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クラック・デ・シュヴァリエとカル-エッサラー・エル‐ディン
クラック・デ・シュヴァリエとカル-エッサラー・エル‐ディンはクラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーンと読まれる場合もあります。
クラック・デ・シュヴァリエはシリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されています。
十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠で、名前は「騎士の砦」を意味します(krakはシリア語で「砦」)。
城はトリポリの東に位置した高さ650m程の峰に築かれており、アンティオキアからベイルートや地中海に出る唯一の通路を扼しています。
元々は1031年にアレッポの領主により建築されましたが、第1回十字軍時の1099年にツールーズ伯レイモンにより落城しました。
その後、1144年にトリポリ伯から聖ヨハネ騎士団に譲られました。
聖ヨハネ騎士団は大規模な拡張を行い、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8〜10mの壁厚の7つの守備塔を配置しました。
12世紀の頃には濠も有しており、跳ね橋が取り付けられていました。
外壁は内壁との間隔を狭くし、また直角の曲がり角を多くして、破城槌などの攻城兵器を持ち込みにくく使いにくいようにしています。
1273年の第9回十字軍時にイングランドのエドワード1世がこの城を訪れており、これを参考にしたエドワード式コンセントリック型の城をイングランドやウェールズに多く築きました。
後にアラビアのローレンスは、この城を世界で最も素晴しい城だと云っています。
城は十字軍美術(フレスコ画など)が保存されている数少ない場所となっています。
現在はシリア政府の所有物で、2006年にカラット・サラーフ・アッディーン(サラディンの砦)と共に世界遺産に登録されました。
クラック・デ・シュヴァリエとカル-エッサラー・エル‐ディン Crac des Chevaliers and Qal'at Salah El-Din 所在国:シリア 世界遺産登録:2006 種類:文化遺産 |
クラック・デ・シュヴァリエとカル-エッサラー・エル‐ディンはクラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーンと読まれる場合もあります。
クラック・デ・シュヴァリエはシリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されています。
十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠で、名前は「騎士の砦」を意味します(krakはシリア語で「砦」)。
城はトリポリの東に位置した高さ650m程の峰に築かれており、アンティオキアからベイルートや地中海に出る唯一の通路を扼しています。
元々は1031年にアレッポの領主により建築されましたが、第1回十字軍時の1099年にツールーズ伯レイモンにより落城しました。
その後、1144年にトリポリ伯から聖ヨハネ騎士団に譲られました。
聖ヨハネ騎士団は大規模な拡張を行い、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8〜10mの壁厚の7つの守備塔を配置しました。
12世紀の頃には濠も有しており、跳ね橋が取り付けられていました。
外壁は内壁との間隔を狭くし、また直角の曲がり角を多くして、破城槌などの攻城兵器を持ち込みにくく使いにくいようにしています。
1273年の第9回十字軍時にイングランドのエドワード1世がこの城を訪れており、これを参考にしたエドワード式コンセントリック型の城をイングランドやウェールズに多く築きました。
後にアラビアのローレンスは、この城を世界で最も素晴しい城だと云っています。
城は十字軍美術(フレスコ画など)が保存されている数少ない場所となっています。
現在はシリア政府の所有物で、2006年にカラット・サラーフ・アッディーン(サラディンの砦)と共に世界遺産に登録されました。
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