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サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区
サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区はエクアドルの首都キトの南300?、アンデス山脈の谷間の標高2600mの内陸高地にあります。
エクアドルの第3の都市でもあるクエンカは1557年にヒル・ラミレス・ダヴァロスによってスペインの植民都市として建設されました。
エクアドルのクエンカの名前の由来はスペインのクエンカから取ったものでありスペインのクエンカも1996年に文化遺産として登録されています。
町の中心にあるアブドン・カルデロン広場や日干し煉瓦を敷き詰めた碁盤目状の街路、サン・フランシスコ教会などの建物がある計画的な美しい街並み景観は、スペインの植民都市だった歴史をいまも色濃く残しています。
サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区 Historic Centre of Santa Ana de los Rios de Cuenca 所在国:エクアドル共和国 世界遺産登録:1999年 種類:文化遺産 |
サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区はエクアドルの首都キトの南300?、アンデス山脈の谷間の標高2600mの内陸高地にあります。
エクアドルの第3の都市でもあるクエンカは1557年にヒル・ラミレス・ダヴァロスによってスペインの植民都市として建設されました。
エクアドルのクエンカの名前の由来はスペインのクエンカから取ったものでありスペインのクエンカも1996年に文化遺産として登録されています。
町の中心にあるアブドン・カルデロン広場や日干し煉瓦を敷き詰めた碁盤目状の街路、サン・フランシスコ教会などの建物がある計画的な美しい街並み景観は、スペインの植民都市だった歴史をいまも色濃く残しています。
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サマイパタの砦
サマイパタの砦は、ボリビア中央部のサンタクルスの南西約120?に位置しており、オリエンタル山脈の海抜2000メートルにある考古学的にもとても貴重な遺跡です。
その広さは40haもあり、サマイパタの砦の遺跡は石英を含んだ赤い砂岩の岩塊で無数の人物、ピューマ、ヘビ、ジャガー、レアの動物、運河、階段、座席などが彫刻されているのが特徴です。
砦と言うけれども、実際には軍事拠点ではなく、コロンブス到達以前の宗教的な遺跡でありインカの祭祀儀式の中心として繁栄していたことからも宗教や政治が高度に発達した文化がボリビア・アンデスにあったことの証明でもあり現在でも謎の部分が多い遺跡として貴重な存在となっています。
またサマイパタの砦はエル・フエルテ遺跡とも呼ばれています。
サマイパタの砦 Fuerte dc Sanaipata 所在国:ボリビア共和国 世界遺産登録:1998年 種類:文化遺産 |
サマイパタの砦は、ボリビア中央部のサンタクルスの南西約120?に位置しており、オリエンタル山脈の海抜2000メートルにある考古学的にもとても貴重な遺跡です。
その広さは40haもあり、サマイパタの砦の遺跡は石英を含んだ赤い砂岩の岩塊で無数の人物、ピューマ、ヘビ、ジャガー、レアの動物、運河、階段、座席などが彫刻されているのが特徴です。
砦と言うけれども、実際には軍事拠点ではなく、コロンブス到達以前の宗教的な遺跡でありインカの祭祀儀式の中心として繁栄していたことからも宗教や政治が高度に発達した文化がボリビア・アンデスにあったことの証明でもあり現在でも謎の部分が多い遺跡として貴重な存在となっています。
またサマイパタの砦はエル・フエルテ遺跡とも呼ばれています。
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オリンダ歴史地区
オリンダは、南アメリカ最東端にあり、ブラジル東北部の沿岸に位置する都市です。
オリンダは、16世紀以降、ポルトガル人によって支配され、さとうきび産業で繁栄してきました。
オリンダの名前の由来は、16世紀のポルトガル人が町の周囲の景色を眺めて「オー、リンダ(おお、美しい)」と叫んだことにちなんでいると言われています。
1630年にさとうきびの利権をめぐり、オランダ人に占領されて、カトリック色の強かったこの町を破壊しました。
1654年にポルトガルがオリンダを再び奪回し、町を再建しました。
このために、オリンダは両国の建築様式の建物および町並みが残っています。
ブラジル・バロック様式といわれるサン・フランシスコ修道院や、後期バロック様式のサン・ベント修道院などがあります。
こじんまりとした坂の多いは、半日もあれば一通り周れそうです。
オリンダ歴史地区 Historic Centre of the Town of Olinda 所在国:ブラジル連邦共和国 世界遺産登録:1982年 種類:文化遺産 |
オリンダは、南アメリカ最東端にあり、ブラジル東北部の沿岸に位置する都市です。
オリンダは、16世紀以降、ポルトガル人によって支配され、さとうきび産業で繁栄してきました。
オリンダの名前の由来は、16世紀のポルトガル人が町の周囲の景色を眺めて「オー、リンダ(おお、美しい)」と叫んだことにちなんでいると言われています。
1630年にさとうきびの利権をめぐり、オランダ人に占領されて、カトリック色の強かったこの町を破壊しました。
1654年にポルトガルがオリンダを再び奪回し、町を再建しました。
このために、オリンダは両国の建築様式の建物および町並みが残っています。
ブラジル・バロック様式といわれるサン・フランシスコ修道院や、後期バロック様式のサン・ベント修道院などがあります。
こじんまりとした坂の多いは、半日もあれば一通り周れそうです。