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ラウマ旧市街
ラウマ旧市街は、フィンランド共和国の南部、トゥルク・ポリ県にあり、ラウマの町の中でも木造建築が並ぶ中心地を指す呼称です。
ラウマ旧市街はおよそ0.3km2 で、600軒ほどの建造物(家屋以外に倉庫なども含む)が立ち並んでいて、約800人が暮らしています。
ラウマはボスニア湾に面していて、9世紀からバルト海交易の中継地として発展してきました。
1640年と1684年の大火で町全域が焼失しましたが、旧市街は元の姿に再現され、現存する最古の家屋は18世紀のものです。
ほとんどの家屋は私有物で、一般市民が暮らしていますが、2つの大通り沿いと町の広場の周りでは、おもにビジネス目的に使われています。
また、宗教改革で閉鎖されたフランシスコ会修道院はありませんが、ルター派の大本山である石造りの聖十字架教会が残っています。
このように、石造建築物もありますが、ラウマはスカンジナビア最大の木造建築の町として知られています。
ラウマ旧市街 Old Rauma 所在国:フィンランド共和国 世界遺産登録:1991年 種類:文化遺産 |
ラウマ旧市街は、フィンランド共和国の南部、トゥルク・ポリ県にあり、ラウマの町の中でも木造建築が並ぶ中心地を指す呼称です。
ラウマ旧市街はおよそ0.3km2 で、600軒ほどの建造物(家屋以外に倉庫なども含む)が立ち並んでいて、約800人が暮らしています。
ラウマはボスニア湾に面していて、9世紀からバルト海交易の中継地として発展してきました。
1640年と1684年の大火で町全域が焼失しましたが、旧市街は元の姿に再現され、現存する最古の家屋は18世紀のものです。
ほとんどの家屋は私有物で、一般市民が暮らしていますが、2つの大通り沿いと町の広場の周りでは、おもにビジネス目的に使われています。
また、宗教改革で閉鎖されたフランシスコ会修道院はありませんが、ルター派の大本山である石造りの聖十字架教会が残っています。
このように、石造建築物もありますが、ラウマはスカンジナビア最大の木造建築の町として知られています。
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モン-サン-ミシェルとその湾
モン-サン-ミシェルとその湾は、フランス共和国の北西部、バス・ノルマンディー地域のマンシュ海峡に面するマンシュ県にあります。
マンシュ県のサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院がモン-サン-ミシェルで、古くからカトリックの巡礼の地として栄えた聖地です。
966年にノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものです。
14世紀の百年戦争の期間は、城壁や塔が築かれ島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞となり、16世紀に完成したものです。
モン・サン=ミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残されています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上もあります。
このため、修道院のある小島は、満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました。
1877年、地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。
モン-サン-ミシェルとその湾 Mont-Saint-Michel and its Bay 所在国:フランス共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
モン-サン-ミシェルとその湾は、フランス共和国の北西部、バス・ノルマンディー地域のマンシュ海峡に面するマンシュ県にあります。
マンシュ県のサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院がモン-サン-ミシェルで、古くからカトリックの巡礼の地として栄えた聖地です。
966年にノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものです。
14世紀の百年戦争の期間は、城壁や塔が築かれ島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞となり、16世紀に完成したものです。
モン・サン=ミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残されています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上もあります。
このため、修道院のある小島は、満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました。
1877年、地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。
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モスタル旧市街の古橋地区
モスタル旧市街の古橋地区は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにあります。
スタリ・モストとは、「古い橋」の意味で、モスタルの地名もこの橋に因んだものです。
スタリ・モストは、モスタル旧市街のネレトバ川に架かっていて、中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m、川面からの高さは24mあります。
1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたもので、やく9年間を費やして完成します。
この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられていて、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来ます。
1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中で、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了しました。
2005年には、スタリ・モストがボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されました。
モスタル旧市街の古橋地区 Old Bridge Area of the Old City of Mostar 所在国:ボスニア・ヘルツェゴビナ 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
モスタル旧市街の古橋地区は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにあります。
スタリ・モストとは、「古い橋」の意味で、モスタルの地名もこの橋に因んだものです。
スタリ・モストは、モスタル旧市街のネレトバ川に架かっていて、中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m、川面からの高さは24mあります。
1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたもので、やく9年間を費やして完成します。
この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられていて、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来ます。
1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中で、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了しました。
2005年には、スタリ・モストがボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録されました。