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ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観
ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観とは、オーストリア、ザルツカンマーグートのダハシュタイン連峰にある標高3000mの山で、発見された約4000年前の人類の文明の痕跡のことです。
氷柱が美しい洞窟、ジャイアント・アイス・ケイブ。
ダハシュタインの頂上を覆っていた雪は、溶けると洞窟に染み込み、再び冷却されると、美しい氷の芸術を形作ります。
そのような自然の中にできた小さな街、ラテン語で「塩の町」を意味するハルシュタット。
ここにローマよりも古く、高度な文明が存在したのです。
それを支えたのはこの近くで採れる岩塩だったとされています。
食料の唯一の保存方法であった塩は、白いダイヤといわれる程貴重なものでした。
その古い文明は紀元前7世紀絶頂期を迎えました。
紀元前7世紀頃のものとされる墓から発見された副葬品が、文明の高さを証明しています。
左の渦は現世、右の渦は来世を表しているそうです。
ほかにも3000年前の岩塩を運んだといわれるリュックや、当時の人が被っていた革製の帽子が塩に覆われていたために、驚くほど良い状態で発見されています。
ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観 Hallstatt-Dachstein Salzkammergut Cultural Landscape 所在国:オーストリア 世界遺産登録:1997年 種類:文化遺産 |
ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観とは、オーストリア、ザルツカンマーグートのダハシュタイン連峰にある標高3000mの山で、発見された約4000年前の人類の文明の痕跡のことです。
氷柱が美しい洞窟、ジャイアント・アイス・ケイブ。
ダハシュタインの頂上を覆っていた雪は、溶けると洞窟に染み込み、再び冷却されると、美しい氷の芸術を形作ります。
そのような自然の中にできた小さな街、ラテン語で「塩の町」を意味するハルシュタット。
ここにローマよりも古く、高度な文明が存在したのです。
それを支えたのはこの近くで採れる岩塩だったとされています。
食料の唯一の保存方法であった塩は、白いダイヤといわれる程貴重なものでした。
その古い文明は紀元前7世紀絶頂期を迎えました。
紀元前7世紀頃のものとされる墓から発見された副葬品が、文明の高さを証明しています。
左の渦は現世、右の渦は来世を表しているそうです。
ほかにも3000年前の岩塩を運んだといわれるリュックや、当時の人が被っていた革製の帽子が塩に覆われていたために、驚くほど良い状態で発見されています。
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バターリャの修道院
バターリャの修道院とは、1385年、ポルトガルに侵攻したスペイン・カステーリャ軍に対して数分の一の兵力のポルトガル軍が撃破し、この戦いを記念してポルトガルの独立を死守した勝利のシンボルとして建設された修道院のことです。
バターリャの地名は、ポルトガル語で「戦い」という意味です。
この壮麗な「バターリャの勝利のサンタ・マリア修道院」は、アルコバサの修道院をモデルとして、1388年に建設が着工され、当初は簡素なゴシック様式であったものが、代々の王に引き継がれ、建設されたためマヌエル様式が混在する建物となっています。
バターリャの修道院は、勝利のシンボルに相応しい堂々たるファサードの修道院です。
この修道院の礼拝堂には、創設者のジョアン1世と王妃の仲睦まじく手を繋いで永眠している彫刻のある棺やエンリケ航海王子らの棺があります。
奥行約80m、高さ32mの教会内部は、質素で厳粛な美を感じさせる巨大な空間となっていて、見事な装飾に眼を奪われます。
バターリャの修道院 Monastery of Batalha 所在国:ポルトガル共和国 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
バターリャの修道院とは、1385年、ポルトガルに侵攻したスペイン・カステーリャ軍に対して数分の一の兵力のポルトガル軍が撃破し、この戦いを記念してポルトガルの独立を死守した勝利のシンボルとして建設された修道院のことです。
バターリャの地名は、ポルトガル語で「戦い」という意味です。
この壮麗な「バターリャの勝利のサンタ・マリア修道院」は、アルコバサの修道院をモデルとして、1388年に建設が着工され、当初は簡素なゴシック様式であったものが、代々の王に引き継がれ、建設されたためマヌエル様式が混在する建物となっています。
バターリャの修道院は、勝利のシンボルに相応しい堂々たるファサードの修道院です。
この修道院の礼拝堂には、創設者のジョアン1世と王妃の仲睦まじく手を繋いで永眠している彫刻のある棺やエンリケ航海王子らの棺があります。
奥行約80m、高さ32mの教会内部は、質素で厳粛な美を感じさせる巨大な空間となっていて、見事な装飾に眼を奪われます。
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テルチ歴史地区
テルチ歴史地区とは、チェコ共和国、モラビア地方にあり、首都プラハから南に120kmに位置するチェコの至宝といえる美しい街のことで、15世紀末、イタリアルネッサンスがヨーロッパ全土に広がり、この地にもイタリアの美しい建築様式が伝わったのですが、テルチは奇跡的に、当時のものがそのまま残されています。
「モラビアの真珠」とも称されるとても美しい町、テルチ。
人口僅か7000人の小さな町ですが、中世の風景そのままの街並みが残っています。
その訳はといいますと、16世紀の大火事のあと、丁寧に再建されたのです。
1099年、モラビアの王子オッタ2世が、この地でボヘミアのブジェティスラウ王を破ったのがテルチの最初と言われています。
その後フラデツ家、スラヴァタ家、そしてリヒテンシュタイン家と統治者が変わっていったがそのたびに新しい様式が少しずつ入ってきて現在のような街並みが完成したのです。
チェコの街並みはどこに行っても心落ち着く穏やかで可愛いものが多いのですが、ここもその一つです。
テルチ歴史地区 Historic Centre of Telc 所在国:チェコ共和国 世界遺産登録:1992年 種類:文化遺産 |
テルチ歴史地区とは、チェコ共和国、モラビア地方にあり、首都プラハから南に120kmに位置するチェコの至宝といえる美しい街のことで、15世紀末、イタリアルネッサンスがヨーロッパ全土に広がり、この地にもイタリアの美しい建築様式が伝わったのですが、テルチは奇跡的に、当時のものがそのまま残されています。
「モラビアの真珠」とも称されるとても美しい町、テルチ。
人口僅か7000人の小さな町ですが、中世の風景そのままの街並みが残っています。
その訳はといいますと、16世紀の大火事のあと、丁寧に再建されたのです。
1099年、モラビアの王子オッタ2世が、この地でボヘミアのブジェティスラウ王を破ったのがテルチの最初と言われています。
その後フラデツ家、スラヴァタ家、そしてリヒテンシュタイン家と統治者が変わっていったがそのたびに新しい様式が少しずつ入ってきて現在のような街並みが完成したのです。
チェコの街並みはどこに行っても心落ち着く穏やかで可愛いものが多いのですが、ここもその一つです。