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フエの建造物群
フエの建造物群は、1802年に国内統一されたのを機にザロン帝こと阮福暎(グエン・フク・アイン)により建てられたベトナム最後の王朝グエン朝(阮朝)の首都して1945年まで繁栄した古都フエの中にある建造物群で、遺産規模は520kmにも及んでいます。
フエの建造物群は、ヴェトナム中部、ダナン北西100kmに位置しています。
南シナ海へと流れるフォン川左岸にある古都フエの中には、旧王宮や明命帝の霊廟(れいびょう)、六角の形をした高さ21mまで伸びた七重の塔・トゥニャン塔をもつティエン・ムー寺やホンチェン寺院など、中国、フランスの影響を受けつつも亜熱帯独特のスタイルが入り交じったスタイルの建造物が建ち並んでいます。
フエの建造物群 Complex of Hue Monuments 所在国:ヴェトナム社会主義共和国 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
フエの建造物群は、1802年に国内統一されたのを機にザロン帝こと阮福暎(グエン・フク・アイン)により建てられたベトナム最後の王朝グエン朝(阮朝)の首都して1945年まで繁栄した古都フエの中にある建造物群で、遺産規模は520kmにも及んでいます。
フエの建造物群は、ヴェトナム中部、ダナン北西100kmに位置しています。
南シナ海へと流れるフォン川左岸にある古都フエの中には、旧王宮や明命帝の霊廟(れいびょう)、六角の形をした高さ21mまで伸びた七重の塔・トゥニャン塔をもつティエン・ムー寺やホンチェン寺院など、中国、フランスの影響を受けつつも亜熱帯独特のスタイルが入り交じったスタイルの建造物が建ち並んでいます。
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バハラ城塞
バハラ城塞(バフラ城塞)は、オマーン国の首都マスカット南西208kmに位置するアフダル山地山麓付近の砂漠エリアにあるオアシス都市です。
オマーンを代表する最大規模のバハラ城塞(バフラ城塞)は、7世紀前後のイスラム時代に外部からの侵略(海からはペルシア人、砂漠からはベドウィン族などからの侵略)を防ぐために建設されました。
バハラ城塞(バフラ城塞)は、総延長が約12kmある城壁に囲まれ、高さ約50mの円形、または方形の監視塔が要所に建てられています。
バハラ城塞(バフラ城塞)は、砂漠の中にあるにも関わらず、地下水に恵まれていたため、居住地だけでなく、ナツメやしなどを栽培した農地もあり、城塞を囲む城壁にも、日干しレンガのほかにナツメやしの幹が材料として利用されています。
城壁に利用されている日干しレンガは、絶えず改修の必要性があるほど、もろい性質を持つため、1987年に文化遺産として世界遺産登録された後には、風化が目立ち、1988年には危機遺跡とされましたが、今ではそれも落ち着き、2004年には危機遺跡登録も解除されました。
バハラ城塞 Bahla Fort 所在国:オマーン国 世界遺産登録:1987年 種類:文化遺産 |
バハラ城塞(バフラ城塞)は、オマーン国の首都マスカット南西208kmに位置するアフダル山地山麓付近の砂漠エリアにあるオアシス都市です。
オマーンを代表する最大規模のバハラ城塞(バフラ城塞)は、7世紀前後のイスラム時代に外部からの侵略(海からはペルシア人、砂漠からはベドウィン族などからの侵略)を防ぐために建設されました。
バハラ城塞(バフラ城塞)は、総延長が約12kmある城壁に囲まれ、高さ約50mの円形、または方形の監視塔が要所に建てられています。
バハラ城塞(バフラ城塞)は、砂漠の中にあるにも関わらず、地下水に恵まれていたため、居住地だけでなく、ナツメやしなどを栽培した農地もあり、城塞を囲む城壁にも、日干しレンガのほかにナツメやしの幹が材料として利用されています。
城壁に利用されている日干しレンガは、絶えず改修の必要性があるほど、もろい性質を持つため、1987年に文化遺産として世界遺産登録された後には、風化が目立ち、1988年には危機遺跡とされましたが、今ではそれも落ち着き、2004年には危機遺跡登録も解除されました。
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ハトラ
ハトラは、別名『神の家』とも呼ばれ、紀元前3世紀頃から紀元後3世紀半ばまでパルティア王国内の半独立国アラビア王国の首都して栄えた都市で、今でも当時を彷彿とさせる建造物が多く残されている古代都市遺跡です。
イラク北西部モスール州から南西約100km地点に位置し、砂漠地帯の中にハトラの古代都市遺跡が残されています。
ハトラは、1世紀頃は、パルティア王国の隊商都市として栄えたが、ササン朝ペルシアに征服され、滅びたと言われています。
ハトラは二重構造の城壁に囲まれており、東西南北には城門があり、その外側には堀が残されています。
ハトラ市内中央は、聖域とされ、アッラート女神や太陽神シャマシュの神殿などの遊牧民特有のイーワーン様式のイスラム建造物や、ギリシャやローマの影響を受けたと見られる神像や肖像、小神殿などの建築物も残されています。
ハトラ Hatra 所在国:イラク共和国 世界遺産登録:1985年 種類:文化遺産 |
ハトラは、別名『神の家』とも呼ばれ、紀元前3世紀頃から紀元後3世紀半ばまでパルティア王国内の半独立国アラビア王国の首都して栄えた都市で、今でも当時を彷彿とさせる建造物が多く残されている古代都市遺跡です。
イラク北西部モスール州から南西約100km地点に位置し、砂漠地帯の中にハトラの古代都市遺跡が残されています。
ハトラは、1世紀頃は、パルティア王国の隊商都市として栄えたが、ササン朝ペルシアに征服され、滅びたと言われています。
ハトラは二重構造の城壁に囲まれており、東西南北には城門があり、その外側には堀が残されています。
ハトラ市内中央は、聖域とされ、アッラート女神や太陽神シャマシュの神殿などの遊牧民特有のイーワーン様式のイスラム建造物や、ギリシャやローマの影響を受けたと見られる神像や肖像、小神殿などの建築物も残されています。