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古都ダマスクス
古都ダマスクスとは、シリアの首都で、現存する世界最古の都市の一つです。
シリア高原の大オアシスにあって、交通路の要衝を占めます。
内陸交易に活躍したセム系アラム人の拠点都市として繁栄し、その後諸国の支配を経て、7世紀にはウマイヤ朝の首都となりました。
古代都市ダマスカスは、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に1979年に登録されました。
シリアの首都ダマスカスの旧市街に残る歴史的な構造物が登録されたのです。
エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、紀元前3000年ごろから形成されました。
バラダ川の南側にあるダマスカス旧市街は、城壁に囲まれた歴史のある地域で、この城壁は、1世紀頃、ローマが最初に建設したと言われています。
現在残っているものは、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、アラブ人が建築したものです。
城壁には、7つの門が残っており、旧市街地は、狭く入り組んだ道になっていますが、東西に走る真っ直ぐな道は、新約聖書にも登場しています。
古都ダマスクス Ancient City of Damascus 所在国:シリア 世界遺産登録:1979年 種類:文化遺産 |
古都ダマスクスとは、シリアの首都で、現存する世界最古の都市の一つです。
シリア高原の大オアシスにあって、交通路の要衝を占めます。
内陸交易に活躍したセム系アラム人の拠点都市として繁栄し、その後諸国の支配を経て、7世紀にはウマイヤ朝の首都となりました。
古代都市ダマスカスは、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に1979年に登録されました。
シリアの首都ダマスカスの旧市街に残る歴史的な構造物が登録されたのです。
エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、紀元前3000年ごろから形成されました。
バラダ川の南側にあるダマスカス旧市街は、城壁に囲まれた歴史のある地域で、この城壁は、1世紀頃、ローマが最初に建設したと言われています。
現在残っているものは、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、アラブ人が建築したものです。
城壁には、7つの門が残っており、旧市街地は、狭く入り組んだ道になっていますが、東西に走る真っ直ぐな道は、新約聖書にも登場しています。
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ギロカストラの博物館都市
ギロカストラは、知名度はかなり低く、今のところ旅行のポケットブックとしては王道の”地球の歩き方”でさえ載っていないという、アルバニア南部に位置する辺境の世界遺産都市です。
ギロカストラの博物館都市は、アルバニアの南部、首都ティラナの南約145km、ジェール山の傾斜地にあります。
ギロカストラの名前は、ヨーロッパのこれらの地に移住したイリュリア民族に由来しています。
ギロカストラは、絵のように美しい魅力的な街で、街全体が博物館のような白と黒の石畳の千段の街としても知られています。
ギロカストラの博物館都市が博物館都市と云われているかと申しますと、ギロカストラが辺境の場所にあったために13世紀から20世紀まで発展し続けたオスマン帝国の特徴を、今日においても凄く良好な状態で保っているからなのです。
オスマン帝国最盛期に建てられたモスクなどを始め、ギロカストラはほとんど消えたはずのイスラムの文化と伝統がこの地域にもあったという、特別な証明をしている物件です
バルカン半島方面のヨーロッパ諸国で、イスラムの風情が生活として残っているのは、かなり貴重であるといえます。
例えば住宅地などは、まるで背後の岩々に溶け込んでいるような造りになっていますが
これは“タワー”という住宅で、岩壁に溶け込むような立地様式とイスラム特有の繊細な模様が特徴です。
必ず2階以上になっており、1階は冬用、2階は夏用と分かれています。
季節に応じて空間を使い分けるというスタイルもまた珍しい要素の1つです。
ギロカストラの街の歴史としては、ギロカストラの街は、13世紀に興り、15世紀のトルコ軍の侵略によって衰退したが、17世紀には、刺繍、フェルト、絹、チーズなどのバザーで栄え、街は再生しました。
ギロカストラの街の中心部には、バザールやモスク、ドリノ川を見下ろす尾根には、ギロカストラ城が残されています。
ギロカストラ城は、2〜3世紀の城跡に、イリリア人によって6世紀に大きくなり、13世紀に今のような形になり、後に牢獄としても使われました。
ギロカストラは、後にアルバニアの自由と独立のための愛国運動の拠点として重要な役割を果たしたが、1940〜1941年のギリシァ・イタリア戦争で、再び戦場と化しました。
ギロカストラの博物館都市 Museum-City of Gjirokastra 所在国:アルバニア 世界遺産登録:2005年 種類:文化遺産 |
ギロカストラは、知名度はかなり低く、今のところ旅行のポケットブックとしては王道の”地球の歩き方”でさえ載っていないという、アルバニア南部に位置する辺境の世界遺産都市です。
