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アルト・ドウロ・ワイン生産地域
アルト・ドーロのワイン生産地域は、ポルトガルのグァルダ県にあり、北部を東西に流れるドーロ川の上流域の丘の斜面に広がるブドウの段々畑 が続来ます。
段々畑を支える石壁の総延長は、数万kmに及びます。
ここで産出されるワインは、ポート・ワインとして世界的にも有名です。
ポートワインは、輝くルビー色、甘み、香り、コクが心地よく調和した気品あふれる味わいから、”ポ ルトガルの宝石”と称されるデザートワインです。
夏の気温は40℃以上、年間雨量900mmと言われるこの乾燥地帯に、良質のブドウを求めた人々が2000年にわたって築いた景観です。
白壁の農家やワイン醸造地域の特徴を示す、優れた景観として世界遺産に登録されました。
この地域でワイン生産が活発となったのは、12世紀の半ばになってからです。
それには様々な修道院組織がワイン畑の再興に貢献したとされています。
ドウロ川流域で生産されたワインがドウロ川を下って下流のポルトへと運ばれるという遠距離交易が盛んになり、また、無敵艦隊へ供給されるワインの需要が高まったこともあり、ドウロ川流域のワイン畑は拡張されると同時に、ワインの品質の高さは、この地域を有名にしたのでした。
16世紀になると、高品質のワインの需要はいっそう高まり、17世紀にかけてワイン畑はさらに拡張が続いきました。
また、ワイン生産における技術革新が行われたのもこの時期であり、ますますこの地域のワインの商品価値はヨーロッパにおいて高まっていったといいます。
ポート・ワインの最大の市場はイギリスです。
1703年、ポルトガルとイギリスの間でメシュエン条約が締結され、ポルトガルで生産されるワインはフランス・ワインよりも低関税でイギリスに輸出されることとなり、ますます、アルト・ドウロ地域のワインは、イギリスへの輸出に依存度は高くなっていきました。
アルト・ドウロ・ワイン生産地域 Alto Douro Wine Region 所在国:ポルトガル共和国 世界遺産登録年:2001年 世界遺産の種類:文化遺産 |
アルト・ドーロのワイン生産地域は、ポルトガルのグァルダ県にあり、北部を東西に流れるドーロ川の上流域の丘の斜面に広がるブドウの段々畑 が続来ます。
段々畑を支える石壁の総延長は、数万kmに及びます。
ここで産出されるワインは、ポート・ワインとして世界的にも有名です。
ポートワインは、輝くルビー色、甘み、香り、コクが心地よく調和した気品あふれる味わいから、”ポ ルトガルの宝石”と称されるデザートワインです。
夏の気温は40℃以上、年間雨量900mmと言われるこの乾燥地帯に、良質のブドウを求めた人々が2000年にわたって築いた景観です。
白壁の農家やワイン醸造地域の特徴を示す、優れた景観として世界遺産に登録されました。
この地域でワイン生産が活発となったのは、12世紀の半ばになってからです。
それには様々な修道院組織がワイン畑の再興に貢献したとされています。
ドウロ川流域で生産されたワインがドウロ川を下って下流のポルトへと運ばれるという遠距離交易が盛んになり、また、無敵艦隊へ供給されるワインの需要が高まったこともあり、ドウロ川流域のワイン畑は拡張されると同時に、ワインの品質の高さは、この地域を有名にしたのでした。
16世紀になると、高品質のワインの需要はいっそう高まり、17世紀にかけてワイン畑はさらに拡張が続いきました。
また、ワイン生産における技術革新が行われたのもこの時期であり、ますますこの地域のワインの商品価値はヨーロッパにおいて高まっていったといいます。
ポート・ワインの最大の市場はイギリスです。
1703年、ポルトガルとイギリスの間でメシュエン条約が締結され、ポルトガルで生産されるワインはフランス・ワインよりも低関税でイギリスに輸出されることとなり、ますます、アルト・ドウロ地域のワインは、イギリスへの輸出に依存度は高くなっていきました。
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アルタイのゴールデン・マウンテン
アルタイのゴールデン・マウンテンは、ゴビ砂漠の北のアルタイ共和国ゴルノ・アルタイ自治州にある山脈です。
アルタイという名前自体が「黄金の山々」と言う意味を持っています。
アルタイは、ロシア、中国、カザフスタン、モンゴルの交わる地域に位置し、北アジアおよびシベリアで最も美しい場所と言われています。
1998年に自然遺産として世界遺産に登録されました。
登録地域は、水深325メートルの美しいテレスコヤ湖、最高峰のプラハ山(4506m)、ウコク高原の一帯の1611haにおよびます。
この地域は、カラマツ、モミ等の針葉樹林を中心に、中央シベリアのステップ、森林ステップ、混合林、亜高山植物帯、高山植物帯の最も完全な連鎖でつながり、ユキヒョウ、イヌワシ、カタジロワシなど絶滅危惧種の重要な生息地でもある。
著名な科学者の中には、アルタイを野外博物館と呼ぶ人もいる。
