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アンブヒマンガの丘の王領地
アンブヒマンガの丘の王領地は、マダガスカル共和国の首都アタナナリボから北へ21kmの距離に位置し、マダガスカルを最初に統一したメリナ王国の王宮跡と、それを取り囲む要塞跡が残っています。
アンブヒマンガとは、マダガスカル語で「青い丘」、「美しい丘」の意味らしく、現在はこの王宮跡と要塞跡は博物館として公開されています。
王宮は、二重の堀と城壁で囲まれており、占星術によって位置決めされた7つの門が設置されて、王宮へとつながっています。
メリナ王国がマダガスカルを統一したときのアンドリアナンポイニメリナ王が、この要塞内部の木造建物の王宮で暮らしていました。
この王宮は、1788年ごろに建てられたと推定されていて、アフリカ大陸の奴隷達によって運ばれたとされる長さ15mの大黒柱が、王宮内部に立っています。
1794年、メリナ王国の首都は政治的理由により、アンブヒマンガからアタナナリボに移りました。
アンブヒマンガの丘の王領地 The Royal Hill of Ambohimanga 所在国:マダガスカル共和国 世界遺産登録:2001年 種類:文化遺産 |
アンブヒマンガの丘の王領地は、マダガスカル共和国の首都アタナナリボから北へ21kmの距離に位置し、マダガスカルを最初に統一したメリナ王国の王宮跡と、それを取り囲む要塞跡が残っています。
アンブヒマンガとは、マダガスカル語で「青い丘」、「美しい丘」の意味らしく、現在はこの王宮跡と要塞跡は博物館として公開されています。
王宮は、二重の堀と城壁で囲まれており、占星術によって位置決めされた7つの門が設置されて、王宮へとつながっています。
メリナ王国がマダガスカルを統一したときのアンドリアナンポイニメリナ王が、この要塞内部の木造建物の王宮で暮らしていました。
この王宮は、1788年ごろに建てられたと推定されていて、アフリカ大陸の奴隷達によって運ばれたとされる長さ15mの大黒柱が、王宮内部に立っています。
1794年、メリナ王国の首都は政治的理由により、アンブヒマンガからアタナナリボに移りました。
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アシャンティの伝統的建築物群
「アシャンティの伝統的建造物群」は、ガーナ第二の都市で、ガーナ南部に位置するクマシの北から北西部のアシャンティ州内に存在しています。
アシャンティ文明なるものがあり、アシャンティ人たちはアシャンティ王国を築いて繁栄を誇り、18世紀に最盛期を迎えます。
繁栄の象徴である、伝統文化を伝える貴重な建造物群は、19世紀のアシャンティ族とイギリス軍の戦いで破壊されることになります。
最高神ニャメを祭ったアシャンティの神殿は、その基本構造は中庭を取り囲むように建てられたもので、木材や土や、ヤシの葉からできていましたから、耐久性能に問題があったようです。
しかし、耐久性に問題があったものの、建材や建築法の工夫により通風性には優れた構造になっていたようです。
現在、アシャンティ族の文明として現存する最後の物質的証拠である「アシャンティの伝統的建造物群」は、人や動物を象った美しい木彫りの装飾があったことも、象徴的な建造物であったといえます。
アシャンティの伝統的建築物群 Asante Traditional Buildings 所在国:ガーナ共和国 世界遺産登録:1980年 種類:文化遺産 |
「アシャンティの伝統的建造物群」は、ガーナ第二の都市で、ガーナ南部に位置するクマシの北から北西部のアシャンティ州内に存在しています。
アシャンティ文明なるものがあり、アシャンティ人たちはアシャンティ王国を築いて繁栄を誇り、18世紀に最盛期を迎えます。
繁栄の象徴である、伝統文化を伝える貴重な建造物群は、19世紀のアシャンティ族とイギリス軍の戦いで破壊されることになります。
最高神ニャメを祭ったアシャンティの神殿は、その基本構造は中庭を取り囲むように建てられたもので、木材や土や、ヤシの葉からできていましたから、耐久性能に問題があったようです。
しかし、耐久性に問題があったものの、建材や建築法の工夫により通風性には優れた構造になっていたようです。
現在、アシャンティ族の文明として現存する最後の物質的証拠である「アシャンティの伝統的建造物群」は、人や動物を象った美しい木彫りの装飾があったことも、象徴的な建造物であったといえます。
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ンゴロンゴロ保全地域
ンゴロンゴロ保全地域はタンザニアの中央部にある自然保護地域です。
ンゴロンゴロは、中生代後期に活動していた火山群が何度も噴火した跡のクレーターで形成された、カルデラに広がる平野なのです。
ンゴロンゴロは、現地の言葉であるスワヒリ語で「巨大な穴」の意味ですが、外輪は南北16km、東西19kmと阿蘇山に次ぐ世界第二の広さのカルデラを持っています。
標高でいうと、カルデラ内部の平野部で1,800mくらいで、外輪は2,400mあります。
このためカルデラ内部は、カルデラ外部と遮断されていて、その上、森林や湖、草原などの多様な自然がありますから、このカルデラ内に生息する大型動物の棲家になっていますから、動物たちのほとんどはカルデラの外にでることはありません。
ですから、カルデラ外部と隔離された生態系が形成されるに至りました。
また、絶滅寸前の野生動物たちの貴重な保護区ともなっています。
ンゴロンゴロ保全地域 Ngorongoro Conservation Area 所在国:タンザニア連合共和国 世界遺産登録:1979年 種類:自然遺産 |
ンゴロンゴロ保全地域はタンザニアの中央部にある自然保護地域です。
ンゴロンゴロは、中生代後期に活動していた火山群が何度も噴火した跡のクレーターで形成された、カルデラに広がる平野なのです。
ンゴロンゴロは、現地の言葉であるスワヒリ語で「巨大な穴」の意味ですが、外輪は南北16km、東西19kmと阿蘇山に次ぐ世界第二の広さのカルデラを持っています。
標高でいうと、カルデラ内部の平野部で1,800mくらいで、外輪は2,400mあります。
このためカルデラ内部は、カルデラ外部と遮断されていて、その上、森林や湖、草原などの多様な自然がありますから、このカルデラ内に生息する大型動物の棲家になっていますから、動物たちのほとんどはカルデラの外にでることはありません。
ですから、カルデラ外部と隔離された生態系が形成されるに至りました。
また、絶滅寸前の野生動物たちの貴重な保護区ともなっています。