このサイトでは、世界遺産の紹介、案内をしています。
スポンサードリンク
古都ビガン
古都ビガンは18〜19世紀の建物が並び、独特の雰囲気を漂わせているメナ・クリソロゴ通りをはじめとする町並み。
マニラから北へ約400km、イロコス・スール州の州都ビガンはスペイン統治時代以前より国際的な港町として栄えていたため、中国や日本、メキシコ、ヨーロッパの影響を強く受けた街並みです。
ルソン島の北部に位置するビガンはスペインの植民地として16世紀に拓かれた植民地です。
今もスペイン風建築物の町並みが残り、当時の面影を漂わせています。
350年にわたるスペイン統治時代の伝統と文化は、言語だけでなく、国民の日常生活の中にも根強く残っています。
フィリピン各地で見られるバロック教会、ルソン東北部の古都ビガン、マニラに残るスペイン統治の象徴イントラムロス(城壁都市)など、今もなお街の人々と共に生き続けています。
古都ビガン Historic Town of Vigan 所在国:フィリピン 世界遺産登録:1999年 種類:文化遺産 |
古都ビガンは18〜19世紀の建物が並び、独特の雰囲気を漂わせているメナ・クリソロゴ通りをはじめとする町並み。
マニラから北へ約400km、イロコス・スール州の州都ビガンはスペイン統治時代以前より国際的な港町として栄えていたため、中国や日本、メキシコ、ヨーロッパの影響を強く受けた街並みです。
ルソン島の北部に位置するビガンはスペインの植民地として16世紀に拓かれた植民地です。
今もスペイン風建築物の町並みが残り、当時の面影を漂わせています。
350年にわたるスペイン統治時代の伝統と文化は、言語だけでなく、国民の日常生活の中にも根強く残っています。
フィリピン各地で見られるバロック教会、ルソン東北部の古都ビガン、マニラに残るスペイン統治の象徴イントラムロス(城壁都市)など、今もなお街の人々と共に生き続けています。
PR
スポンサードリンク
ミーソン聖域
ミーソン聖域はベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡です。
1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にあります。
7世紀から13世紀、ベトナム中部を支配したチャンパの歴代の王たちは、ヒンドゥー教の聖域とされていたミーソンに、チャンパ塔や多くの伽藍(がらん)を築きました。
ミーソンにはレンガ作りの遺構が残っていますが、ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されています。
戦後、ベトナム人研究者からなる調査団は、地雷原の中にあったミーソン聖域の修復と保存に命懸けで取り組みました。
インドネシアから北上してきたチャムと呼ばれる民族が開いたチャンパ王国。
ミーソンは、東南アジアで早い時期に建国されたチャンパ王国の、ヒンドゥー教文化を今に伝える貴重な遺跡です。
遺跡の近くを大河トゥーボン川(秋盆江)が流れており、川の女神を祀る秋盆夫人祠とサンスクリット碑文があります。
トゥーボン川の中流には王都チャキエウ(茶蕎)遺跡があり、河口には近世に日本人町が栄えた港町ホイアン(会安)があります。
ミーソン聖域 My Son Sanctuary 所在国:ベトナム 世界遺産登録:1999年 種類:文化遺産 |
ミーソン聖域はベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡です。
1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にあります。
7世紀から13世紀、ベトナム中部を支配したチャンパの歴代の王たちは、ヒンドゥー教の聖域とされていたミーソンに、チャンパ塔や多くの伽藍(がらん)を築きました。
ミーソンにはレンガ作りの遺構が残っていますが、ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されています。
戦後、ベトナム人研究者からなる調査団は、地雷原の中にあったミーソン聖域の修復と保存に命懸けで取り組みました。
インドネシアから北上してきたチャムと呼ばれる民族が開いたチャンパ王国。
ミーソンは、東南アジアで早い時期に建国されたチャンパ王国の、ヒンドゥー教文化を今に伝える貴重な遺跡です。
遺跡の近くを大河トゥーボン川(秋盆江)が流れており、川の女神を祀る秋盆夫人祠とサンスクリット碑文があります。
トゥーボン川の中流には王都チャキエウ(茶蕎)遺跡があり、河口には近世に日本人町が栄えた港町ホイアン(会安)があります。
スポンサードリンク
聖地アヌラーダプラ
聖地アヌラーダプラは、スリランカ民主社会主義共和国の最古の首都で、古代シンハラ王朝の都としても栄えたスリランカ中北部の町です。
紀元前4世紀から約600年間、首都として繁栄したものの、13世紀頃に王位継承争いなどで政情が不安定に陥ったことで、衰退してしまい、ジャングルと化してしまいました。
聖地アヌラーダプラは、狩人や掃除夫、異教徒や外国人の住宅地、カーストによる墓地など考えられた都市計画のもと発展し、病院や宿泊所などもあり、当時の生活レベルの高さを知ることができます。
聖地アヌラーダプラの中心には、都市計画と同様に当時の繁栄を思わせる世界最古と言われる樹齢2000年以上のスリマハ菩提樹や、高さ100mにもおよぶ世界最大の仏塔ルヴァンベリセヤ大塔、スリランカ最古と言われる仏塔ツパラマ・ダガバ、黄銅宮殿、イスルムニヤ寺跡などが残されています。
聖地アヌラーダプラ Sacred City of Anuradhapura 所在国:スリランカ民主社会主義共和国 世界遺産登録:1982年 種類:文化遺産 |
聖地アヌラーダプラは、スリランカ民主社会主義共和国の最古の首都で、古代シンハラ王朝の都としても栄えたスリランカ中北部の町です。
紀元前4世紀から約600年間、首都として繁栄したものの、13世紀頃に王位継承争いなどで政情が不安定に陥ったことで、衰退してしまい、ジャングルと化してしまいました。
聖地アヌラーダプラは、狩人や掃除夫、異教徒や外国人の住宅地、カーストによる墓地など考えられた都市計画のもと発展し、病院や宿泊所などもあり、当時の生活レベルの高さを知ることができます。
聖地アヌラーダプラの中心には、都市計画と同様に当時の繁栄を思わせる世界最古と言われる樹齢2000年以上のスリマハ菩提樹や、高さ100mにもおよぶ世界最大の仏塔ルヴァンベリセヤ大塔、スリランカ最古と言われる仏塔ツパラマ・ダガバ、黄銅宮殿、イスルムニヤ寺跡などが残されています。