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グアラニーのイエズス会伝道施設群
グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・ラ・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡群(ブラジル)
グアラニー人のイエズス会伝道所群は、17世紀から18世紀にかけてイエズス会がグアラニー族のキリスト教の教化を進めるために建てられたものです。
ブラジルとアルゼンチンにまたがっており、アルゼンチン側は、ミシオネス州内の、サン・イグナシオ・ミニ 、ヌエストラ・セニョーラ・デ・サンタ・アナ 、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート 、サンタ・マリア・ラ・マジョールです。
そのうち、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレトは、現存する最古のイエズス会伝道所として知られています。
ブラジル側は、リオグランデ・ド・スル州のサント・アンヘロ (Santo Angelo) にある、サン・ミゲル・ダス・ミッションの遺跡群です。
もともとは、このブラジル側のサン・ミゲル・ダス・ミソンイス群が1983年に、この名称にて単独で登録されたのですが、翌年、アルゼンチン所在の4施設もそれに含まれるものである、という流れになり、名称を「グアラニーのイエズス会伝道施設群」として、ひとまとめに再登録されることになりました。
当時の最盛期で一万人もの人々が暮らしていましたが、1767年にスペイン王カルロス三世が発令したイエズス会追放令によって、集落は放棄され、風化し自然に取り込まれるのを待つままとなっていました。
その中で観光する上で保存状態のいいものは、サン・イグナシオ・ミニです。
バロック様式と、グアラニーの様式が絶妙に混じった見事な装飾に加え、教会、礼拝堂、食堂、学校、作業場などの跡が遺されています。
グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・ラ・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡群(ブラジル)
グアラニーのイエズス会伝道施設群: サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・ラ・マジョール(アルゼンチン)、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡群(ブラジル) Jesuit Missions of the Guaranis: San Ignacio Mini, Santa Ana, Nuestra Senora de Loreto and Santa Maria Mayor (Argentina), Ruins of Sao Miguel das Missoes (Brazil) 所在国:アルゼンチン、ブラジル 世界遺産登録:1983年、1984年 種類:文化遺産 |
グアラニー人のイエズス会伝道所群は、17世紀から18世紀にかけてイエズス会がグアラニー族のキリスト教の教化を進めるために建てられたものです。
ブラジルとアルゼンチンにまたがっており、アルゼンチン側は、ミシオネス州内の、サン・イグナシオ・ミニ 、ヌエストラ・セニョーラ・デ・サンタ・アナ 、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート 、サンタ・マリア・ラ・マジョールです。
そのうち、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレトは、現存する最古のイエズス会伝道所として知られています。
ブラジル側は、リオグランデ・ド・スル州のサント・アンヘロ (Santo Angelo) にある、サン・ミゲル・ダス・ミッションの遺跡群です。
もともとは、このブラジル側のサン・ミゲル・ダス・ミソンイス群が1983年に、この名称にて単独で登録されたのですが、翌年、アルゼンチン所在の4施設もそれに含まれるものである、という流れになり、名称を「グアラニーのイエズス会伝道施設群」として、ひとまとめに再登録されることになりました。
当時の最盛期で一万人もの人々が暮らしていましたが、1767年にスペイン王カルロス三世が発令したイエズス会追放令によって、集落は放棄され、風化し自然に取り込まれるのを待つままとなっていました。
その中で観光する上で保存状態のいいものは、サン・イグナシオ・ミニです。
バロック様式と、グアラニーの様式が絶妙に混じった見事な装飾に加え、教会、礼拝堂、食堂、学校、作業場などの跡が遺されています。
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