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アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区
アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区は、ポルトガルから西へおよそ1400キロメートル先の太平洋に位置する9つの火山群島アゾレス諸島内のテルセイラ島にあります。
かつての大航海時代において、新大陸とヨーロッパ本土の間に位置する、戦略的にも大変貴重な中継地点として、発展しました。
アゾレス諸島の中でも、テルセイラ島南岸にあるアングラ・ド・エロイズモの港は、天然の良港であり、そのこともあり、アングラ・ド・エロイズモには港湾都市として発展してきた当時の街並みが残されています。
遺されて来た建造物としては、聖ヨハネ要塞、聖フランシスコ修道院、聖サルバドル大聖堂、レデントール・デ・セ大聖堂などが挙げられます。
アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区 Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores 所在国:ポルトガル 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区は、ポルトガルから西へおよそ1400キロメートル先の太平洋に位置する9つの火山群島アゾレス諸島内のテルセイラ島にあります。
かつての大航海時代において、新大陸とヨーロッパ本土の間に位置する、戦略的にも大変貴重な中継地点として、発展しました。
アゾレス諸島の中でも、テルセイラ島南岸にあるアングラ・ド・エロイズモの港は、天然の良港であり、そのこともあり、アングラ・ド・エロイズモには港湾都市として発展してきた当時の街並みが残されています。
遺されて来た建造物としては、聖ヨハネ要塞、聖フランシスコ修道院、聖サルバドル大聖堂、レデントール・デ・セ大聖堂などが挙げられます。
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アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群
アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの鍾乳洞群は、ハンガリーのアグテレック・カルストと、スロバキアのスロヴァキア・カルストの二つからなっています。
そのハンガリーとスロヴァキアをつないでいる、全長25キロメートルにもおよぶバルドゥラードミツァ洞窟(Baradla-Domica Cave)はヨーロッパで最大の洞窟とされています。
これまでに発見された洞窟の数は712にも及びます。
洞窟の内部は、石筍や鍾乳石が多く並び、長い歳月のもとに自然が作り出した造形美に圧倒されます。
なかでも有名なものは、「天体観測所」と名づけられた、高さ25メートルもの世界最大の石筍(せきじゅん)です。
また、「巨人の広間」、ボート遊びもできる「岩の広間」も見逃せません。
もともとは、1995年にハンガリーの自然遺産として世界遺産に登録されたのですが、2000年にスロヴァキア側にて世界最大級の氷穴、ドブシンスカ氷穴などが追加されたことから現在は、ハンガリー、スロヴァキア、両国による共同遺産、となっています。
アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群にアクセスするには、ハンガリーからは、首都ブダペシュトからグテレク国立公園まで、バスで4〜5時間で行けます。
スロヴァキアからは、コシツェから、鉄道でロジュニャヴァの町まで行き、あまり本数の少ないバス便があるだけです。
アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群 Caves of Aggtelek and Slovak Karst 所在国:ハンガリー、スロヴァキア 世界遺産登録:1995年、2000年 種類:自然遺産 |
アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの鍾乳洞群は、ハンガリーのアグテレック・カルストと、スロバキアのスロヴァキア・カルストの二つからなっています。
そのハンガリーとスロヴァキアをつないでいる、全長25キロメートルにもおよぶバルドゥラードミツァ洞窟(Baradla-Domica Cave)はヨーロッパで最大の洞窟とされています。
これまでに発見された洞窟の数は712にも及びます。
洞窟の内部は、石筍や鍾乳石が多く並び、長い歳月のもとに自然が作り出した造形美に圧倒されます。
なかでも有名なものは、「天体観測所」と名づけられた、高さ25メートルもの世界最大の石筍(せきじゅん)です。
また、「巨人の広間」、ボート遊びもできる「岩の広間」も見逃せません。
もともとは、1995年にハンガリーの自然遺産として世界遺産に登録されたのですが、2000年にスロヴァキア側にて世界最大級の氷穴、ドブシンスカ氷穴などが追加されたことから現在は、ハンガリー、スロヴァキア、両国による共同遺産、となっています。
アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群にアクセスするには、ハンガリーからは、首都ブダペシュトからグテレク国立公園まで、バスで4〜5時間で行けます。
スロヴァキアからは、コシツェから、鉄道でロジュニャヴァの町まで行き、あまり本数の少ないバス便があるだけです。
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アーヘン大聖堂
アーヘン大聖堂(ドイツ語:Aachener Dom)は、ドイツ西部のノルトライン・ヴェストファーレン州にあります。
カール大帝が786年に、宮殿教会の建設を行ったのがアーヘン大聖堂のもとになったことから、「皇帝の大聖堂」(ドイツ語:Kaiserdom)ともいわれます。
805年には献堂式が行われ、814年にシャルルマーニュが死去した後は、この宮殿教会に遺骨が納められました。
カール大帝の遺物箱が今も奉じられています。
その後、カール大帝が聖人としてみなされるようになると、多くの巡礼者がおしかけるようになり、その対応もあって、増改築を繰り返した結果、今日の大聖堂に至っています。
そのこともあり、アーヘン大聖堂は、古典主義様式、ビザンティン様式そしてゲルマン様式-フランク王国様式の各要素を備えています。
カール大帝の玉座がつくられた、936年から1531年にかけて、およそ600年間には、歴代申請ローマ帝国30人の皇帝の戴冠式も行われました。
アーヘン大聖堂には宝物館があり、後期古典主義、カロリング朝時代、オットー朝とシュタウヘン朝の時代の傑作コレクションがそろっています。
代表的なものには、「ロタールの十字架」や「カール大帝の胸像」や「ペルセフォネの石棺」が挙げられます。
アーヘン大聖堂 Aachen Cathedral 所在国:ドイツ 世界遺産登録:1978年 種類:文化遺産 |
アーヘン大聖堂(ドイツ語:Aachener Dom)は、ドイツ西部のノルトライン・ヴェストファーレン州にあります。
カール大帝が786年に、宮殿教会の建設を行ったのがアーヘン大聖堂のもとになったことから、「皇帝の大聖堂」(ドイツ語:Kaiserdom)ともいわれます。
805年には献堂式が行われ、814年にシャルルマーニュが死去した後は、この宮殿教会に遺骨が納められました。
カール大帝の遺物箱が今も奉じられています。
その後、カール大帝が聖人としてみなされるようになると、多くの巡礼者がおしかけるようになり、その対応もあって、増改築を繰り返した結果、今日の大聖堂に至っています。
そのこともあり、アーヘン大聖堂は、古典主義様式、ビザンティン様式そしてゲルマン様式-フランク王国様式の各要素を備えています。
カール大帝の玉座がつくられた、936年から1531年にかけて、およそ600年間には、歴代申請ローマ帝国30人の皇帝の戴冠式も行われました。
アーヘン大聖堂には宝物館があり、後期古典主義、カロリング朝時代、オットー朝とシュタウヘン朝の時代の傑作コレクションがそろっています。
代表的なものには、「ロタールの十字架」や「カール大帝の胸像」や「ペルセフォネの石棺」が挙げられます。