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キンデルダイク-エルスハウトの風車群
キンデルダイク-エルスハウトの風車群とは、オランダ第2の都市、ロッテルダムの郊外にある風車群のことです。
運河に立ち並ぶ非常にがっしりとした風車群は、1740年ごろに作られました。
オランダのシンボルである風車の殆どが水車を回す排水用のものでしたが、国土の4分の1が海抜0メートル以下というこの国では、低湿地に堤防を築き、運河を掘り、風車を巡らす干拓の中で造られてきました。
かつて国内に一万基はあった風車も、現在は950基ほどが残るのみとまりました。
運河に沿って19基も立ち並ぶ光景は、いまやキンデルダイクでしか見ることが出来なくなりました。
風車の中には、人が住んでいて、内部は3階建ての住居になっています。
17基にそれぞれ一家族ずつが暮らし、風車の管理を行っています。
土曜の午後には、風車が一斉に回り、住民達が水辺でくつろぐ風景を見ることが出来ます。
キンデルダイク-エルスハウトの風車群 Mill Network at Kinderdijk-Elshout 所在国:オランダ 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
キンデルダイク-エルスハウトの風車群とは、オランダ第2の都市、ロッテルダムの郊外にある風車群のことです。
運河に立ち並ぶ非常にがっしりとした風車群は、1740年ごろに作られました。
オランダのシンボルである風車の殆どが水車を回す排水用のものでしたが、国土の4分の1が海抜0メートル以下というこの国では、低湿地に堤防を築き、運河を掘り、風車を巡らす干拓の中で造られてきました。
かつて国内に一万基はあった風車も、現在は950基ほどが残るのみとまりました。
運河に沿って19基も立ち並ぶ光景は、いまやキンデルダイクでしか見ることが出来なくなりました。
風車の中には、人が住んでいて、内部は3階建ての住居になっています。
17基にそれぞれ一家族ずつが暮らし、風車の管理を行っています。
土曜の午後には、風車が一斉に回り、住民達が水辺でくつろぐ風景を見ることが出来ます。
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キロキティア
キロキティア(ヒロキティア)とは、キプロス共和国を代表する世界文化遺産のうちのひとつです。
1998年に登録されました。
新石器時代に形成された農耕民族の集落の跡で、東地中海で最も価値のある遺産のひとつに数えられています。
キロキティアは、ラルナカから西へ約30キロ、キプロス南部の海岸に近い山麓の川沿いに位置しており、住居跡には直径2〜3mから、10mにまで及ぶ円形の住居基台が多く残っています。
かつては、この上に円筒状の住居があったことを物語っています。
日干しレンガで作られた壁には塗装の跡が見られ、集落の周辺には外壁があった形跡が確認できます。
狩猟、農耕、家畜の飼育が行われていたとされており、埋葬の習慣があったということも分かっています。
キロキティアは、東地中海に残る先史時代の遺跡の中でも最も保存状態のよい遺構が残っていて、発掘された数々の遺構や遺品により、東西の要衝、キプロスにおける当時の文化・社会生活が明らかにされました。
キロキティア Choirokoitia 所在国:キプロス共和国 世界遺産登録:1998年 種類:文化遺産 |
キロキティア(ヒロキティア)とは、キプロス共和国を代表する世界文化遺産のうちのひとつです。
1998年に登録されました。
新石器時代に形成された農耕民族の集落の跡で、東地中海で最も価値のある遺産のひとつに数えられています。
キロキティアは、ラルナカから西へ約30キロ、キプロス南部の海岸に近い山麓の川沿いに位置しており、住居跡には直径2〜3mから、10mにまで及ぶ円形の住居基台が多く残っています。
かつては、この上に円筒状の住居があったことを物語っています。
日干しレンガで作られた壁には塗装の跡が見られ、集落の周辺には外壁があった形跡が確認できます。
狩猟、農耕、家畜の飼育が行われていたとされており、埋葬の習慣があったということも分かっています。
キロキティアは、東地中海に残る先史時代の遺跡の中でも最も保存状態のよい遺構が残っていて、発掘された数々の遺構や遺品により、東西の要衝、キプロスにおける当時の文化・社会生活が明らかにされました。
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リラ修道院
リラ修道院は、ブルガリア最大で最も著名な東方正教会の修道院。
リラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも称される。
ブルガリア南西部、人里離れた山の奥深くにリラ修道院はあります。
10世紀に創建されたリラ修道院は、ブルガリア正教の総本山として宗教と文化の中心となり、国民の精神的な支えとなってきました。
「リラ修道院」の創建のきっかけは、10世紀頃、イヴァン・リルスキーという修道士がここで隠遁生活をはじめ、やがて修道士を慕う信者がその周辺に住むようになり集落ができたきたことによるそうです。
その後、14世紀初頭の大地震や、19世紀中頃の大火事などで壊滅的なダメージを受けたが、そのたびに再建されてきたものです。
ビザンツ帝国やオスマン・トルコなどの支配を受け続けたブルガリアで、リラ修道院はその信仰を守り通してきました。
当時はキリスト教を信仰することは勿論、ブルガリア語の書物を読むことすら禁止されていましたが、ここの僧院だけはそれが黙認されていたといいます。
民族の自立と国家の独立を目指していたブルガリアの人々にとって、修道院はその象徴的存在だったのです。
現在、修道院には9人の修道士が昔と同じ信仰の生活を営み、その伝統を守っています
リラ修道院は1983年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
リラ修道院 Rila Monastery 所在国:ブルガリア 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
リラ修道院は、ブルガリア最大で最も著名な東方正教会の修道院。
リラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも称される。
ブルガリア南西部、人里離れた山の奥深くにリラ修道院はあります。
10世紀に創建されたリラ修道院は、ブルガリア正教の総本山として宗教と文化の中心となり、国民の精神的な支えとなってきました。
「リラ修道院」の創建のきっかけは、10世紀頃、イヴァン・リルスキーという修道士がここで隠遁生活をはじめ、やがて修道士を慕う信者がその周辺に住むようになり集落ができたきたことによるそうです。
その後、14世紀初頭の大地震や、19世紀中頃の大火事などで壊滅的なダメージを受けたが、そのたびに再建されてきたものです。
ビザンツ帝国やオスマン・トルコなどの支配を受け続けたブルガリアで、リラ修道院はその信仰を守り通してきました。
当時はキリスト教を信仰することは勿論、ブルガリア語の書物を読むことすら禁止されていましたが、ここの僧院だけはそれが黙認されていたといいます。
民族の自立と国家の独立を目指していたブルガリアの人々にとって、修道院はその象徴的存在だったのです。
現在、修道院には9人の修道士が昔と同じ信仰の生活を営み、その伝統を守っています
リラ修道院は1983年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。