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シエンフェゴスの都市歴史地区
シエンフェゴスの都市歴史地区は、キューバのほぼ中央部カリブ海に面したシエンフェゴス湾(Cienfuegos Bay)に接する文化遺産です。
シエンフェゴスは、スペインの植民地町として1819年に創設されましたが、その後のフランスの移民によって開放されました。
そして、砂糖きび、マンゴ、タバコおよびコーヒーの生産と交易によって栄えました。
シエンフェゴスの都市はフランス式の近代的都市計画を取り入れ、碁盤目にみごとに区画整理された町並みとなり、広い通りや広場、フレンチバロック様式の建物が造られました。
これは、19世紀ラテンアメリカの都市計画の顕著な例となっています。
とくに、ホセ・マルティ広場の周辺には、当時の建物が多く残っています。
シエンフェゴスの代表的な建築物として、市庁舎(City Hall)、サンロレンツォ学校(San Lorenzo School)、宮殿(Ferrer Palace)、などがあります。
シエンフェゴスの都市歴史地区 Urban Historic Centre of Cienfuegos 所在国:キューバ共和国 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
シエンフェゴスの都市歴史地区は、キューバのほぼ中央部カリブ海に面したシエンフェゴス湾(Cienfuegos Bay)に接する文化遺産です。
シエンフェゴスは、スペインの植民地町として1819年に創設されましたが、その後のフランスの移民によって開放されました。
そして、砂糖きび、マンゴ、タバコおよびコーヒーの生産と交易によって栄えました。
シエンフェゴスの都市はフランス式の近代的都市計画を取り入れ、碁盤目にみごとに区画整理された町並みとなり、広い通りや広場、フレンチバロック様式の建物が造られました。
これは、19世紀ラテンアメリカの都市計画の顕著な例となっています。
とくに、ホセ・マルティ広場の周辺には、当時の建物が多く残っています。
シエンフェゴスの代表的な建築物として、市庁舎(City Hall)、サンロレンツォ学校(San Lorenzo School)、宮殿(Ferrer Palace)、などがあります。
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古代都市チチェン・イッツァ
古代都市チチェン・イッツァは、メキシコのユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡です。
チチェン・イッツァといえば、9段の階層のピラミッドが有名です。
チチェン・イッツァのピラミッドは、エジプト・ギザほどは大きくなく、四方に作られた91段の急な階段と最上段の真四角な神殿が特徴的で、エル・カスティーヨ(城塞)またはククルカン(羽毛をもつ蛇)のピラミッドと呼ばれています。
また、壁に「輪」がある球戯場では、腰で打ったボールを輪に通すサッカーのような競技が行われていました。
球戯場には、競技の模様を描いたレリーフも残っています。
かたつむりを意味するカラコル天文台は、丸い塔に月、太陽、星を観測するための3つの窓が作られ、天体観測所として使われていました。
そして、マヤ人の暦は現代のものとほとんど差がなく、正確に作られていました。
さらに、聖なる泉セノーテ、戦士の神殿など多くの遺跡が残り、古代都市チチェン・イッツァは観光客でいつも賑わっています。
古代都市チチェン-イッツァ Pre-Historical City of Chichen Itza 所在国:メキシコ 世界遺産登録:1988年 種類:文化遺産 |
古代都市チチェン・イッツァは、メキシコのユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡です。
チチェン・イッツァといえば、9段の階層のピラミッドが有名です。
チチェン・イッツァのピラミッドは、エジプト・ギザほどは大きくなく、四方に作られた91段の急な階段と最上段の真四角な神殿が特徴的で、エル・カスティーヨ(城塞)またはククルカン(羽毛をもつ蛇)のピラミッドと呼ばれています。
また、壁に「輪」がある球戯場では、腰で打ったボールを輪に通すサッカーのような競技が行われていました。
球戯場には、競技の模様を描いたレリーフも残っています。
かたつむりを意味するカラコル天文台は、丸い塔に月、太陽、星を観測するための3つの窓が作られ、天体観測所として使われていました。
そして、マヤ人の暦は現代のものとほとんど差がなく、正確に作られていました。
さらに、聖なる泉セノーテ、戦士の神殿など多くの遺跡が残り、古代都市チチェン・イッツァは観光客でいつも賑わっています。
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カホキア墳丘群州立史跡
カホキア墳丘群州立史跡は、米国イリノイ州、セントルイス郊外にあるミシシッピ文化期の遺跡です。
カホキアは、当時(12〜13世紀)の政治・宗教の中心地であり、1万人とも5万人とも言われる人口を擁していたと考えられています。
その名残が、モンクス=マウンド(Monk's Mound)で、大きいものは長さ316m・幅241m・高さ30.5mにもなります。
このマウンドは2段の階段状のピラミッドを思わせる形をしていますが、大小あわせると、マウンド数は120基ほどにもなり、遺跡の中心部を囲むようにしてカホキア墳丘群が築かれています。
マウンドは神殿と考えられていますが、発掘調査によって、墓として死者を埋葬した副葬品も数々発見されています。
カホキア墳丘群州立史跡は、アメリカ大陸が西洋人に発見される前、A.D.700年〜1600年頃のアメリカ先住民の文化を示す貴重な大遺跡で、1982年に消滅した文化的伝統、人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、などの基準で世界遺産に登録されました。
カホキア墳丘群州立史跡 Cahokia Mounds State Historic Site 所在国:アメリカ合衆国 世界遺産登録:1982年 種類:文化遺産 |
カホキア墳丘群州立史跡は、米国イリノイ州、セントルイス郊外にあるミシシッピ文化期の遺跡です。
カホキアは、当時(12〜13世紀)の政治・宗教の中心地であり、1万人とも5万人とも言われる人口を擁していたと考えられています。
その名残が、モンクス=マウンド(Monk's Mound)で、大きいものは長さ316m・幅241m・高さ30.5mにもなります。
このマウンドは2段の階段状のピラミッドを思わせる形をしていますが、大小あわせると、マウンド数は120基ほどにもなり、遺跡の中心部を囲むようにしてカホキア墳丘群が築かれています。
マウンドは神殿と考えられていますが、発掘調査によって、墓として死者を埋葬した副葬品も数々発見されています。
カホキア墳丘群州立史跡は、アメリカ大陸が西洋人に発見される前、A.D.700年〜1600年頃のアメリカ先住民の文化を示す貴重な大遺跡で、1982年に消滅した文化的伝統、人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、などの基準で世界遺産に登録されました。