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バース市街
バース市街とは、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された物件で、イギリスの南部のエイヴォン県に位置します。
ロンドンの西140kmにある都市、バースは行政区分としては、エイヴォン県のバース市になり、人口は9万人程度です。
紀元前からの温泉場として有名で、一説には、ケルト人が温泉を発見したと言われています。
その地名が、英語のbath(風呂)の語源となったというのは俗説で、正しくは風呂を意味するゲルマン古語からその名がつけられました。
1世紀頃に、ローマ帝国の支配下にあって保養地として繁栄しました。
ローマ式の大浴場や神殿が多く建築されましたが、ローマが撤退すると一時的に荒廃してしまいます。
18世紀に再発見されてからは、ジョージアン形式と呼ばれる当時のテラスハウスの建つ町並みへと変貌するとともに、上流階級の保養地にもなりました。
バース市街 City of Bath 所在国:イギリス 世界遺産登録:1987年 種類:文化遺産 |
バース市街とは、1987年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された物件で、イギリスの南部のエイヴォン県に位置します。
ロンドンの西140kmにある都市、バースは行政区分としては、エイヴォン県のバース市になり、人口は9万人程度です。
紀元前からの温泉場として有名で、一説には、ケルト人が温泉を発見したと言われています。
その地名が、英語のbath(風呂)の語源となったというのは俗説で、正しくは風呂を意味するゲルマン古語からその名がつけられました。
1世紀頃に、ローマ帝国の支配下にあって保養地として繁栄しました。
ローマ式の大浴場や神殿が多く建築されましたが、ローマが撤退すると一時的に荒廃してしまいます。
18世紀に再発見されてからは、ジョージアン形式と呼ばれる当時のテラスハウスの建つ町並みへと変貌するとともに、上流階級の保養地にもなりました。
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ナポリ歴史地区
ナポリ歴史地区とは、1995年にユネスコの世界遺産に登録されたときの登録物件名で、イタリアのナポリにある「スッパカ・ナポリ」と呼ばれる最もナポリらしい旧市街と、内陸部にあるドゥオーモと海岸部にある王宮の周辺一帯を指します。
ナポリの起源は、紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことに遡ります。
そのころの町の名前は、新しい都市という意味でネアポリスと呼ばれていました。
碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと推測されています。
紀元前4世紀頃に、古代ローマの支配下に入りました。
62年と79年に起こった大地震が、ナポリに致命的なダメージをあたえましたが、復興をとげています。
ノルマン人が進入してナポリを支配したのが11世紀、その後はホーエンシュタウフェンが支配しています。
13世紀に入ると、アンジュ家がこの地に移り、ナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎えます。
16世紀前半にアンジュ家が衰えると、ナポリはスペインの支配されることになります。
19世紀に入り、ナポレオン時代が終わるとブルボン家による支配を受けます。
1860年にイタリア王国に編入したあとは、他の都市と比べて近代化が遅れ衰退してしまいました。
ナポリ歴史地区 Historic Centre of Naples 所在国:イタリア 世界遺産登録:1995年 種類:文化遺産 |
ナポリ歴史地区とは、1995年にユネスコの世界遺産に登録されたときの登録物件名で、イタリアのナポリにある「スッパカ・ナポリ」と呼ばれる最もナポリらしい旧市街と、内陸部にあるドゥオーモと海岸部にある王宮の周辺一帯を指します。
ナポリの起源は、紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことに遡ります。
そのころの町の名前は、新しい都市という意味でネアポリスと呼ばれていました。
碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと推測されています。
紀元前4世紀頃に、古代ローマの支配下に入りました。
62年と79年に起こった大地震が、ナポリに致命的なダメージをあたえましたが、復興をとげています。
ノルマン人が進入してナポリを支配したのが11世紀、その後はホーエンシュタウフェンが支配しています。
13世紀に入ると、アンジュ家がこの地に移り、ナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎えます。
16世紀前半にアンジュ家が衰えると、ナポリはスペインの支配されることになります。
19世紀に入り、ナポレオン時代が終わるとブルボン家による支配を受けます。
1860年にイタリア王国に編入したあとは、他の都市と比べて近代化が遅れ衰退してしまいました。
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オロモウツの聖三位一体柱
オロモウツの聖三位一体柱とは、オロモウツの聖三位一体の塔とも表され、オロモウツ旧市街にある建築物のことで2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
オロモウツとはチェコの都市で、モラヴィア地方の中部に位置します。
オロモウツ旧市街は、オーストリアの文化の影響が強い街で、数々の歴史的に価値のある建築物が多く残っていますが、 中でもとりわけ有名で独特な物が、チェコの代表的な建築家が作った塔と噴水群だといえるでしょう。
これらは旧市街の広場にあって、バロック様式で統一された美しい町並みとよく調和しています。
三位一体の塔は、チェコで最も巨大なバロック様式の彫刻で、ヨーロッパ屈指の美しい塔と言われています。
高さが35mにもなるこの塔は、ハプスブルグ家が絶頂を誇ったマリア=テレジア治世の1754年に完成しました。
オロモウツの聖三位一体柱 Holy Trinity Column in Olomouc 所在国:チェコ 世界遺産登録: 2000年 種類:文化遺産 |
オロモウツの聖三位一体柱とは、オロモウツの聖三位一体の塔とも表され、オロモウツ旧市街にある建築物のことで2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
オロモウツとはチェコの都市で、モラヴィア地方の中部に位置します。
オロモウツ旧市街は、オーストリアの文化の影響が強い街で、数々の歴史的に価値のある建築物が多く残っていますが、 中でもとりわけ有名で独特な物が、チェコの代表的な建築家が作った塔と噴水群だといえるでしょう。
これらは旧市街の広場にあって、バロック様式で統一された美しい町並みとよく調和しています。
三位一体の塔は、チェコで最も巨大なバロック様式の彫刻で、ヨーロッパ屈指の美しい塔と言われています。
高さが35mにもなるこの塔は、ハプスブルグ家が絶頂を誇ったマリア=テレジア治世の1754年に完成しました。