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ドゥルミトル国立公園
ドゥルミトル国立公園は、モンテネグロの北部に位置する自然遺産です。
モンテネグロは、北西部でクロアチア(ドゥブロヴニク)・ボスニア、東部でセルビア、南部でアルバニアと国境を接しています。
さらに西部は、アドリア海に面しています。
ドゥルミトルは、350k?もある広大にして息をのむような景観の国立公園で、氷河によってできた地域で、古代の地層が残る地質学的に貴重な自然遺産となっています。
ドゥルミトル国立公園は、ヨーロッパで最も深い谷間のあるタラ川峡谷に沿って広がっています。
密生した松の森と澄んだ湖が点在して、広範囲にわたりドゥルミトル地域に特有の固有種を含む約700種の植物相が展開しています。
また希少動物の生息地として、生物保護区域ともなっています。
ドゥルミトル国立公園は、高度2300メートルにある山々や、点在する多くの湖、深い渓谷、など壮大な自然を満喫することができます。
ドゥルミトル国立公園 Durmitor National Park 所在国:モンテネグロ共和国 世界遺産登録:1980年、2005年 種類:自然遺産 |
ドゥルミトル国立公園は、モンテネグロの北部に位置する自然遺産です。
モンテネグロは、北西部でクロアチア(ドゥブロヴニク)・ボスニア、東部でセルビア、南部でアルバニアと国境を接しています。
さらに西部は、アドリア海に面しています。
ドゥルミトルは、350k?もある広大にして息をのむような景観の国立公園で、氷河によってできた地域で、古代の地層が残る地質学的に貴重な自然遺産となっています。
ドゥルミトル国立公園は、ヨーロッパで最も深い谷間のあるタラ川峡谷に沿って広がっています。
密生した松の森と澄んだ湖が点在して、広範囲にわたりドゥルミトル地域に特有の固有種を含む約700種の植物相が展開しています。
また希少動物の生息地として、生物保護区域ともなっています。
ドゥルミトル国立公園は、高度2300メートルにある山々や、点在する多くの湖、深い渓谷、など壮大な自然を満喫することができます。
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デルフィの古代遺跡
デルフィの古代遺跡は、ギリシャ本土の南に位置する文化遺産で、その昔、パルナッソス山の麓にあった古代ギリシアの都市国家ポリスです。
アポロンの神託が下される場所のデルフィは、全ギリシャの聖域でありオムパロス(世界の臍、世界の中心)と考えられていました。
紀元前6世紀のデルフィは、すばらしい景色と満たされた神聖とが調和し、渾然一体となった都市でした。
そしてデルフィは実際に、古代ギリシア世界の中心であり宗教的なシンボルとして繁栄しました。
デルフィの古代遺跡は、エーゲ海を見下ろす小高い山の中にあり、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなっています。
他にも、競技場跡、古代の円形劇場跡、アテネ人の宝庫、へその石、など見所が多く観光客も増えています。
多くの遺跡は石造りですが、遺跡の建物や岩などにはギリシャ語で刻まれている銘文も多くあります。
デルフィの古代遺跡 Archaeological Site of Delphi 所在国:ギリシャ共和国 世界遺産登録:1987年 種類:文化遺産 |
デルフィの古代遺跡は、ギリシャ本土の南に位置する文化遺産で、その昔、パルナッソス山の麓にあった古代ギリシアの都市国家ポリスです。
アポロンの神託が下される場所のデルフィは、全ギリシャの聖域でありオムパロス(世界の臍、世界の中心)と考えられていました。
紀元前6世紀のデルフィは、すばらしい景色と満たされた神聖とが調和し、渾然一体となった都市でした。
そしてデルフィは実際に、古代ギリシア世界の中心であり宗教的なシンボルとして繁栄しました。
デルフィの古代遺跡は、エーゲ海を見下ろす小高い山の中にあり、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなっています。
他にも、競技場跡、古代の円形劇場跡、アテネ人の宝庫、へその石、など見所が多く観光客も増えています。
多くの遺跡は石造りですが、遺跡の建物や岩などにはギリシャ語で刻まれている銘文も多くあります。
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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂
ローマ歴史地区は、イタリア共和国のローマおよびバチカン市国にあり、1980年にユネスコ世界遺産の文化遺産に登録され、1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されています。
この文化遺産は、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」として登録されていますが、指定範囲はほとんどがローマ市の城壁内ですが、教皇領のひとつのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂だけは、城壁外に位置しています。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は、4世紀、コンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓の上にある聖堂です。
「永遠の都ローマ」は、紀元前7世紀ごろにサビニ人、ラテン人がローマを築いて以来、2600年以上の歴史を持っていています。
中世にはキリスト教世界の中心地として、ルネッサンス期以降は芸術と文化の発信基地として歴史を歩いてきた町なのです。
建造物として主な物は、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、コンスタンティヌスの凱旋門、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂などがあります。
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂 Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura 所在国:イタリア共和国 バチカン市国 世界遺産登録:1980、1990年 種類:文化遺産 |
ローマ歴史地区は、イタリア共和国のローマおよびバチカン市国にあり、1980年にユネスコ世界遺産の文化遺産に登録され、1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されています。
この文化遺産は、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」として登録されていますが、指定範囲はほとんどがローマ市の城壁内ですが、教皇領のひとつのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂だけは、城壁外に位置しています。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は、4世紀、コンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓の上にある聖堂です。
「永遠の都ローマ」は、紀元前7世紀ごろにサビニ人、ラテン人がローマを築いて以来、2600年以上の歴史を持っていています。
中世にはキリスト教世界の中心地として、ルネッサンス期以降は芸術と文化の発信基地として歴史を歩いてきた町なのです。
建造物として主な物は、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、コンスタンティヌスの凱旋門、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂などがあります。