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ビブロス
ビブロスとは、レバノンの首都ベイルートの北、およそ30kmにある地中海沿岸にある都市のことです。
古代、フェニキア人の都市として栄え、「ビブロス」はギリシャ人がつけた呼び名で、本来は「グブラ」のちに「ゲバル」と呼ばれていました。
現在はジュベイルと呼ばれており、遺跡群はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
ビブロスは、フェニキア人の発祥の地として有名で、アルファベットの元になったフェニキア文字もこの地で生まれました。
なので、アルファベット発祥の地と言われることもあります。
紀元前3000年頃から、フェニキア人が居住し始めたと言われています。
フェニキア人は、ビブロスの東、レバノン山脈に自生するレバノン杉を伐採し、この木材から船を作り、杉から取れる油をエジプトへ輸出、地中海貿易の主役へと躍り出ました。
その後、ローマ帝国の支配下に入ります。
12世紀には、十字軍を迎え撃つために要塞化されてしまい、その後、ベイルートなどに交易の拠点の地位を奪われ、衰退の道をたどりました。
ビブロス Byblos 所在国:レバノン 世界遺産登録:1984年 種類:文化遺産 |
ビブロスとは、レバノンの首都ベイルートの北、およそ30kmにある地中海沿岸にある都市のことです。
古代、フェニキア人の都市として栄え、「ビブロス」はギリシャ人がつけた呼び名で、本来は「グブラ」のちに「ゲバル」と呼ばれていました。
現在はジュベイルと呼ばれており、遺跡群はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
ビブロスは、フェニキア人の発祥の地として有名で、アルファベットの元になったフェニキア文字もこの地で生まれました。
なので、アルファベット発祥の地と言われることもあります。
紀元前3000年頃から、フェニキア人が居住し始めたと言われています。
フェニキア人は、ビブロスの東、レバノン山脈に自生するレバノン杉を伐採し、この木材から船を作り、杉から取れる油をエジプトへ輸出、地中海貿易の主役へと躍り出ました。
その後、ローマ帝国の支配下に入ります。
12世紀には、十字軍を迎え撃つために要塞化されてしまい、その後、ベイルートなどに交易の拠点の地位を奪われ、衰退の道をたどりました。
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パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境とは、1996年に世界文化遺産に登録されたハンガリー北西部のトランスダヌビア地方のパンノンハルマの丘にある修道院とそのまわりの自然環境のことです。
ベネディクト会修道院が属するハンガリーのベネディクト会は、996年にパンノンハルマ修道院から始まりました。
1000年に及ぶ歴史が、修道院の建築に独自のスタイルを継承させたといわれています。
12世紀には火災で焼失してしまいます。
1224年にゴシック様式で再建されましたが、現存するハンガリー最古の建物は、今でも学校や修道院として使われています。
写本や古文書など、貴重な歴史的文献を所蔵している図書館や、壮麗なフレスコ画が壁を飾る主食堂なども貴重な遺産です。
19世紀半ばに建てられた高さ55cmの時計塔は、パンノンハルマ修道院のシンボルになっています。
修道院の周辺には、緑豊かな森が広がっており、その自然環境も含め世界遺産に登録されました。
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment 所在国:ハンガリー共和国 世界遺産登録:1996年 種類:文化遺産 |
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境とは、1996年に世界文化遺産に登録されたハンガリー北西部のトランスダヌビア地方のパンノンハルマの丘にある修道院とそのまわりの自然環境のことです。
ベネディクト会修道院が属するハンガリーのベネディクト会は、996年にパンノンハルマ修道院から始まりました。
1000年に及ぶ歴史が、修道院の建築に独自のスタイルを継承させたといわれています。
12世紀には火災で焼失してしまいます。
1224年にゴシック様式で再建されましたが、現存するハンガリー最古の建物は、今でも学校や修道院として使われています。
写本や古文書など、貴重な歴史的文献を所蔵している図書館や、壮麗なフレスコ画が壁を飾る主食堂なども貴重な遺産です。
19世紀半ばに建てられた高さ55cmの時計塔は、パンノンハルマ修道院のシンボルになっています。
修道院の周辺には、緑豊かな森が広がっており、その自然環境も含め世界遺産に登録されました。
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パルミラの遺跡
パルミラの遺跡 Site of Palmyra 所在国:シリア 世界遺産登録:1980年 種類: 文化遺産 パルミラ遺跡とは、1980年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたシリアの中央部にあるローマ帝国支配時の都市遺跡のことで、シリアを代表する遺跡の1つです。 シリアの首都ダマスカスの北東、約200kmの砂漠の中にあって、北から流れるワジアブオベイド川と、西から流れるワジアイド川が形成した扇状地に建設されました。 紀元前3世紀頃から多数の地下墓地が建設されました。 ローマ様式の建造物が多数残っていて、ローマ式の円形劇場や、公共浴場、四面門が代表的です。 パルミラ近くからは、約70000年前の旧石器時代の石器が発見されていて、メソポタミアで発掘された石版からもこの都市の名前と思われる記述があります。 紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展しました。 交易の関税により都市国家として繁栄し、ローマの属州となったこともあります。 しかし、2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期を迎えます。 270年ごろに君臨したゼノビア女王時代には、エジプトの一部も支配下に置いていました。 ですが、ローマ皇帝のアウレリアヌスは、パルミラの独立を恐れ攻撃を開始しました。 その結果、272年に、パルミラは陥落し廃墟と化したのです。 |