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アテネのアクロポリス
アテネのアクロポリスは、ギリシャ共和国の首都アテネの中心部の丘の上にあり、パルテノン神殿・ブールの門・ピナコテーク・プロピライア・アテナ・ニケ神殿・エレクテイオン神殿とあります。
アテネのアクロポリスと言えば、あまりにも有名なパルテノン神殿でしょう。
紀元前447年に町の守護神・知恵の女神アテナを祀る「パルテノン」が丘に建てられて、これがアクロポリス「高い丘の都市」を意味する聖域なのです。
現在残る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神で、古典時代のギリシア建築の傑作のひとつとなっています。
アテネは古代ギリシア最大の都市国家(ポリス)となり、人類で初めての民主政治が実現した場所です。
アクロポリスには、アゴラと呼ばれる広場や、泉や、ストアと呼ばれる多目的施設や、市場や議会場もあり、それらはソクラテスやプラトンなどの哲学者が雄弁をふるった場所でもあります。
アテネのアクロポリス Acropolis, Athens 所在国:ギリシャ共和国 世界遺産登録:1987年 種類:文化遺産 |
アテネのアクロポリスは、ギリシャ共和国の首都アテネの中心部の丘の上にあり、パルテノン神殿・ブールの門・ピナコテーク・プロピライア・アテナ・ニケ神殿・エレクテイオン神殿とあります。
アテネのアクロポリスと言えば、あまりにも有名なパルテノン神殿でしょう。
紀元前447年に町の守護神・知恵の女神アテナを祀る「パルテノン」が丘に建てられて、これがアクロポリス「高い丘の都市」を意味する聖域なのです。
現在残る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神で、古典時代のギリシア建築の傑作のひとつとなっています。
アテネは古代ギリシア最大の都市国家(ポリス)となり、人類で初めての民主政治が実現した場所です。
アクロポリスには、アゴラと呼ばれる広場や、泉や、ストアと呼ばれる多目的施設や、市場や議会場もあり、それらはソクラテスやプラトンなどの哲学者が雄弁をふるった場所でもあります。
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アッパー・スヴァネティ
アッパー・スヴァネティは、グルジア共和国の北に位置していて、大カフカス山脈がロシアとの国境になり、大カフカス山脈の山麓にあります。
アッパー・スヴァネティは、山岳地帯であるスヴァネティ地方の内でも、より高山地帯に属す地域です。
スヴァネティ地方は、古くからスヴァン人の伝統的生活圏であり、ことにアッパー・スヴァネティでは、スヴァン人の社会が地理的環境のために外界から孤立していました。
古来より、諸民族との争いが絶えず、スヴァン族は侵略者からの攻撃に備えて、山間の渓谷部ごとに離れて散在していた村ごとに要塞を築いてきました。
これは、モンゴル軍やロシア軍からの侵攻もあったのですが、主にはスヴァン人の氏族間抗争で、一旦抗争が起きると防御塔にこもって外的に対峙したようです。
中世の要塞村であったチャンザ村には、グルジア正教の教会や伝統的民家の建造物が損なわれずに残っています。
アッパー・スヴァネティ Upper Svaneti 所在国:グルジア共和国 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
アッパー・スヴァネティは、グルジア共和国の北に位置していて、大カフカス山脈がロシアとの国境になり、大カフカス山脈の山麓にあります。
アッパー・スヴァネティは、山岳地帯であるスヴァネティ地方の内でも、より高山地帯に属す地域です。
スヴァネティ地方は、古くからスヴァン人の伝統的生活圏であり、ことにアッパー・スヴァネティでは、スヴァン人の社会が地理的環境のために外界から孤立していました。
古来より、諸民族との争いが絶えず、スヴァン族は侵略者からの攻撃に備えて、山間の渓谷部ごとに離れて散在していた村ごとに要塞を築いてきました。
これは、モンゴル軍やロシア軍からの侵攻もあったのですが、主にはスヴァン人の氏族間抗争で、一旦抗争が起きると防御塔にこもって外的に対峙したようです。
中世の要塞村であったチャンザ村には、グルジア正教の教会や伝統的民家の建造物が損なわれずに残っています。
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アウシュヴィッツ強制収容所
アウシュヴィッツは、ポーランド南部の小さな町にあり、ポーランド名でオシフィエンチムと言います。
アウシュヴィッツ強制収容所とは、ナチス党率いるドイツがヨーロッパ各地で実行したホロコーストの中でも最大の惨劇がおこなわれたアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウのことを言います。
第一・第二・第三強制収容所がありましたが、第二強制収容所であるアウシュヴィッツ強制収容所が、一番規模が大きく、28棟の建物が3列に並び、常時25万人を収容していました。
28カ国から集められた、ユダヤ人をはじめロマ・シンティ、精神障害者、身体障害者、同性愛者、ソ連兵の捕虜など最大約150万人が収容され、その9割は生きて帰れなかったと言われています。
大戦後、ポーランド人は2度と同じ過ちを繰り返さないために、アウシュヴィッツ強制収容所の保存を決めました。
アウシュヴィッツ強制収容所は、人類の残した負の遺産です。
アウシュヴィッツ強制収容所 Auschwitz Concentration Camp 所在国:ポーランド共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
アウシュヴィッツは、ポーランド南部の小さな町にあり、ポーランド名でオシフィエンチムと言います。
アウシュヴィッツ強制収容所とは、ナチス党率いるドイツがヨーロッパ各地で実行したホロコーストの中でも最大の惨劇がおこなわれたアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウのことを言います。
第一・第二・第三強制収容所がありましたが、第二強制収容所であるアウシュヴィッツ強制収容所が、一番規模が大きく、28棟の建物が3列に並び、常時25万人を収容していました。
28カ国から集められた、ユダヤ人をはじめロマ・シンティ、精神障害者、身体障害者、同性愛者、ソ連兵の捕虜など最大約150万人が収容され、その9割は生きて帰れなかったと言われています。
大戦後、ポーランド人は2度と同じ過ちを繰り返さないために、アウシュヴィッツ強制収容所の保存を決めました。
アウシュヴィッツ強制収容所は、人類の残した負の遺産です。