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カザンラックのトラキア人の墳墓
カザンラックのトラキア人の墳墓は、ブルガリア共和国のほぼ中央に位置しているカザンラック地方、カザンラック郊外の北東部にあります。
古代には、トラキア人の首都セウトポリス近郊にも位置していて、レンガ造りの丸天井型地下墳墓です。
トラキア人の墳墓は、直径約40m、高さ約7mの丘にあって、内部は羨道(えんどう)、前室、玄室に分かれています。
この墓地は紀元前4世紀頃に作られたもので、大規模なトラキア人共同墓地の一部をなしていています。
埋葬室である玄室の天井には見事な壁画があり、ともに慣例的な葬儀の宴におけるトラキア人夫婦と、当時の戦闘の様が描かれたもので、トラキア芸術の最高峰とされています。
この壁画は、ヘレニズム時代のブルガリア美術のなかで、最も保存状態の良い傑作なのです。
ブルガリア政府は、発見後すぐに保護措置をとって、墳墓の隣に精密なレプリカが作られ一般公開されています。
カザンラックのトラキア人の墳墓 Thracian tomb of Kazanlak 所在国:ブルガリア共和国 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
カザンラックのトラキア人の墳墓は、ブルガリア共和国のほぼ中央に位置しているカザンラック地方、カザンラック郊外の北東部にあります。
古代には、トラキア人の首都セウトポリス近郊にも位置していて、レンガ造りの丸天井型地下墳墓です。
トラキア人の墳墓は、直径約40m、高さ約7mの丘にあって、内部は羨道(えんどう)、前室、玄室に分かれています。
この墓地は紀元前4世紀頃に作られたもので、大規模なトラキア人共同墓地の一部をなしていています。
埋葬室である玄室の天井には見事な壁画があり、ともに慣例的な葬儀の宴におけるトラキア人夫婦と、当時の戦闘の様が描かれたもので、トラキア芸術の最高峰とされています。
この壁画は、ヘレニズム時代のブルガリア美術のなかで、最も保存状態の良い傑作なのです。
ブルガリア政府は、発見後すぐに保護措置をとって、墳墓の隣に精密なレプリカが作られ一般公開されています。
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エンゲルスベリの製鉄所
エンゲルスベリの製鉄所は、スウェーデン王国、ヴェストマンランド県、ファーゲシュタ地方のエンゲルスバーリ村にある製鉄所で、スウェーデン王国の首都ストックホルムの北西約130Kmに位置しています。
スウェーデンは、世界でも有数の鉄鉱石が産出される国であり、埋蔵量も豊富で、エンゲルスバーリ村では、14世紀初めにはすでに製鉄所が存在していていました。
大砲などの普及によって、鉄の需要が増えていき、1681年には最新式の溶鉱炉が新たに設置されました。
製鉄業はスウェーデンの基幹産業になっていきましたが、19世紀になって、銑鉄を簡単に鋼に変えるベッセマー法の普及により製鉄法が変わってきて、設備が時代遅れになってしまい終焉を迎えることになります。
現在は鉄のハンマーのついた粉砕機や、水車を利用した溶鉱炉、工場主の木造住宅など50以上の建物が、ほぼ完全な状態でのこっています。
エンゲルスベリの製鉄所 Engelsberg Ironworks 所在国:スウェーデン王国 世界遺産登録:1993年 種類:文化遺産 |
エンゲルスベリの製鉄所は、スウェーデン王国、ヴェストマンランド県、ファーゲシュタ地方のエンゲルスバーリ村にある製鉄所で、スウェーデン王国の首都ストックホルムの北西約130Kmに位置しています。
スウェーデンは、世界でも有数の鉄鉱石が産出される国であり、埋蔵量も豊富で、エンゲルスバーリ村では、14世紀初めにはすでに製鉄所が存在していていました。
大砲などの普及によって、鉄の需要が増えていき、1681年には最新式の溶鉱炉が新たに設置されました。
製鉄業はスウェーデンの基幹産業になっていきましたが、19世紀になって、銑鉄を簡単に鋼に変えるベッセマー法の普及により製鉄法が変わってきて、設備が時代遅れになってしまい終焉を迎えることになります。
現在は鉄のハンマーのついた粉砕機や、水車を利用した溶鉱炉、工場主の木造住宅など50以上の建物が、ほぼ完全な状態でのこっています。
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エチミアツィンの大聖堂と教会群及びズヴァルトノツの古代遺跡
エチミアツィンの大聖堂と教会群及びズヴァルトノツの古代遺跡は、アルメニア共和国の中西部アルマヴィル地方にあり、アララト山とアラガツ山に挟まれたアララト平野に位置しています。
アルメニアの首都エレバンの西側にあり、約60kmにわたってトルコと国境を接していて、アルメニア国内でも最も肥沃な地方の一つです。
アルメニアは世界でも最も古い文化を持つ国のひとつで、301年には、歴史上初めてキリスト教を国教と定めて、303年にエチミアツィン大聖堂が建てられたのを筆頭に、アルメニア高地には次々と珠玉の宗教建築が建てられ、アルメニア最古の教会です。
2世紀末頃、この国でキリスト教の布教につとめていた最初の大主教啓蒙者グレゴリオスが、キリストが天から下りて、金色の槌で大地に触れるビジョンを見て、そのお告げに従いこの地に木造の教会を建てたといいます。
それが、アルメニア正教会の総本山エチミアツィン大聖堂で、毎年夏には世界中に離散したアルメニア人がここに集うようです。
この教会は、キリストの脇腹を刺したと伝えられるロンギヌスの槍と、ノアの箱舟の断片が展示されています。
エチミアツィンの大聖堂と教会群及びズヴァルトノツの古代遺跡 Cathedral and Churches of Echmiatsin and the Archaeological Site of Zvartnots 所在国:アルメニア共和国 世界遺産登録:2000年 種類:文化遺産 |
エチミアツィンの大聖堂と教会群及びズヴァルトノツの古代遺跡は、アルメニア共和国の中西部アルマヴィル地方にあり、アララト山とアラガツ山に挟まれたアララト平野に位置しています。
アルメニアの首都エレバンの西側にあり、約60kmにわたってトルコと国境を接していて、アルメニア国内でも最も肥沃な地方の一つです。
アルメニアは世界でも最も古い文化を持つ国のひとつで、301年には、歴史上初めてキリスト教を国教と定めて、303年にエチミアツィン大聖堂が建てられたのを筆頭に、アルメニア高地には次々と珠玉の宗教建築が建てられ、アルメニア最古の教会です。
2世紀末頃、この国でキリスト教の布教につとめていた最初の大主教啓蒙者グレゴリオスが、キリストが天から下りて、金色の槌で大地に触れるビジョンを見て、そのお告げに従いこの地に木造の教会を建てたといいます。
それが、アルメニア正教会の総本山エチミアツィン大聖堂で、毎年夏には世界中に離散したアルメニア人がここに集うようです。
この教会は、キリストの脇腹を刺したと伝えられるロンギヌスの槍と、ノアの箱舟の断片が展示されています。