というだけあって、古くから林業が盛んでした。
森林資源の保全と、絶滅危機種の野生動物の保護が目的で、ユネスコ世界遺産に登録されたようです。
コミ原生林 Virgin Komi Forests 所在国:ロシア 世界遺産登録:1995年 種類:自然遺産 |
ロシアのコミ共和国の原生林である。
コミ共和国は国土の70%以上をタイガが、約15%を沼地が占めています。
ここは広大な自然保護区で、実質上は、ほぼ無人に近い地域です。
人が住めるところはごく一部に限られていますが、だからこそ自然がそのまま残されているのです。
コミ共和国の東北部はツンドラ地帯です。
ウラル山脈北部の32,800km2に及ぶツンドラは、ヨーロッパ最大の原生林で、ここがコミ原生林なのです。
ユネスコ世界遺産に登録される前は、ヒグマ、ヘラジカ、テンなどの毛皮を目的にした狩猟がなされていました。
タイリクオオカミ、ユーラシアカワウソ、クズリなど、絶滅の危機に瀕する野生動物も生息しています。
ユネスコ世界遺産に登録されてからは、絶滅寸前であるオオヤマネコの保護対策には特に力を入れています。
原生林というだけあって、古くから林業が盛んでした。
森林資源の保全と、絶滅危機種の野生動物の保護が目的で、ユネスコ世界遺産に登録されたようです。
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ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群
ポツダムといえば歴史の教科書で第二次世界大戦の終結のための会談が行われた場所として有名です。
この会談の場所は世界遺産に登録されたツェツィーリエンホーフ宮殿です。
ポツダムは歴史的に見るとプロイセン公国の拠点として発展した歴史を持っています。
このほかにもポツダムは歴史的建造物(主に宮殿と庭園)が多く、18世紀にプロイセン王国のフリードリヒ大王が造営したロココ式の夏の離宮サンスーシ宮殿などがあります。
ポツダムから30キロ弱離れているのがベルリンです。
ベルリンは南西端部のポツダムに隣接するツェーレンドルフ地区(行政区分ではシュテグリッツ・ツェーレンドルフ区)に世界遺産に登録された物件があります。
ベルリンの指定された物件はグリーニケ宮殿と庭園、グリーニケ国民公園、ニコルスケ地区、孔雀島、ベトヒャーベルク山、グリーニケの狩猟用別邸などです。
ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 Palaces and Parks of Potsdam and Berlin 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1990年、1992-1999年 種類:文化遺産 |
ポツダムといえば歴史の教科書で第二次世界大戦の終結のための会談が行われた場所として有名です。
この会談の場所は世界遺産に登録されたツェツィーリエンホーフ宮殿です。
ポツダムは歴史的に見るとプロイセン公国の拠点として発展した歴史を持っています。
このほかにもポツダムは歴史的建造物(主に宮殿と庭園)が多く、18世紀にプロイセン王国のフリードリヒ大王が造営したロココ式の夏の離宮サンスーシ宮殿などがあります。
ポツダムから30キロ弱離れているのがベルリンです。
ベルリンは南西端部のポツダムに隣接するツェーレンドルフ地区(行政区分ではシュテグリッツ・ツェーレンドルフ区)に世界遺産に登録された物件があります。
ベルリンの指定された物件はグリーニケ宮殿と庭園、グリーニケ国民公園、ニコルスケ地区、孔雀島、ベトヒャーベルク山、グリーニケの狩猟用別邸などです。
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ミストラ
ミストラス( Mystras,Myzithras)はギリシア・ペロポニソス半島南東部・ラコニア県にある中世城塞都市遺跡です。
東ローマ帝国の地方行政組織モレアス専制公領の行政府、文化都市です。
日本では西欧の文献で長く用いられた表記を採用して「ミストラ」(Mistra)と記す場合も多いです。
この都市の元々の名前「ミジスラス」は「チーズ製造酪農家」を意味する中世ギリシア語です。
これが「ミストラス」という現在の形に変わったのは17世紀以降のことと考えられています。
十字軍と共にやって来た西欧人はギリシア人が話すこの言葉の対格形を主格と聞き違え、自らの言語に採り入れて「ミシスラ」(Misithra)としたと云われております。
その後この名称が転訛を遂げて17世紀後半に「ミストラ」と呼ばれるようになり、現在に至っています。
ギリシアのラコニア県にあるミストラの中世都市は1989年に世界遺産に登録された文化遺産となりました。
このミストラの町は14世紀から15世紀にかけてビザンチン帝国下の城塞都市として栄えた町で、2重の城壁で上下に分れています。
上部には13世紀に造られた堅固なカストロ(山の城の意味)がそびえ、下部には宮殿及び邸宅と聖堂が建ち並んでいます。
なかでも有名なのはギリシア十字形プランの模範ともいわれるアフェンディコ聖堂と中世で最も美しい修道院の一つパンダナサ修道院でしょう。
ミストラ Mystras 所在国:ギリシャ 世界遺産登録:1989年 種類:文化遺産 |
ミストラス( Mystras,Myzithras)はギリシア・ペロポニソス半島南東部・ラコニア県にある中世城塞都市遺跡です。
東ローマ帝国の地方行政組織モレアス専制公領の行政府、文化都市です。
日本では西欧の文献で長く用いられた表記を採用して「ミストラ」(Mistra)と記す場合も多いです。
この都市の元々の名前「ミジスラス」は「チーズ製造酪農家」を意味する中世ギリシア語です。
これが「ミストラス」という現在の形に変わったのは17世紀以降のことと考えられています。
十字軍と共にやって来た西欧人はギリシア人が話すこの言葉の対格形を主格と聞き違え、自らの言語に採り入れて「ミシスラ」(Misithra)としたと云われております。
その後この名称が転訛を遂げて17世紀後半に「ミストラ」と呼ばれるようになり、現在に至っています。
ギリシアのラコニア県にあるミストラの中世都市は1989年に世界遺産に登録された文化遺産となりました。
このミストラの町は14世紀から15世紀にかけてビザンチン帝国下の城塞都市として栄えた町で、2重の城壁で上下に分れています。
上部には13世紀に造られた堅固なカストロ(山の城の意味)がそびえ、下部には宮殿及び邸宅と聖堂が建ち並んでいます。
なかでも有名なのはギリシア十字形プランの模範ともいわれるアフェンディコ聖堂と中世で最も美しい修道院の一つパンダナサ修道院でしょう。