アルタイのゴールデン・マウンテンの草原には、永久凍土の中にクルガンと呼ばれる石を組み上げて造った墳墓があります。
凍土の下に埋もれていたため、衣装や靴、肩に入れた文身までが残されたまま発見されました。
およそ2,500年前の衣装や風俗を伝える貴重な資料です。
また、《マンモス骨格》は、高さ約3メートルの迫力あるもので、約40,000年前の地層から発掘されました。
しかし、ここ100年で1〜2度の気温上昇により永久凍土が溶け出し、クルガンの腐敗・崩壊が進んでいます。
アルタイのゴールデン・マウンテン Golden Mountains of Altai 所在国:ロシア連邦 世界遺産登録年:1998年 世界遺産の種類:自然遺産 |
アルタイのゴールデン・マウンテンは、ゴビ砂漠の北のアルタイ共和国ゴルノ・アルタイ自治州にある山脈です。
アルタイという名前自体が「黄金の山々」と言う意味を持っています。
アルタイは、ロシア、中国、カザフスタン、モンゴルの交わる地域に位置し、北アジアおよびシベリアで最も美しい場所と言われています。
1998年に自然遺産として世界遺産に登録されました。
登録地域は、水深325メートルの美しいテレスコヤ湖、最高峰のプラハ山(4506m)、ウコク高原の一帯の1611haにおよびます。
この地域は、カラマツ、モミ等の針葉樹林を中心に、中央シベリアのステップ、森林ステップ、混合林、亜高山植物帯、高山植物帯の最も完全な連鎖でつながり、ユキヒョウ、イヌワシ、カタジロワシなど絶滅危惧種の重要な生息地でもある。
著名な科学者の中には、アルタイを野外博物館と呼ぶ人もいる。
アルタイのゴールデン・マウンテンの草原には、永久凍土の中にクルガンと呼ばれる石を組み上げて造った墳墓があります。
凍土の下に埋もれていたため、衣装や靴、肩に入れた文身までが残されたまま発見されました。
およそ2,500年前の衣装や風俗を伝える貴重な資料です。
また、《マンモス骨格》は、高さ約3メートルの迫力あるもので、約40,000年前の地層から発掘されました。
しかし、ここ100年で1〜2度の気温上昇により永久凍土が溶け出し、クルガンの腐敗・崩壊が進んでいます。
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ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー
ランメルスベルク鉱山とゴスラルの歴史地区は、ドイツ共和国、ザクセン州南部のハルツ地方にあります。
ランメルスベルク鉱山は、ハルツ山地の海抜635mの鉱山で、まず最初に銀鉱脈が発見されました。
採掘が始まったのはローマ時代、1000年以上前であると考えられています。
ゴスラルの町は、ハルツ地方の中心的な都市で、ランメルスベルク鉱山の麓にあり、鉱山の町として栄えました。
13世紀末にはハンザ同盟に加わり、第2の興隆期を迎えました。
ゴスラルの町には歴代の皇帝・王の居留地が置かれ、神聖ローマ帝国の議会が開かれた宮殿や、毛織物組合の建物であるカイザーヴォルス、マルクト広場など、鉱山のもたらす富によって築かれた中世の美しい街並みが形成されました。
その後、銅、鉛の鉱脈も発見され、銅や鉛の採掘が始まりましたが、1980年代に鉱脈が枯渇し、1988年閉鎖されました。
閉山後、町は衰退していきましたが、美しい旧市街を訪れる観光客が絶えませんでした。
1000年以上の歴史を持つランメルスベルクの鉱山は2700万トンの資源を産出したと考えられています。
鉱山が廃業したあと、鉱山と産業の歴史を示すために博物館が建設されています。
ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー Mines of Rammelsberg and Historic Town of Goslar 所在国:ドイツ連邦共和国 世界遺産登録年:1992年 世界遺産の種類:文化遺産 |
ランメルスベルク鉱山とゴスラルの歴史地区は、ドイツ共和国、ザクセン州南部のハルツ地方にあります。
ランメルスベルク鉱山は、ハルツ山地の海抜635mの鉱山で、まず最初に銀鉱脈が発見されました。
採掘が始まったのはローマ時代、1000年以上前であると考えられています。
ゴスラルの町は、ハルツ地方の中心的な都市で、ランメルスベルク鉱山の麓にあり、鉱山の町として栄えました。
13世紀末にはハンザ同盟に加わり、第2の興隆期を迎えました。
ゴスラルの町には歴代の皇帝・王の居留地が置かれ、神聖ローマ帝国の議会が開かれた宮殿や、毛織物組合の建物であるカイザーヴォルス、マルクト広場など、鉱山のもたらす富によって築かれた中世の美しい街並みが形成されました。
その後、銅、鉛の鉱脈も発見され、銅や鉛の採掘が始まりましたが、1980年代に鉱脈が枯渇し、1988年閉鎖されました。
閉山後、町は衰退していきましたが、美しい旧市街を訪れる観光客が絶えませんでした。
1000年以上の歴史を持つランメルスベルクの鉱山は2700万トンの資源を産出したと考えられています。
鉱山が廃業したあと、鉱山と産業の歴史を示すために博物館が建設されています。