ギロカストラの博物館都市は、アルバニアの南部、首都ティラナの南約145km、ジェール山の傾斜地にあります。
ギロカストラの名前は、ヨーロッパのこれらの地に移住したイリュリア民族に由来しています。
ギロカストラは、絵のように美しい魅力的な街で、街全体が博物館のような白と黒の石畳の千段の街としても知られています。
ギロカストラの博物館都市が博物館都市と云われているかと申しますと、ギロカストラが辺境の場所にあったために13世紀から20世紀まで発展し続けたオスマン帝国の特徴を、今日においても凄く良好な状態で保っているからなのです。
オスマン帝国最盛期に建てられたモスクなどを始め、ギロカストラはほとんど消えたはずのイスラムの文化と伝統がこの地域にもあったという、特別な証明をしている物件です
バルカン半島方面のヨーロッパ諸国で、イスラムの風情が生活として残っているのは、かなり貴重であるといえます。
例えば住宅地などは、まるで背後の岩々に溶け込んでいるような造りになっていますが
これは“タワー”という住宅で、岩壁に溶け込むような立地様式とイスラム特有の繊細な模様が特徴です。
必ず2階以上になっており、1階は冬用、2階は夏用と分かれています。
季節に応じて空間を使い分けるというスタイルもまた珍しい要素の1つです。
ギロカストラの街の歴史としては、ギロカストラの街は、13世紀に興り、15世紀のトルコ軍の侵略によって衰退したが、17世紀には、刺繍、フェルト、絹、チーズなどのバザーで栄え、街は再生しました。
ギロカストラの街の中心部には、バザールやモスク、ドリノ川を見下ろす尾根には、ギロカストラ城が残されています。
ギロカストラ城は、2〜3世紀の城跡に、イリリア人によって6世紀に大きくなり、13世紀に今のような形になり、後に牢獄としても使われました。
ギロカストラは、後にアルバニアの自由と独立のための愛国運動の拠点として重要な役割を果たしたが、1940〜1941年のギリシァ・イタリア戦争で、再び戦場と化しました。
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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
トルコのほぼ中央アナトリア高原にあるカッパドキアには、キノコや尖塔の形をした奇岩が立ち並んでいます。
2つとして同じものがない奇岩の群は、形だけではなく色も赤茶・桃色・白・褐色とさまざまで、世界にも例を見ない幻想的な光景が見られます。
岩の中には名前がついているものもあります。
カッパドキアの岩窟群は、約50km南にあるエルジェス山の火山活動によって火山灰や溶岩が推積し、それが長年に渡り侵食され、摩訶不思議な奇岩が形成されています。
紀元前4世紀頃、キリスト教の修道士たちがこの地に多く集まり、無数の洞窟修道院が作られた。
7世紀後半にはイスラムの迫害を避けた多くのキリスト教徒が住み着きました。
カッパドキアの中心にはギョレメ渓谷があります。
「見てはいけないもの」を意味するこの渓谷には、入り口が岩山とわからないようになっている聖堂が沢山あり、入り口にリンゴの木があったところから「リンゴの聖堂」と呼ばれるものは、内部に「最後の晩餐」や「全能のキリスト」など、素朴で力強いフレスコ壁画があります。
このほか、カッパドキアでは36の地下都市が確認されています。
また、当時の洞窟教会や修道院などの巨大地下都市は、ギョレメ野外博物館で見学することができます。
日本人観光客もたくさん訪れるらしいのですが、実はこのエリアは見所が多すぎて、全部見るためには自由に動ける足が必要になります。
ツアーも出ているのですが、是分は回りきれず、要所のみを見て帰る人がとても多いとのことです。
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia 所在国:トルコ 世界遺産登録:1985年 種類:複合遺産 |
トルコのほぼ中央アナトリア高原にあるカッパドキアには、キノコや尖塔の形をした奇岩が立ち並んでいます。
2つとして同じものがない奇岩の群は、形だけではなく色も赤茶・桃色・白・褐色とさまざまで、世界にも例を見ない幻想的な光景が見られます。
岩の中には名前がついているものもあります。
カッパドキアの岩窟群は、約50km南にあるエルジェス山の火山活動によって火山灰や溶岩が推積し、それが長年に渡り侵食され、摩訶不思議な奇岩が形成されています。
紀元前4世紀頃、キリスト教の修道士たちがこの地に多く集まり、無数の洞窟修道院が作られた。
7世紀後半にはイスラムの迫害を避けた多くのキリスト教徒が住み着きました。
カッパドキアの中心にはギョレメ渓谷があります。
「見てはいけないもの」を意味するこの渓谷には、入り口が岩山とわからないようになっている聖堂が沢山あり、入り口にリンゴの木があったところから「リンゴの聖堂」と呼ばれるものは、内部に「最後の晩餐」や「全能のキリスト」など、素朴で力強いフレスコ壁画があります。
このほか、カッパドキアでは36の地下都市が確認されています。
また、当時の洞窟教会や修道院などの巨大地下都市は、ギョレメ野外博物館で見学することができます。
日本人観光客もたくさん訪れるらしいのですが、実はこのエリアは見所が多すぎて、全部見るためには自由に動ける足が必要になります。
ツアーも出ているのですが、是分は回りきれず、要所のみを見て帰る人がとても多いとのことです。