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クスコ市街
クスコ市街は、南米ペルーはリマの南東約570km、標高3360mものアンデスの高地に築かれています。
11〜12世紀に建設されたとされるクスコは、太陽神崇拝のもと、広大な勢力を誇った、かのインカ帝国の首都でした。
クスコとは、インカの言葉であるケチュア語で「へそ」を意味します。
これは、このクスコこそが世界の中心である、と考えていたことをあらわしています。
太陽崇拝のあらわれから黄金で建築物や身を装飾品で飾り立てましたが、この黄金ゆえに、スペインから侵略を受け、16世紀半ばに植民地化しました。
その際に町は破壊されてしまい、現在残る町並みは16〜17世紀の植民地時代のものです。
ただ、インカ時代のなごりを残す、俗にカミソリの刃一枚通さない、とされる高度なインカの石組みまでは破壊しつくすことはできず、当時の面影を伝えています。
代表的なものとしては、100トンを超える巨石が使われたサクサイワマン城塞や、太陽の神殿「コリカンチャ」の石組みの上に建てられたサント・ドミンゴ修道院、サイフォンの原理を用いていたとされる沐浴場タンボマチャイ(Tambomachay)などが挙げられます。
クスコ市街 City of Cuzco 所在国:ペルー 世界遺産登録:1983年 種類:文化遺産 |
クスコ市街は、南米ペルーはリマの南東約570km、標高3360mものアンデスの高地に築かれています。
11〜12世紀に建設されたとされるクスコは、太陽神崇拝のもと、広大な勢力を誇った、かのインカ帝国の首都でした。
クスコとは、インカの言葉であるケチュア語で「へそ」を意味します。
これは、このクスコこそが世界の中心である、と考えていたことをあらわしています。
太陽崇拝のあらわれから黄金で建築物や身を装飾品で飾り立てましたが、この黄金ゆえに、スペインから侵略を受け、16世紀半ばに植民地化しました。
その際に町は破壊されてしまい、現在残る町並みは16〜17世紀の植民地時代のものです。
ただ、インカ時代のなごりを残す、俗にカミソリの刃一枚通さない、とされる高度なインカの石組みまでは破壊しつくすことはできず、当時の面影を伝えています。
代表的なものとしては、100トンを超える巨石が使われたサクサイワマン城塞や、太陽の神殿「コリカンチャ」の石組みの上に建てられたサント・ドミンゴ修道院、サイフォンの原理を用いていたとされる沐浴場タンボマチャイ(Tambomachay)などが挙げられます。
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