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スヴェシュタリのトラキア人の墳墓
スヴェシュタリのトラキア人の墳墓はブルガリア共和国の西北部のドナウ川沿いの街であるシリストラの西にあるルーマニアとの国境の町ルセの郊外にあります。
1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたスヴェシュタリのトラキア人の墳墓は、1944年に防空壕を掘っていた兵士たちによって偶然に発見されました。
トラキア人は紀元前300年頃には既に王制をしいており、貨幣をつくり農林業を営むという高度な文明・文化を持っていました。
このスヴェシュタリのトラキア人の墳墓の中の王族の墓1982年に発見され、直径70m、高さ12mで紀元前300年頃に作られたものだそうです。
玄室(王と王妃の間)には生命の衰えと再生を象徴する老若男女の10体の女性像が飾られており、天井に描かれた壁画も保存状態が良くヘレニズム文明の重要な遺産といえるものです。
スヴェシュタリのトラキア人の墳墓 Thracian tomb of Sveshtari 所在国:ブルガリア共和国 世界遺産登録年:1985年 世界遺産の種類:文化遺産 |
スヴェシュタリのトラキア人の墳墓はブルガリア共和国の西北部のドナウ川沿いの街であるシリストラの西にあるルーマニアとの国境の町ルセの郊外にあります。
1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたスヴェシュタリのトラキア人の墳墓は、1944年に防空壕を掘っていた兵士たちによって偶然に発見されました。
トラキア人は紀元前300年頃には既に王制をしいており、貨幣をつくり農林業を営むという高度な文明・文化を持っていました。
このスヴェシュタリのトラキア人の墳墓の中の王族の墓1982年に発見され、直径70m、高さ12mで紀元前300年頃に作られたものだそうです。
玄室(王と王妃の間)には生命の衰えと再生を象徴する老若男女の10体の女性像が飾られており、天井に描かれた壁画も保存状態が良くヘレニズム文明の重要な遺産といえるものです。
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ルーレオーのガンメルスタードの教会街
ルーレオーのガンメルスタードの教会街は、スウェーデン北部、フィンランド国境と間近な都市であるルーレオ内のガンメルスタード村にあります。
ガンメルスタードの歴史は15世紀初頭に、スウェーデン貴族が建てた教会を中心に、ルーレオ川の西側に信者たちがコテージを建てて住み始めたり、遠方から来た信者の為に簡易宿泊所を作ったことに由来します。
17世紀には、ルーレ川の東側に新しく住宅街が建設され始めましたが、西側に住んでいた人たちは、そのまま住み続けました。
このことが結果として、ルーレオ川西側に、中世の面影そのままの、平屋建ての木造家屋が現在まで残存することになったのです。
また、ガンメルスタードのルーツといえる、カトリックの教会は、スウェーデン北部の中世聖堂としては、もっとも大きい建築物であり、北部地方最古の教会でもあります。
ルーレオーのガンメルスタードの教会街 Church Village of Gammelstad, Lulea 所在国:スウェーデン 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
ルーレオーのガンメルスタードの教会街は、スウェーデン北部、フィンランド国境と間近な都市であるルーレオ内のガンメルスタード村にあります。
ガンメルスタードの歴史は15世紀初頭に、スウェーデン貴族が建てた教会を中心に、ルーレオ川の西側に信者たちがコテージを建てて住み始めたり、遠方から来た信者の為に簡易宿泊所を作ったことに由来します。
17世紀には、ルーレ川の東側に新しく住宅街が建設され始めましたが、西側に住んでいた人たちは、そのまま住み続けました。
このことが結果として、ルーレオ川西側に、中世の面影そのままの、平屋建ての木造家屋が現在まで残存することになったのです。
また、ガンメルスタードのルーツといえる、カトリックの教会は、スウェーデン北部の中世聖堂としては、もっとも大きい建築物であり、北部地方最古の教会でもあります。
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ロードス島の中世都市
ロードス島は、エーゲ海南東部に位置するドデカニサ諸島の中でもっとも大きい島です。
ロードスという名前はギリシャ語で「バラ」の意味です。
ロードス島には、新石器時代から人が住んでいたとされており、紀元前2世紀ごろには、エジプトのプトレマイオス朝との交易の拠点として、エーゲ海における通商の覇者として栄えました。
その後ローマに征服されてからは、一旦衰退しましたが、14〜16世紀に、十字軍の聖ヨハネ騎士団が、エルサレムの守護に破れてロードス島を拠点にしてから、再興しました。
イスラム勢力のトルコ軍に対抗できるよう、全長4キロにもおよぶ、壕を巡らした強固な城塞を築き上げました。
城壁の内側には、ゴシック様式の騎士団の宮殿や館が建てられました。
現在でも、旧市街の石畳や騎士団通りなどに、当時の面影がうかがえます。
また、ロードス島は、これ以外にも、世界7不思議の一つである、ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)があったことでも知られています。
ロードス島の中世都市 Medieval City of Rhodes 所在国:ギリシャ 世界遺産登録:1988年 種類:文化遺産 |
ロードス島は、エーゲ海南東部に位置するドデカニサ諸島の中でもっとも大きい島です。
ロードスという名前はギリシャ語で「バラ」の意味です。
ロードス島には、新石器時代から人が住んでいたとされており、紀元前2世紀ごろには、エジプトのプトレマイオス朝との交易の拠点として、エーゲ海における通商の覇者として栄えました。
その後ローマに征服されてからは、一旦衰退しましたが、14〜16世紀に、十字軍の聖ヨハネ騎士団が、エルサレムの守護に破れてロードス島を拠点にしてから、再興しました。
イスラム勢力のトルコ軍に対抗できるよう、全長4キロにもおよぶ、壕を巡らした強固な城塞を築き上げました。
城壁の内側には、ゴシック様式の騎士団の宮殿や館が建てられました。
現在でも、旧市街の石畳や騎士団通りなどに、当時の面影がうかがえます。
また、ロードス島は、これ以外にも、世界7不思議の一つである、ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)があったことでも知られています。